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人に酔う

時々、人に、世界に酔ってしまうことがある。

電車の中から学校のグラウンドを駆け回る小学生を見て、遥か彼方の思い出を呼びおこす。いやそんな元気な青春時代あったっけ。
エスカレーターの段差を利用して抱き合ってるカップル。私とは別世界の住人だなあ。
参考書いっぱいに付箋を付けて頑張る学生。まだ21時くらいなのに酔いが末期になっているおじさん。どうやって生きてるのってくらい細い子、逆に何を食べたらそうなるのってくらいズングリとした体系の人。さらっと自然に新設ができる人。理不尽に怒鳴り散らしている人。

色々、色々過ぎる人と沢山、沢山すれ違う。
望んでも無いのに、明らかな情報過多。
自分の人生は自分が主人公なのに、自分の知らない関係の無い情報が無限に更新されていく。
なんかさ…怖くない?凄くない?通り越して、尊い気もしてくるし、気持ち悪い気もするし。

世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい。

知ってる人は知ってるだろ、という有名な言葉。
歳を重ねるごとに、そういう感覚が凄く分かるようになっていく。


私にとって誰かがそういう無関係な世界の理の一部であるように、私だって誰かにとってはそういうもの。

誰かの世界が綺麗になりますように、なんて烏滸がましい事は言わないけれどさ。皆が自分の幸せの為に生きていれば、そりゃあお互いの幸せがぶつかって醜い軋轢を生じることだってあるだろうけれど、なんやかんや中和して、全体的にはなんとなく素敵だなって感じになるんじゃない?
楽観的が過ぎるかもしれないけれど、そういうことを願っている。

だから、仕事終わりにアマン東京のパフェを食べに行ったりしても良いのよ。私のハッピーは、巡り巡って誰かの世界を良くしているんだもの。

ザ・ラウンジ by アマン
秋のマロンパルフェ

丸みが贅沢なグラス。想像していたよりもずっとボリュームある見た目に驚いた。

落ち着いた感じの色構成。様々なことに押し揉まれていっぱいいっぱいになった後の、少し冷たい解放感を想う。ツンとした寂しさと、それだけじゃない温もりがある。最近何かにつけて「大人の」と付ける商品が溢れていて「大人ってなんだよ定義を言え」と反抗してみたくもなるのだけれど、多分こういうのを指すんだろう、そうであって欲しいな、等うんぬんかんぬん思いながらボンヤリ眺める。

「はやく食べれば?」と言われてハッとする。

上のパリポリが全然綺麗に食べられない。
彼氏と一緒だったら絶対注文しないけれど、まあそんなん居ないから安心して食べる。でもこぼすと勿体ないから、やっぱり頑張って丁寧に食べる。

無花果。これは分かる。
その後くらいからヤバイ。何これ、一口一口、全部違うものが入ってくる。店内は暗めだし、その個体も似たような暗めの色合いだったりして、正体が分からないまま、なんなら全部栗かなとか思いながら口に含む。葡萄だったり、多分柑橘だったり?なんか凄い、色々。放り込んでから、口の中で鮮やかに味わいが広がる。

茶色、紫…白、赤…。綺麗だなあ。
グラスの中が、秋の宝石箱。

キャラメルとほうじ茶の滑らかなクリームに心が優しくなる。葡萄のソルベの瑞々しさに、世界の美しさを思い出す気がする。多彩な果実を掘り出すのはとても動的で面白い。全体的に静かな印象のパフェの中で、それはとても目立って煌めく。グランマニエのババは目立ち過ぎずにパフェの唯一な個性を生み出している。

あぁ、素敵だな。
余韻も含めて、ゆるりと飲み込む。


晩御飯パフェだけで良いの?って話になって、
良いに決まっているのだけれど、折角なので追加で注文しちゃった、料理。

大豆ミートの豆腐ハンバーグ。

大豆ミートのハンバーグ。
豆腐ハンバーグ。
どちらも食べたことは何度もある。けれど、両方を組み合わせたものってあったっけ???

柔らか過ぎて、ホロホロ過ぎて、やばい。
どうやって固形を為しているのかが全くもって理解できない。
凄い、やばい。
美味しい。

美味しい上に、完全に健康の頂点にあった。
素晴らしい。


今日も素敵なスイーツに出会う為に、沢山の人とすれ違う。エスカレーターで1つ前にいた女の子が、帰りの電車でも隣だった。髪の結び方が特徴的で可愛いなと思ったから、多分そう。

1度きりで二度とすれ違わない人もいれば、実は何度も同じ車両に乗っている人もいるのかもね。
そういう流れの中で、人に酔っている。
きっと私も誰かを酔わせているんだろう。

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