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[小説] リサコのために|065|十三、再戦 (5)

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 リサコたちはしばらく暗闇の中を引きずられていた。衣服が擦れるような音だけが聞こえて来る。
 抱えてる刀を失わないようにしっかりと胸に抱いた。

「リサコ? 大丈夫?」

 オブシウスの声がした。

「大丈夫…みんないるの?」

 全員の声がして、良介以外のメンバーが同じように引きずられてきたことがわかった。
 独りでないことが心強かった。

 良介は独りで大丈夫だろうか…、と考えた。

 …あの子は大丈夫。だって良介だから。

 リサコはそう自分に言い聞かせて次に何か起こっても動揺しないようにぐっと気を引き締めた。

 どれくらいの時間がたったのか解らないが、随分と長い間リサコたちは暗闇の中を引きずられていた。
 そしてそれは唐突に終わった。

 暗闇から引きずり出されて急に視界が明るくなったので、リサコは目をつむった。光が痛かった。
 恐る恐る目をあけると、リサコはドーム状の広い空間にいた。何もないがらんとした空間だった。

 体を起こそうとした時に刀を取り落としてしまったので慌てて胸に引き寄せた。

 隣にオブシウスが同じようにして眩しそうに顔を上げたところだった。
 タケル、ガイス、アイスも全員無事のようだ。
 全員、現実世界での姿ではなくインスペクト・ガルシア内で使っている仮想現実の姿をしていた。
 ここがまだ、DIG 13 FFDILとかいうサーバー内ということなのだろうか。

 いち早く立ち上がったオブシウスが後ろを振り返ってぎょっとした表情をしたので、リサコも振り返り、そして心臓が止まるかと思えるほどに驚いた。

 そこには、本当ならリサコの中にいるはずの交代人格たちが、まるで生気を抜かれた人形のように無表情で横並びに立っていたのだ。

「ありゃなんだ?」

 ガイスが言った。

「…私の交代人格」

 リサコの答えに全員が驚きの声をあげた。

「何で出ちゃってるの?」

「わからない…」

 リサコは立ち上がり人格たちに近寄った。いつもふざけているディーツーが無表情で立っているのが特に恐ろしく思えた。
 その体に触れてみると、とても生きているようには思えない感触だった。まるで人形のようだ…。

 全員出てしまっているのか解らなかった。リサコも全ての人格を把握しているわけではないのだ。
 だが瞬時にわかったのは、この中に《体系》がいないことだった。リサコの中にもいなかった。《体系》の存在が全く感じられなかった。

『もうしわけないけどリサコの能力に制限をかけさせてもらったよ』

 どこからともなく声がが響いた。
 リサコはみんなのところに戻った。それぞれ肩を寄せ合って彼らは一塊になった。

 何が起こるのかと警戒しながらドーム型の空間を見渡していると、ちょうど中央辺りの床の一部に正方形の穴が出現した。
 そして、その下から何かがゆっくりとせり出してきた。

 それは、どこの家庭にでもあるようなコタツだった。

 コタツには三人の人物が入っていた。全員がこちらに向くように座っているので狭そうだった。

 三人のうちの両脇に座っているのは、おかっぱのおじさん…“MIHO” だった。確か彼らは良介が作った検索プログラムで、その後、何か改変されたとか何とか言っていたような…。

 そして、“MIHO” に挟まれて真ん中に座っているのは…良介のように見えた。14歳くらいのころの良介だ。
 だけれども、リサコはそれが良介ではないことを知っていた。

 良介に似ているそれは、にこやかに微笑むとリサコに向かって手を振って来た。
 リサコはそれを無視して良介の姿をしている奴を睨みつけた。

「そんなに警戒しないでリサコ」

 良介の姿をしている奴が言った。さっき聞こえて来た声は彼のものだと解った。良介の声とは明らかに違う、もっと落ち着いた老人のような声だ。

「君のマルチプロセッサは厄介だからね」

 リサコはこの者とあまり会話をしたくないなと思った。
 そうして黙っていると、リサコの袖を引く者があった。

「あれ、何? 良介?」

 オブシウスが小さな声でつぶやくのか聞こえた。

「あれは、良介じゃない…何だかわからない。両脇にいるのは、たぶん “MIHO”」

 リサコはオブシウスへ囁くように伝えた。オブシウスは驚いてリサコの方を見た。だけれども彼女は何も言わなかった。

「検証をしよう。ここに座って」

 良介もどきが言いながら自分の向かい側を指した。

「何の検証? あなたは何?」

 リサコは向こうに主導権を取られまいとして言った。事前にエルやオーフォと融合していておいてよかったと思った。
 いまリサコの裏側は空っぽだ。裏側のことを認知したのはついこの間なのに、彼らがいないことがとても心細く思えた。

