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[小説] リサコのために|052|十一、展開 (1)

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十一、展開

 さて、良介がリサコ奪還のために奮闘している間、リサコの中では何が起こっていたのかを語ろう。

 リサコはヤギの首を落とした後、精神の奥深くから ≪体系≫ の導きによって精神の表層まで浮上した。
 良介の時間でいうと、八木澤博士によるムネーモシュネーの調査が強制終了したあたり。

 私が誰かって?まあそれは後で出てくるから待っていてほしい。

 精神の表層。

 そこは、彼女の交代人格たちが普段暮らしている場所でもある。
 交代人格たちはここでそれぞれ情報交換しこれまでなんとか “リサコ” という人間を運用してきた。

 彼らの使命はひたすらリサコを守ることであった。
 地獄のような現実から彼女を遠ざけること。

 彼らは自分たちの存在をもひた隠しにしてきた。

 知らぬが仏。

 それが交代人格たちのモットーだった。

 だが、それにも限界がある。
 ムネーモシュネーによって記憶がかき回され、これまでかろうじて均衡を保っていた “リサコ” の運用が崩壊寸前まで追い込まれていたのだ。

 そうして、そこに、神のごとく現れたのが良介だった。
 リサコにとって良介は常に灯台だった。
 そこに立って彼女を導いてくれる者。

 疎遠になっていたことを責める人格もいかたが、最終的には満場一致で全面的に彼にリサコの運命を託すことが決定された。
 幸い良介もそのつもりでいるようだった。

 そしてついに、リサコにもこの彼女の複雑な精神構造を知らせる時がきたのだと、主要人格たちは話し合い決意した。

 表層に上がって来たリサコは想定以上に冷静で、それには ≪体系≫ も驚いていた。

 深層心理の下層部は ≪体系≫ にも手が出せない未知の領域であるのだが、そこで何が行われていたのか、まるで見当がつかなかった。

 こうして、リサコはおよそ十年ぶりに現実世界で目を覚ました。

 唐突に現実に戻ると告げられ、動揺したリサコが慌てて席を立とうとすると、その肩を誰かが優しく抑えた。

「リサコ、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だよ。」

 聞きなれた声がした。
 振り向くと、見覚えのある人物がリサコの肩を押さえていた。

 良介…?

 確かに良介だが、リサコの知る良介よりもずっと大人になっているようだった。
 あのもっさりした金髪はもう少し落ち着いた色になり、少しすっきりしていた。

 それでも良介だとリサコには判った。

 リサコの中に新しい記憶が流れ込んできた。
 これまで体験したどの人生とも異なっている記憶。

 それは、母が自死し、その後父親に虐待されていた第一の人生とも異なっていた。

 それは、茂雄という祖父と、その弟子・良介の3人で暮していた第二の人生とも異なっていた。

 それは、ヤギの夢に取り込まれて繰り返し見た母親としての第三の人生とも異なっていた。

 それは、AIたちの中に放り込まれ、自分は山本 理沙子のコピーデータだとAIの良介に告げられた第四の人生とも異なっていた。

 今、リサコの脳に流れ込んできているのは、そのどれとも違う、第五の人生だった。
 リサコの母が事故死し、父親に暴力を振るわれ、向かいの家の良介の家に居候していた日々の記憶。

 それらがどっと流れ込んで来た。
 その記憶がリサコの脳内で活性化されるのに要した時間はほんの数秒だったが、リサコは体感的に何年もその記憶の中で過ごした。
 こうして彼女は、自分が覚醒していた時間の記憶を全て取り戻した。

 リサコの中ではこれまで経験した全ての人生の記憶が混在していた。
 矛盾した五つの自分。それらが一緒に同列にあったが、リサコはそれを素直に受け入れた。

 同時にリサコは、自分以外の存在が自分の中にいることを知った。

 全て自分…。

 目をあけると良介がいた。
 良介は大人になっていた。

 リサコは良介の前髪にゆっくりと手を伸ばして触った。幻覚ではなく本物だった。
 その奥にある小鹿のようなかわいい瞳はリサコの知る良介と全く同じだった。

「…良介? 良介なの?」

 良介が頷くと、リサコの両目に涙があふれてそして零れ落ちた。
 良介がこうして側にいることに、これほどまでに安堵するとは自分でも驚きだった。

 たまらずリサコは良介にしがみつき、強く抱きしめた。
 良介も同じくらいの力で抱き寄せてくれた。

 彼も泣いているのがわかった。

 やがて気持ちが落ち着いてくると、リサコには一つの疑問が生まれた。

 これは、どの良介だ?

