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[読切] 怪獣さん

 リリーは引き出しを開けるときちんと畳まれている紺色の羽織を取り出し袖を通した。
 この制服に着替えると、仕事モードに気持ちが切り替わる。

 自室のドアを開け通路に出る。
 彼女の仕事場は居住区の中央にあるので外に出ることなく出勤ができる。

 リリーはこの世にたった六人しかいない ≪怪獣さんのお世話係≫ の一人だった。
 お世話係は戦闘型の中から選抜される。任期は六百日。就任辞退や途中退職の自由があり、欠員が出ればすぐさま増員され、常に六人で形成されている部隊だ。

 ここでは、生まれてすぐにその素質を検査され、ある程度の型が通知される。そして十六になるころに就職先の型を申請するのだ。
 型はいつでも変更可能だが、大体の者は一生同じ型として過ごすことが多かった。

 リリーは生まれてからずっと戦闘型だった。
 戦闘型は主に居住区南方に広がる裏庭バックヤードに出て主食であるギンズモーを狩る仕事をしている。

 その中から特に優秀な者が ≪怪獣さんのお世話係≫ として選ばれるのだ。
 お世話係はこの世で最も危険な仕事であり、任期満了までの生存率は40%ほどと言われていた。
 戦闘型にとっては名誉な職業であったが、その仕事内容から忌み嫌っている者も少なくなかった。

 自室を出て数分後、リリーは職場の前室に到着していた。
 既に他の面々も揃っており、各自それぞれのルーティーンを行っていた。

 自分で入れたお茶をゆっくり飲んでいるのがマキさん。この部隊のリーダーだ。
 入口横で腕立てをしているのが筋肉バカのタケル。
 奥の方で椅子に座って瞑想めいたことをしているのがトーヤ。

 ここにリリーを加えた四人が本日の担当である。

 リリーは壁際に立って視界の端で瞑想にふけるトーヤを眺めた。
 これがリリーの毎朝の日課だった。

 彼とはほぼ喋ったことがないのだが、リリーは彼を眺めるが好きだった。
 それは単純に容姿やたたずまいが好みというだけのことだった。
 普段からあまりに見ていると頻繁に目があってしまうので、リリーは彼が瞑想中を狙って眺めるようにしていた。

 だからと言って特に親しくなりたいと思ったことはなく、窓辺の花を愛でている少女と同じような感覚なのだ。とリリーは自分に言い聞かせていた。

 戦闘型の人間は他人との関係が密になることを恐れていた。
 誰とでも仲良くはするがどこかで距離をおいている。

 それはいつ死んでもおかしくない職種のため、本能的にこの世に未練やしがらみを残さないようにしているためである。
 だから喧嘩もしない。喧嘩をするほど相手に踏み込んで行かないのだ。

 ≪怪獣さんのお世話係≫ のメンバーも、命を預け合っている関係なので心の底から信頼はしているが、過度な情はかけないようにしていた。
 いや、情が移らないようにあえて意識して距離を置いているのだった。

 こうして一緒にいるけれど、個々は個々、他人は他人。

 リリーはいつも自分にそう言い聞かせていた。
 特にこの前室でみんなと一緒にいるときに、そう繰り返し自分に刷り込んでいた。

 始業の時間となり、彼らの上官である指令係が前室に入って来た。
 指令係は代々同じ家系の者が担当しているために、その容姿で役職がわかる珍しい職種である。

 吊り上がった細い目。ニタニタ笑っているように見える裂けた口。そして異様に尖った耳。
 彼らの先祖は人間ではないとの噂もあったが、それについて話すことは許されていなかった。