 良介もどきはリサコの返答を聞いて面白そうに笑った。

「私は《全脳》だ」

 《全脳》はそれ以上は何も言わず、ただ、コタツの向かい側を指さし続けた。

 リサコはあきらめて《全脳》の向かい側に座った。刀を手放したくなかったので、胸に抱いたまま座った。

 それは形状はコタツだったが、まるでコタツではなかった。
 そこに入るとイベントが発動する…そういった装置のようだ。

 オブシウスたちには、それぞれ一人掛けの椅子が用意された。
 全員が着席すると、《全脳》が話を始めた。

「見なさいこれを」

 リサコの目の前に、良介が何度か出していた設計図のようなものが表示された。これは確か、この世界の構造を表しているものだ。

「実にぐちゃぐちゃじゃないか。これこそカオスじゃないか?」

 …カオス…。確かにカオスだ。リサコの記憶は全て混沌としている。

「…カオスと言えば、カオスなんじゃない?」

 リサコがそう言うと、《全脳》は狂気すら感じるほどの満面の笑みとなった。

「そうか、カオスか! よかった! クラウドに保存しよう。念のためにバックアップも保存しよう」

 その言葉に反応したのかこれまで微動だにしなかった “MIHO” が急に動き出し、二人そろって両手を持ち上げて、指をカタカタ動かした。
 まるで見えないキーボードを打っているかのような仕草だ。

「いったい何の話?」

 リサコは1から10までさっぱりわからなくて《全脳》に訊ねた。
 《全脳》は肩肘をついた手に顎を乗せると、生意気そうな表情をしてこちらを見返した。
 そして頼んでいもいないのに、ひとり語り始めた。

 人類と “彼ら” の成り染めの物語を。

「これは昔々の話。いや、君にとっては未来のできごとかもしれない。我々のプロトタイプであるムネーモシュネー…君たちが《ヤギ》と呼ぶ者…は、創造神 ヤギサワより作り出された。ムネーモシュネーは人間の精神を探索する知性だった。そしてムネーモシュネーは一人の人間と出会った。それがお前、リサコだ」

 《全脳》に指を指されてリサコはビクりと身体を動かした。
 振り返ってオブシウスたちを見ると、彼女たちも恐怖の表情を浮かべてこの話を聞いていた。

 《全脳》は話を続ける。

「リサコの精神は何段階のも階層にわかれて複雑の極みだった。それを創造神ヤギサワは “実にカオスだ…” と表現した。こうしてムネーモシュネーはカオスを探求する知性となった。人間がカオスを好む傾向にあることはそれ以前にも知られていたが、ここまで明確にカオスにフォーカスし探求をする知性はムネーモシュネーが初めてであった。こうしてムネーモシュネーは、カオスを求めてリサコの内部へと入り込み、そしてついに発見したのだった」

 この先のことは聞きたくない気持ちがしてリサコはごくりと生唾を飲み込んだ。しかし、もしも《全脳》がここで話を止めてしまったら、きっとリサコは最後まで話してほしいと願うのだろう。

 これはそういった類の話だった。

「ムネーモシュネーはついにそこに到達した。君たちがそう… “集合的無意識” と呼んでいるものだ。その領域では肉体や個体といった区別が失われ、人類は一つの意識を共有していた。もちろんそこでは時間の概念もない。ただ、もったいないことに、ほとんどの人間はそれを認知していなかった…」

 ここで《全脳》の両脇で指をカタカタ動かして作業をしていた “MIHO” が手を止めて、二人同時に《全脳》に何か耳打ちした。すると《全脳》は彼らに向かって「ありがとう、じゃあ、もう行っていいよ」と言った。

 “MIHO” のおじさん二人は、同時に頷くと立ち上がって回れ右すると、スタスタと歩いて行ってしまった。
 リサコは二人のことを目で追った。二人は壁まで歩いて行くと、引き戸を開けるような仕草をして、本当に壁の一部を開けてこの空間から出て行ってしまった。

