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いってしまった言葉が小骨のように、今も私をチクチクと刺す

のどに刺さった小骨のように。
チクリチクリと私を苦しめるもの、がある。

自分の放った言葉や行為のことも多くて。

「どうして戻ってきちゃったの?
子どもの使いじゃあるまいし」

きつい言葉をはいた。

もう20年も前のこと。
ライターさんの取材内容が、こちらのお願いしたことと違った。
やんわりと断られて、相手の意図した内容だけを聞いてきていた。

まだ若いライターさん・なかちゃんは、顔を赤くして憤慨した。
「私はこれでいいと思ったから、です!
そんなこといわないでください!」

「でも、お願いしたことと違うよね」
とひとつひとつ確認をし、なぜ聞くべき内容が必要だったかを改めて、時間をかけて説明した。

「・・・すみません」
なかちゃんは謝ったけれど、もう一度取材に行くことはなかった。

私はその内容を省いて、構成し直した。
再度取材に行っても断られるだろうと思ったからだ。
謝罪の連絡を入れた。

注意するにしても、いい方が悪かった。
きつい言葉をいってしまった。


ふたつ理由があって。

「子どもの使い」
このいい方は、私がその数年前にいわれた言葉だった。
話を聞きに行って、いただいた原稿に納得しなかったのに「NO」といえなかった。
上司に叱られた。
いわれても仕方なかったけれど、その表現に傷ついた。

言葉が、胸につかえていた。

その屈辱を、何年もたってからぶつけたのだ。

申し訳なかった。
100%、私のとがだ。


もう一つは、少し前になかちゃんが
「私、ほめられて育つタイプなんです!
ほめてください!」
と、いったこと。

私は絶句した。
カチンとも来た。
ほめられたらうれしくて育つから、ほめろ、なんて。

仕事ってそういうもの?
ほめてなんて、自分からいうことではないよね。
結果がよかったら、ほめられることもある、くらいだよね。

めったにないけど。
そう思った。

当時は忙しくて、まったく余裕がなかった。
0時を超えるのは日常茶飯事で、時おりは職場で夜明けを見た。

そういう風潮で、時代で、仕事だった。
だからかもしれない。


ふたつの言葉が引っかかっていて、いっぱいいっぱいで、辛辣しんらつな表現をしてしまった。


私が吐いた言葉は。
ずっと私を苦しめた。

なかちゃんが忘れても、私はおぼえている。

チクチクと、私を刺す。

外に出た言葉は、取り消せない。


できることは、誠実に、相手に対していくことしかない。


雑誌編集は言葉の仕事。
プラン、構成、インタビューや取材・撮影。
いくつもの仕事の中で、最後は言葉を「つける」。

本文(書いていただいてチェックすることが多い)を読んで、わかりやすく修正する。
タイトルやキャプション(写真の説明)をつける。

伝わりやすい言葉を選ぶ。


言葉の力を知りながら。
知っているからこそ、口から出た言葉。

許されない。

後悔して、少ししてあやまった。
「本当に、悪かった・・・
あんないい方して、ごめんなさい」

なかちゃんは「いいですよ~」と笑って
「いや~、でもきつかったです。
だから次からは、断られても食い下がるぞって思いましたけど」

明るくて性格のいいなかちゃんに救われた。

なかちゃんとはその後、プライベートでも遊ぶようになった。

だからといって、許されたとは思っていない。

今でも、ふっと頭をよぎる。

今でも、「私、まだまだだな」って感じる。

ごめんね、なかちゃん。


※イラストは猫野サラさんにお借りしました。ありがとうございます。


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