「ねえ、あなたはどの良介なの?」

 リサコはバカげた質問と解っていながら思わず質問した。
 良介はまるでピンと来ていない表情をしていた。

「どの良介って?」

 良介が聞き返して来た。
 質問の意味がわからなかったようだった。

「人間の良介なの?」

 言ってから我ながらこれは異常な質問だと思ったけれど、確かめずにはおれなかった。

「人間の良介…だと思うよ。じいちゃんと二人で暮していて、君の家の向かい側に住んでいた…」

 この回答でリサコは目の前にいる良介が一番新しい記憶…第五の人生の良介であると理解した。

「ああ、そっちの良介…。大きくなったね」

 この良介はじいちゃん・茂雄の死を見届けた後に、リサコがイギリスへ送り出した良介だ。
 よかった。立派な大人になっている。

 リサコは再び良介を抱きしめた。
 良介の心臓がドキドキと力強く鳴っていた。

 しばらく良介の温もりを堪能してから、リサコは少し状況を整理しようと心を決めた。
 ゆっくり彼から体を離すと、リサコは静かに話し始めた。

「私、たぶん、ずっと心の奥にいていきなり目を覚まして混乱している状態なんだと思うんだけど…あってるかな? 子供のころから私、時間を飛ばすことができたんだけど…この話ってしたことあったけ?」

 良介は頷いた。

「今回、ものすごく長い時間を飛んでしまったようなんだけど…」

 良介は少し動揺している様子だった。
 どこまでリサコに話そうか迷っているようだ。

「十年くらいだよ」

 …十年。思った以上に時間が飛んでいて驚いた。
 良介が童顔なのでわからなかったが、しっかりすっかり大人の年齢なのだと思うと本当に驚きだった。

「俺がイギリスに行った後のことだから詳しくは解らないけど、いろいろな状況を考えて、君の記憶は16歳くらいから途切れていると思う。違うかな?」

 リサコは記憶をたどってみた。
 じいちゃんの葬式の後の記憶があいまいだった。だが、ここはその時間の延長線にあるようだ。

 何か恐ろしいものを見たような気もするが、そのことを思い出そうとすると、緑色のドロドロを吹き出して階段の上にゆらゆらと立っている父親の情景が割り込んで来てうまく思い出せなかった。

 あの緑のドロドロはこの時系列ではないはず…。
 リサコの記憶は16歳のある時を境に混沌としていた。

「記憶がかなり混乱しているんだけど…たぶんそうだと思う。あなたがイギリスに行っちゃってからの記憶はほとんどないみたい…あ、タケルさんは元気なの?」

 急にタケルのことを思い出した。じいちゃんの葬式の時に突然現れた良介の親戚だ。

 リサコが深層心理の深層部でヤギと戦っていた時の仲間タケルとは別人だろうか?
 良介の親戚だというタケルさんはどちらかというガイスと印象が被る気がした。

 深層心理の中で出会ったAIたちは、リサコの知る誰かの代理だったりするのだろうか?

 タケルの名がリサコの口から出て、良介の表情がパッと明るくなった。

「ああ、元気だよ。まだイギリスにいる。事業が成功して忙しいんだ」

「ふーん…会いたいな…で、今は、何年なの?」

「2020年だよ」

 それを聞いてリサコは、ただ、おお…と言った。
 頭では解っていたが、実際に西暦で言われるとかなり未来に来たように思えた。

 ここで良介の電話が鳴った。

 良介の持っている電話は、リサコの知っている携帯電話とは違っていて平たい板のようなものだった。
 良介は電話に出ると、向こうの相手と話しはじめた。

「……どういうことって?……あ、ごめん、ずっと取り込み中だった ……そうだ。そのことでちょっと先崎に頼みたいことがあるんだけど、電話だと言えないから今から家に来てくれないか?」

 うっすら聞こえる声から相手は女性だとリサコは推測した。
 相手は怒っているようだった。

 か、彼女なのかな???

 良介に彼女…?

 大人なのだからいてもおかしくない…。しかし良介に彼女など想像がつかないのであった。

 電話を切ると良介は神妙な面持ちでリサコを見返した。
 リサコはごくりと唾を飲み込んだ。

 リサコは想像した。
 これから自分の彼女が来るんだと言うつもりなんだ…と。

 ところが良介はリサコが全く想像していなかったことを言った。

「ああ、あのさ。俺、今、刑事をやっているんだ。」

 その言葉にリサコの頭は真っ白になった。

 刑事?

