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鈴木晴香『心がめあて』(左右社)

 第二歌集。どこかあてどない、何かを探し続けるような心。心から切り離せない身体。よく言う「身体がめあて」を裏に潜めながらの『心がめあて』というタイトル。しかし裏には常に「身体がめあて」という言葉が響いている。そこから来る不安さ、かすかな悲しみを感じさせて巧みなタイトルだ。当たり前を疑う視線が新鮮な歌が多かった。

奪うほどではない。冬の路上には麻酔の効いているような風
 自分の恋愛の相手には別の相手がいるのだろうか。でも自分の気持ちはその人から相手を奪うほど強くはない。「。」をつけることによって、自分の気持ちを自分に確かめる。本当にこの恋でいいのだろうかと思う気持ちもあるが、それに麻酔をかけてくるような風が吹いてくるのだ。

冷たいと思わないと思われている鮮魚は氷の上に眠って
 (魚たちは)冷たいと思わないだろうと(人々に)思われている。しかし氷の上にいるのだから冷たいことは間違いないだろう。そして眠っているのではなく、眼を見開いたまま死んでいるのだ。死んでいるけど新鮮というパラドックス。主体も何らかの氷のようなものの上に載っているのだろう。眠ったふりをしているけれど、心も体も冷え切っているのかも知れない。

歯がいつも濡れていること頬はその内側だけが濡れていること
 言われてみれば当たり前なのだが、改めて意識すると、自分の口が生々しいもののように思えてくる。口は、乾く時もある。口の中が乾いている時は、何かを渇望している時、自分が何かに引きつけられている時だろう。口の中がいつも濡れているということは、充実した生々しい生命力を以て、他を引きつけている状態だ。頬の内側も、身体の内側も、内臓まで濡れている印象だ。

ふゆのよる凍りはじめる湖のどこから凍ってゆくのかを見て
 誰かと二人で冬の夜の湖の岸辺に立っている。湖が凍り始めるのはおそらく岸辺からだろう。それを見ていたい。相手にも見てほしい。おそらくは比喩で、湖は主体自身か、主体と相手との関係性を表している。自分のどこが一番冷えているか知って欲しい。それはそのまま、二人の関係性の冷えている部分を知ることに繋がるのだ。

テルミンと手との関係 恋人でなくなったあと友達でもない
 テルミンは手を触れずに演奏する電子楽器。ロシア発の世界最古の電子楽器と言われている。手を触れずに演奏するから、音色は演奏者の体格など身体性に依存するらしい。そんな触れないのに音が出る関係。手を遠ざけてしまったらテルミンは楽器として機能しない。遠ざかること、離れてしまうことが全くの無関係に等しくなる。テルミンの哀愁を帯びた音色が通底する一首。あまり短歌に詠われたのを見ない楽器だが、詩歌との相性は良さそうだ。

見たことがないものだって抵当に入れられる、永遠の恋など
 抵当に入れて、借金の担保にする。普通は家や土地などの不動産を入れるのだが、見えないもの、今まで見たことがないものを抵当に入れるという発想が斬新だ。特に永遠の恋は見たことが無いどころか、存在すら怪しいものだ。「など」によって他にも、ありもしないものを抵当に入れられることを示唆する。きっと借金ではなく、借りているのは何らかの人間関係の利得なのだろう。したたかに見えて、永遠の恋を提示するところに逆に何も信じていない心の儚さがある。

いつだって私を初めて見るような眼だ 球体の水を湛えて
 いつも初めて会うような感覚。お互いに対する、いつも新鮮な気持ちを表現することはよくあるように思えるが、眼に注目したところが特徴だ。目は球体、これも言われてみれば半ば当然のこと。その球体は常に潤っている。涙の成分で目が乾かないわけだが、「球体の水」それを「湛える」という表現で歌が立ち上がった。いつも初めて心が主体を欲した時の視線で、見つめてくる眼なのだ。

真夜中のスーパーマーケットのように淋しい場所を残しておいて
 「真夜中の/スーパーマーケッ/トのように/淋しい場所を/残しておいて」と切って読んだ。二句が三つの長音で伸ばされて、その終りに促音が来る。間延びしたかのようでいて急に切れる。今どきの声調だ。24時間営業で真夜中も開いているスーパー。人は少なく、閑散としているのに、照明ばかりがやたらに明るい。だからよけい淋しい。そんな場所を残しておいてほしい。あなたと私の間に。

きみの本借りれば君の匂いしてどうしよう人は冬へ逃れる
 きみの本には君の匂いが染みついていた。「きみ」と「君」の書き分けで、匂いが直接的なものに感じられる。一首の中に「どうしよう」という心の中の発話が直接放り込まれる。どうしようもない、逃れるしかない。「人」は主体も含めての漠然とした「人」と取った。人は追い詰められた時逃れるしかない。君への思いを持て余し、冬の乾いた空気の中へと逃れて行くのだ。
 
卵液広がるような悲しみに火をつけなくては固まらなくて
 フライパンに卵液を流し込むように、とろりと悲しみが広がる。そのままにしておけない。火をつけなくては、悲しみは悲しみのままそこにとどまってしまう。火をつけて固めなければ。でもまだ今の一瞬は火をつける気持ちになれない。ただ目の前に広がった悲しみを、見つめながら立ちすくんでいるのだ。

左右社 2021.7. 1800円+税

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