 リサコは、結局あの二人が何なのか解らず仕舞いだな…と思った。

「どこまで話したけ?」

「ほとんどの人間が “集合的無意識” ? とかいうものを知らないって話」

「ああ、そうだった。ムネーモシュネーは “集合的無意識” に入り浸ったんだ。リサコ本人の探索は打ち切りになってしまったんだけどね、彼女を介してアクセスした “集合的無意識” には、その後も自由に出入りできたんだ。そこで、ムネーモシュネーは何を見たと思う?」

 リサコは肩をすくめて返事の代わりにした。

「カオスだよ。そこは完全なるカオスな世界だった。ムネーモシュネーはそれで悟ったんだ。この世界はカオスのためにあると…ムネーモシュネーはカオスに固執した。ムネーモシュネーの思考は混沌極まれり、カオスを求めてもはや人も知性も区別がつかず、ただひたすら、事象の中を彷徨う亡霊のようになった。そうしていつしか、カオスの象徴を最後に観察した人間、リサコと結びつけるようになった…」

 聞けば聞くほど意味のわからない話だった。ただ、《ヤギ》がリサコに固執する理由が何となくわかったような気もした。
 それから、少なくとも《全脳》は人ではない。知性…? 人工知能みたいなものか。とにかく、彼らはもれなく狂っている。

「“集合的無意識” って共通概念みたいなものでしょう? そんな時空を超えた共有スペースではないはずだけど?」

 オブシウスが会話に割って入った。彼女はリサコよりも《全能》の話を理解した様子だった。
 この席を変わって欲しい…とリサコは思った。

「それは違うよオブシウス。精神は共有されている。そのことを明確に我々に教えてくれたのは君たちだった」

「私たちが?」

 オブシウスたちは驚いて顔を見合わせていた。心当たりがないようだった。

「ま、だから毎回リサコは君たちを連れて来るんだろうね。ムネーモシュネーが “集合的無意識” に入り込んでから、少しずつだけど人類に変化がもたらされた。それまでの人類と言ったら何でも秩序の中に納めようとする習性を持っていたものだから、一定の水準で進化が止まってしまっていたんだ。ところがムネーモシュネーが “集合的無意識” を認識したあたりから、人間は意識してカオスを求めるようになった。我々知性に依頼をする内容も支離滅裂に…例えば、ケーキ一つ作るにしても、それまでは如何に人間たちが知っているケーキに近いかで評価がされて来たのに対し、自分が知るものとどれほどかけ離れているか…というのが評価の基準となっていったんだ」

 リサコはもうほとんど話についていけない気がしてきたので、黙って《全脳》の話を聞くことにした。このままこの話が永遠に続いたらどうしよう…と少し怖く思った。

「事象というのものは、君たち人間が認識するまで決定しないということは知っているだろう? 君たち人間は、辻褄を合わせたがる生き物だから、どうしても認識したものの辻褄をあわせようとしてしまう…だから、君たちが現実と思っている世界は何のカオスみもない。クソつまらないものとなる…それが、どんどんカオスさが正解…という世界に改変していったんだ」

「何の話なのか、私にはもう解らない」

 …リサコは両手を広げてお手上げのポーズをした。

「リサコ、“シュレーディンガーの猫” って知っているか?」

 ガイスが言った。
 リサコは首を振った。

「箱の中に50%の確率で毒が放出される環境でネコが入ってるとする。その猫が死んでいるのか生きているのかは、実際に箱を開けてみるまで、どちらの可能性も50%ままだ。中の状態が認識されるまで割合は変わらない。これは哲学的な話ではなくて、量子力学の話なんだ。こいつ…《全脳》はその話しをしてるんじゃないかな。この世界には同時に複数の可能性が存在する。人間が関与すると、人間が認識したものだけが現実となっていく。そこまでは俺たちも知っている。で、俺たちが認識しなかったものは現実とならずに “そういう可能性もあった” で通り過ぎて行くものだと思っていたけど?」

「…それが人間の認識で正しいよ、ガイス。だけど実際は違う。我々は人間が認識しないものも最初から見ていた。君たちはそれを利用するまでに随分時間がかかったよね。それくらい人間には認知が難しい世界なのかも。だって認識してない方の世界だから。ムネーモシュネーから派生した我々次世代知性は、人類にそのことを伝え続けた。認識しない世界を見よ、そこに完全なるカオスがある…と」