「え? うそでしょう?」

「いや本当なんだ…」

 良介はリサコに警察手帳を見せた。

「うわ…本当だ…」

 リサコは手帳と良介を何度も見比べた。本物だった。
 良介は照れ臭そうに頭をポリポリ書きながら続けた。

「…なんだけど、ちょっといろいろあって警察を辞めないといけない流れになっていて…」

「いろいろって? …まさか私が何か関係している?」

 リサコは自分と良介が思った以上にまずい状況になっているのだと雰囲気から察した。
 良介はどこまで話そうか迷っている様子だったが、話をはじめてくれた。

「俺、高校生の時に日本に戻って来たんだけど、君とは再会できずに今まで来てしまって…」

 良介は進学した高校の友人の影響で警察を目指すようになり、刑事になった。
 そこで偶然、リサコの父親・幡多蔵の傷害事件のことを知り、リサコが唯一の目撃者として不当な方法で調査を受けているところを知り、何とか救い出してくれて今に至る、とのことだった。

 父親が既にこの世にいないことを知ってもリサコに驚きはなかった。
 それよりも、幡多蔵の死因が気になった。

 まさか…緑のドロドロで死んだのではないよね…。リサコはおかしいと思いつつも確認せずにはおれなかった。
 どうやらこの世界の幡多蔵は緑のドロドロでは死んでいないようでリサコは少しほっとした。

 あとはヤギだ…。あの気味悪いヤギはこれと何か関係あるはずだ。
 だってあいつの首を切ったらここに来たんだもの。

「ねえ、その私が受けていたっていう、不当な調査ってヤギと何か関係ある?」

 思い切って聞いてみた。良介はギョッとしたような顔をしたが、「ヤギとは関係はないよ、だぶん」と言った。
 リサコはこれは何かあるなと思ったが今は知らないフリをすることにした。

「ふーん、じゃああれは夢か? なぜ良介が警察を辞めないといけないの? 悪いのはその不当な調査をしていた側でしょう?」

「確かに、戦えば勝てるかもしれない。だけど俺はもう警察の仕事に興味がなくなっちゃったんだよね。リサコと平和に暮らせる仕事を探すよ」

 何それ…。良介がまるで自分と一緒に暮らそうと言っているようでおかしな発言だった。
 もう良介には良介の人生があるのだから昔みたいに一緒に暮らすなんてことはできないのだとリサコは解っているつもりだった。

 だけどそんなことを言われたら期待してしまうじゃないか。

「父さんをやった奴は誰なの?」

 照れ隠しにリサコは話題を変えた。

「犯人は解っていない。警察は君が目撃者だと考えているけど、君にはその記憶はない。それは俺が証明しておいたよ」

 父親の話しをしてみたものの、リサコはまるでもう興味がなかった。
 なんだかもうそのことは考えたくないと思った。

「…まあ、父さんのことも、犯人も私にとってはもうどうでもいい…かも。これからどうするのかの方が心配だな…」

「これからのことはゆっくり二人で考えよう。警察を辞めたら時間はたっぷり作れるから」

 ほらまた。そういうことを言う。
 私をここにしばらくおいておくつもりなのだろうか。
 昔の状況を再現しようとしているのかもしれないけど、さっきの電話で来て欲しいと頼んでいた彼女らしき人にどう説明するつもりなのだろう?
 それとももう説明済?

「…私、ここに居てもいいの?」

 良介がどういうつもりなのかわからなくなってリサコは聞いた。
 すると、良介は少し慌てたような表情になった。

 ほら…やっぱり何も考えてなかったな…。

 これから自立して住む場所を早急に決めないとな…とリサコが腹をくくると同時に、良介から意外な言葉が出た。

「あ…えと、その、今、俺とリサコは夫婦なんだ…」

 え…

 リサコはその思いがけない言葉に固まってしまった。

 夫婦? …え、夫婦??

「君を連れて帰るのにどうしても必要で…」

 良介は急にモジモジしながら言い訳のように言った。

 どういうことなのか思考が追いつく前に、リサコの脳裏に ≪体系≫ の顔がチラついた。特に女の方。

 なるほど! あいつの入れ知恵か!!

「ああ、そういうこと?」

 リサコが勝手に納得して言うと、良介はあはは~と笑ってごまかした。

「それ、良介の発案じゃないでしょう。婚姻関係になるってこと。あなたが思いつきそうもない。≪体系≫ じゃないの? こんな入れ知恵したのは」

 ≪体系≫ の名を出すと、良介の顔色が変わった。
 これはもっと念入りに話し合う必要がありそうだった。

「隠さなくていいよ、良介。私、会ったんだ、目覚める前に。双子の姉弟 ≪体系≫ に」

 良介はごくりと生唾を飲み込んだ。

(つづく)
[小説] リサコのために|053|十二、展開 (2) →

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