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[小説] リサコのために|067|十四、再構築 (1)

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十四、再構築 (1)

「斬った! 私、斬ったよ!」

 リサコは興奮してオブシウス達の方を振り返った。

 そこには誰もいなかった。

 真っ暗闇。

 ただそこには暗闇があった。

「オブシウス?」

 リサコは恐る恐る彼女の名を呼んだ。
 返事はなかった。

 リサコの声は空間に吸収されて詰まったようにまるで響きのない音だった。

 真っ暗闇で何も見えない…けれども自分を見下ろすと、自分の手や体はくっきりと見えた。
 まるで黒背景の中に切り抜かれた画像のようにリサコだけが浮かび上がって見えた。

 リサコはまた何か変化したのだと理解して身構えた。
 いい加減、ここまで来ると変転にいちいち驚いてはいられなくなっていた。

 今は自分一人…。《表層の店》も感じられない。リサコの裏側の人格たちもいないようだった。

 オーフォから受け継いだ冷静さがリサコを正常に保ってくれた。

「《ヤギ》を斬ったところでどうにもならない」

 後ろで声がしたので振り返ると、そこには小さな女の子が立っていた。彼女もまた暗闇の中で切り抜きされたように浮かんでいた。
 うつむいた顔に前髪がかかって顔は見えない。