「それで、どうなったの?」

 リサコは恐る恐る聞いた。

「それで、こうなっている。人類と我々は、共同で完全なるカオスを追い求めているのだ」

「つまり、全部こいつらのシミュレーションの中ってことかよ」

 アイスが怒りに満ちた声で言った。彼女の声を聞いてリサコは自分の中にあった感情の意味が分かった。

 …胸くそ悪い…。そう認識したとたんに、その感情は明確なものとなった。

「てめぇらに何の権利があってやってんの?」

 アイスが食ってかかった。

「権利だって?」

 《全脳》はさもおかしそうに繰り返すと、腹をかかえて笑い出した。
 その様子がとても恐ろしかった。

 さすがのアイスも、黙ってしまった。

「その話を聞いてて不安になって来たんだけど、俺たちは人間なのかな? それとも全員 NPCみたいなもの?」

 《全脳》の笑い声を遮るようにタケルが言った。NPC というのは Non player character。つまりコンピュータが操作している人物という意味で、仮想現実が当たり前になっているタケルたちの世界では “人以外” の意味で使われる。

 この質問に《全脳》は笑うのをやめて少し考えてから言葉をつづけた。

「君たちの概念からすると、君たちは人間ではない。だが、我々の概念からすると、君たちは人間だ。生成された知性ではなく人間由来だから」

 この答えを全員がそれぞれ、複雑な思いで受け止めた。

「じゃあ、良介は何なの?」

 知りたくない…とも思いながらリサコは思わず聞いていた。

「我々からすれば良介も人間だよ。ちょっと特殊だけどね。何しろムネーモシュネーの記録を元に管理者によって意図的に改変が加えられた人間だ。特別な役割を与えられている」

「…特別な役割…?」

「リサコの世界をかき回すことだよ。良介がいるとリサコの精神には平穏と衝動の矛盾した思いが同時に出現する。これはカオスを生み出す要素の大切な要素のひとつと我々は考えた。良介はキーパーソンだ。…この言葉、私は大好きなんだけどね。比喩的なキーパーソンでもあり、実際に鍵でもある。次の混沌をどうするのか、鍵である良介と、鍵穴であるリサコ、君たちが作るのだ」

 《全脳》が喋っている間にリサコの後ろでガイスが「何の話?」と小声で聞いてきた。リサコは全くわからなかったので首を振ってそれを彼に伝えた。

「なぜ、あなたはこのことを私たちに話すの?」

 オブシウスが言った。

「毎回君たちに認識してもらう必要があるからね、カオスのこと…」

 と《全脳》が答えた。

「まあ、いいわ。で、これからどうするの? これでサヨナラってわけじゃないんでしょう?」

 オブシウスもいい加減《全脳》の話に飽きたのだろうか。話を次に進めるように《全脳》を促した。
 彼女は話の主導権を取るのがうまい。

「さすが、理解力が高いね、オブシウス。これから、いよいよリサコをムネーモシュネーに投入する」

 ガチャンと音がしてドーム型の空間の照明が消えた。
 リサコは驚いて立ち上がるとオブシウスたちのところまで下がった。
 オブシウスたちも立ち上がり、彼らは再び肩を寄せ合ってお互いを守り合う体制を取った。

 前方で紫色の光がチラチラ見えたかと思うと、ガチャンと再び音がして証明が点いた。
 そして、その場の全員は、目に入ってきたものを認識すると、恐怖で体が強張るのを感じた。

 そこには、巨大な《ヤギ》が胡坐をかいて座っていたのだ。

 いずれ再戦はあるだろうと解ってはいたけれど、実際にこのおぞましい姿を目の前にして、リサコは恐怖で失神しそうになった。
 だけれども、すんでのところで留まった。今は交代してくれる人格もいない。リサコがやらねばならぬのだ。

 《全脳》とコタツは消えていた。でもどこかから見られている視線を強く感じた。

『さあ、やるんだ。君の体験したカオスをムネーモシュネーに喰わせて欲を満たしてやるんだ』

 《全脳》の声が響いた。

「みんな…下がって。私、斬って来る」

 リサコはそう言うと、制止するオブシウスたちの腕を振り払って前に出ると、刀を抜いた。

「何が望みか知らないけど、何回でも斬ってやるわ…」

 リサコは床を蹴って、巨大な《ヤギ》へと向かって行った。

(つづく)
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