「本日のノルマは700片です。怪我に気を付けて安全に遂行してください。ではどうぞ」

 指令係は淡々と述べると武器が納められている奉納室の扉を開けた。

 マキ、タケル、トーヤ、リリーの順に奉納室へと入った。

 奉納室には六本の刀が鞘に納められた状態で保管されいる。
 これらは担当の特性を考慮してそれぞれカスタマイズされた怪獣さん用の武器だった。

 リリーは自分の刀を手に取り腰に差した。

 全員が武器の装着を追えると、奉納室の前面の壁がせり上がり、いよいよ怪獣さんの鎮座する大広間へと入る時となった。

 怪獣さんは結界紐でグルグル巻きに拘束された状態で今日も大人しくうずくまっていた。うずくまっていると言っても高さはリリーの十倍はある。

 お世話係たちは怪獣さんに向かって一礼をすると、大広間へと足を踏み入れた。

 怪獣さんはここの住民にとって必要不可欠な三大栄養素をもたらしてくれる人知を超えた存在である。
 それはかつての人類が人工的に作り出したものとも言われているがその素性は謎に満ちていた。

 怪獣さんは巨大な肉の塊だった。斬っても斬っても再生する生きた肉塊だった。
 どんなに切り刻んでも死なない、不滅の肉塊なのだ。

 怪獣さんの肉は上の方ほど上質とされ好まれた。
 人々は毎日この肉を裏庭バックヤードで採れるギンズモーに詰めて調理したものを食していた。

 毎日必要分の肉片を採取する。それがお世話係の仕事だった。

「いくぞ!」

 マキさんの掛け声で、全員が刀を抜き飛んだ。
 怪獣さんの体に次々と飛び乗り登る。

 お世話係が登って来ると、怪獣さんは細長い触手を体内から伸ばして攻撃してくる。触手は結界紐をすり抜けて飛んでくるので、それをかわしながら素早く登る必要がある。
 触手からは毒が出ることもあるので、捕まると場合によっては命に係わる事態となる。

 怪獣さんの肉はぶにゅぶにゅしている。
 滑るし足が埋まる。

 並みの身体能力では怪獣さんに登ることはできない。

 リリーたちは驚異的な脚力で怪獣さんのてっぺんへ登ると、一斉に刀を振り下ろし肉を斬った。
 怪獣さんの体液がほとばしり、リリーは全身ずぶ濡れになった。

 だいたい彼女は最初の一撃でいつもビシャビシャになっている。

 怪獣さんの血液は濃い青色をしていた。彼らの羽織が紺色なのは返り血を浴びても汚れが目立たないためなのだ。

 生臭い血のにおいが鼻をついた。
 リリーたちはもう慣れっこだが、怪獣さまの体液は臭い。生ごみのような臭いがするのだ。
 完全に血抜きをしないと食べられないほどに臭かった。

 肉を斬られた怪獣さんは痛がって吠え暴れた。
 こんな肉塊でも痛覚が存在するのだ。

 怪獣さんが暴れると結界紐がビンッと張り、動きを強く拘束した。
 それで切り口が裂けて余計に血が噴き出した。

 怪獣さんの雄たけびが広間に響いた。

「一旦退避!」

 マキさんの号令が飛ぶ。
 全員が下に降りると怪獣さんがまた吠えた。

「怪獣さん、ご機嫌斜めだね。一人ずつ登ろうか。リリーから」

「はい!」

 返事をすると同時にリリーは軽快な足取りで怪獣さんに登りはじめた。
 触手が伸びてリリーの肩をかすめる。寸でのところでそれを避け、上へ上へと進んだ。
 頂上まで登りきると、リリーは力を込めて肉片を斬った。

 ぐぉおぉぉおお…と怪獣さんが叫び足元がぐらついた。
 リリーは慌てて下に降りたが、降りている途中で触手が背中に当たって足を滑らせてしまった。

 幸い毒は出していなかったようで打撲の痛みだけで済んだのだが、バランスを崩したままでリリーは怪獣さんの体を勢いよく滑り落ちた。

 このままでは床に激突だ。

 少しでも落下スピードを落とそうと、怪獣さんの体に刀を突き立てようとしたその時、ぐっと誰かに胸元を摘まれて無事に下に着地することができた。
 見ると、助けてくれたのはトーヤだった。