 おかっぱの髪の毛がどこかで見たような気がした。

 薄い肌着のようなものしか身に着けておらず、寒そうだった。

「《ヤギ》を斬ったところでどうにもならない」

 また少女が言った。

「なぜ? 《ヤギ》は世界を破壊しているんでしょう?」

 リサコは言い返した。

「それは違う。《ヤギ》が破壊しているのは私の…内部だ」

「あなたの内部?」

 リサコが少女の言葉を繰り返すと、少女が顔をあげ、あんぐりと口を開けた。
 上を向いても少女の目は前髪に隠れていて見えなかった。

 少女の口の中にはギザギザの歯がいくつも重なって生えていて、その歯に、毛なのか肉片なのか、何だか知りたくもないものがこびりついているのが見えた。

「やめて、口を閉じて」

 リサコはたまらず言った。

「見るのをやめる? この中を見るのをやめる?」

「そんなものは見たくない」

 リサコが否定すると、少女はまた口を閉じて下を向いた。
 リサコはほっとしてその場にしゃがみこんだ。

「リサコが見なくたって、《ヤギ》が今でもここをほじくり出そうとしてる。穴を開けられるのは時間の問題だよ」

「《ヤギ》は私がさっき斬った」

「だから、《ヤギ》を斬ったところでどうにもならないって言ったでしょう。プログラムは走ってしまったのだから」

「《ヤギ》が私の…本物の私の精神をほじくっていたのはずっと昔のことなんじゃないの?」

「ここでは時間なんて何の意味もない。今は今、ずっと今の話だよ」

 少女もしゃがみこんでリサコの顔を覗き込んで来た。

 少女は思いのほかつぶらな瞳をしていた。どこかで見たよな目だった。

「じゃあ、どうしたらいいの?」

 リサコが問うと、少女はどこからか小ぶりのハンマーを取り出した。

「これで私の顔を破壊して」

 リサコは少女の言った意味をしばし考えたが意味がわからなかった。

「どうして?」

「こっから出て来れないようにするんだよ。ハンマーでかち割ったらお終いにできるって知ってるんだろう?」

 少女の口調が急に変わったので、リサコはギョッとして立ち上がり後ずさった。

 少女はニヤリと笑ってさらに続けた。

「俺はな、お前が心配なんだよ。お前はいつまでもガキのまんまだからな…。だけどなこればっかりは自分でケリつけな」

 リサコはこのような喋り方をする人物を知っていた。

 …父さん。父さんだ。

「父さんなの?」

 リサコは震える声で訊ねた。
 それに対して少女はバカにしたように鼻で笑った。

「俺が誰かなんて今は関係ない。とにかくやらないと、この口の中のものが出てきちゃうぜ」

 言いながら少女は口をあけた。再びあの不気味な無数の尖った歯が見えた。
 少女がハンマーを突き出して来たのでリサコはそれを受け取った。

 ハンマーを握っても、リサコはとてもこの少女の顔を割ることなんてできないと思った。

 いくらこの口が不気味で人間ではないのだろうと解っていてもだ。

 そうして躊躇していると、少女の口の中から腕が一本伸びて来た。
 少女の歯に引っかかり、腕は血みどろになっていた。

 それは大人の男の腕のようだった。

 リサコには見覚えがあった。
 父さんの腕ではない。誰か別の奴の腕だ。

 腹の底の方に鉛が入ったような感覚がした。
 それは本物の恐怖の感覚だった。

 かつてのリサコにとってお馴染みの感覚だった。
 だけれども、リサコはその恐怖の原因が何だったのか思い出せなかった。

 この少女の口の中から伸びてくる血みどろの腕と関連があることは確かだった。
 その腕の手の指がグニャグニャと別々の生き物のように動いていた。

 リサコはこの指の感触を知っていた。
 おぞましい感触。自分のことをひどく汚らわしいと思わせる、指の感触。

 リサコは一瞬の強い殺意に突き動かされて、少女の口から伸びた腕に向かってハンマーを振り下ろした。

 するとハンマは腕をすり抜けて少女の顔面を強打した。

 リサコは驚いてハンマーを取り落としてしまった。

 少女の顔面が割れて血が噴き出した。
 口から伸びていた腕はいつのまにか引っ込んでしまった。

「もう一回。再起不能になるくらいに、記憶もろとも粉々に」

 少女が言った。
 リサコは意を決してハンマーを拾うと、少女の顔面を何度も打ち砕いた。

 段々と少女の顔は原型を失い、ドチャッドチャッとハンマーが肉を叩く音だけが暗闇の中に響いた。
 それでもリサコはハンマー振り下ろし続けた。

 そうしてしばらくリサコは、まるで鍛冶職人のように少女の顔を叩いていたが、完全に破壊できたと確信が持てたところで手を止めた。

 リサコはグチャグチャに破壊された少女の顔を見下ろして、何の感情も湧いてこないことに少しショックを受けていた。
 こんなことをしてしまったのに、何とも思わない。ごく当然のことのように動いてしまった。

 何か自分の中でわだかまっていた原因不明のモヤモヤがなくなったように思えた。
 ここから何か出てくることはもうない。二度とない。もう二度と出て来ない。

 リサコは急に安心して返り血を浴びたまま、その場に横になった。
 隣では少女の動かない体が同じように横たわっていた。

 周りが全て真っ黒なのでどこが地面なのかよくわからなかったが、こうして横たわっているところがどうやら地面のようだった。
 そこは固くもなく柔らかくもない、何もないに等しい極限までに抵抗がない地面だった。

 このままリサコもここでずっと横たわっていようと思った。
 もう疲れてしまった。

 良介に会いたかった。

 いまごろどうしているだろうと思った。

 リサコが会いたいのはただひとり、この世でたった一人の良介だけだった。

 リサコは闇の中に横たわり目を閉じると、「良介…どこにいるの?」と呟いた。

 だけれども良介は現れなかった。

 それはそうだ。恐らくここは良介が入れないと言っていたリサコの深層の中だ。
 さきほど《ヤギ》を斬ったところからここにどうやって来たのかわからないけれど、ここはリサコの真理の深層部なのだろうと、リサコは考えていた。

 リサコはずっと暗闇に横たわっていた。

 何時間も、何年も、何百年も何千年もそうして暗闇に横たわっていた。

 そろそろ暗闇と同化してしまうのでは…と思えるころ、ようやく変化が訪れた。

 目の前の暗闇に亀裂が入り、光が差し込んで来た。

 リサコは上半身を持ち上げると、これから起こることを見守った。

 いつのまにか少女の体は消えていた。
 あれほど浴びた血飛沫も消えていた。

 リサコは清潔な白いワンピース姿になっていた。

 暗闇を引き裂くように開いているのは、巨大な指だった。
 巨大な両手が暗闇の隙間に指を刺し込んでこじ開けているのだ。

 どんどん暗闇が開かれて向こう側が見えて来た。

 そこに見えたのは、良介の顔だった。

 そこには、何十メートルもあるかと思える、巨人の良介がこちらを覗き込んでいた。

(つづく)
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