「あ、ありがとう」

 リリーがお礼を言い立ち上がると、トーヤは無言で離れて行った。

「大丈夫か? リリー?」

 向こう側からタケルが声をかけてくれた。

「大丈夫!」

 リリーはタケルに向かって叫んだ。

 怪獣さんがまた吠えた。見上げるとマキさんがもう上まで登って斬っていた。彼女の動きは目で追えない時があるほど早い。
 返り血もほとんど浴びないほど早い。

「よし、次、トーヤ登れ」

 マキさんが怪獣さんから飛び降りながら言った。

 トーヤが登っていく。素晴らしい足さばきだ。
 彼の動きは全てが美しかった。

 リリーはトーヤの姿にうっとりと見惚れた。

 しなやかな動きはもはや芸術だった。

 トーヤが卒なく肉片を斬り取ると、続いてタケルが登って行った。
 タケルはトーヤとは対照的で雑だが重みのあるパワー系の剣士だった。
 力強い足取りでガンガン登って行った。

「タケル、もう少し優しく登って。怪獣さんが暴れてる」

 マキさんが下から指示を飛ばした。

「わかってるって」

 タケルは先ほどより少し柔らかいステップに変更して登り、頂上で思いっきり刀を振るった。

 ズバッと大きな肉片が飛んだ。

 怪獣さんは痛がって暴れ触手をブンブンと振り回した。
 その度に結界紐がビンッと音をたてながら締まった。

 今日は怪獣さんの機嫌が特に悪いみたいだった。
 怪獣さんも人間と同じで情緒や体調があることが知られていた。

 怪獣さんが暴れる日は一人ずつ登った方が効率がよいので、その日はずっとこんな調子で順番に登っては肉片を斬り続けた。

 お世話係たちは毎日朝から夕方まで昼休憩なしでぶっ通しで働く。
 登っては斬り、登っては斬り。

 その度に怪獣さんからベチャッドチャッと肉片が落ちて、ザバザバと青い血が飛び散った。
 そぎ落とした肉片は床に落ちると自動的に回収口へと運ばれて加工所へと落ちて行った。

 その日はなかなか手こずったがなんとかギリギリ夕食時間に間に合うようにノルマを達成することができた。

 仕事を終えた面々は怪獣さんに一礼し広間に背を向けて奉納室に戻った。
 怪獣さんも疲れて眠ってしまったのか静かになった。怪獣さんも眠るのだ。

 刀を置き前室に戻ると、ちょうど集めた肉片の集計が終わったところだった。
 指令係は満足そうにうなずいて「今日もご苦労様でした」と言った。
 この言葉を合図にお世話係は解散となる。

 リリーは朝来た通路とは別のルートを辿って自室に戻った。
 これはリリー独自の験担ぎだった。自分でも理由はよくわからない。
 行きと帰りで違う道を通ることで、死を回避できるような気がしているのだ。

 自室に戻ると、まずは返り血をたっぷり浴びた紺色の羽織とその下の服を全て脱ぎ洗濯機にぶち込んだ。
 これで翌朝には新品同様になって引き出しに戻って来る。

 熱いシャワーを浴びると、彼女の身体からは青色の水が流れ落ち怪獣さんの臭いが漂った。
 たくさんの石鹸をつけて身体中を洗う。

 お世話係たちは毎日たくさんの血液を浴びるので、身体に臭いが染み込んでしまう。
 洗ったところで怪獣さんの臭いは取れないのだが、とにかくゴシゴシ洗うのがリリーの日課だった。

 風呂から出ると、マキさんからもらったオイルを全身に塗った。
 これを塗ると、多少だが怪獣さん臭が緩和される気がするのだ。

 部屋着に着替えると、リリーは自室を出て食堂へ向かった。
 今日のメニューは “ギンズモーの怪獣さん詰めシチュー” だった。まあ、だいたいシチューか蒸されているか焼いているかのどれかなのだが…。

 大盛によそってもらい席に行くと、既にトーヤとタケルが先に食べているところだった。
 リリーはタケルの隣に座ると無言で食べ始めた。

 トーヤの方を盗み見る。いつもと同じように無言で黙々と食べていた。
 食べている姿もかわいい…とリリーは思った。

 眺めているとトーヤが顔を上げたので目があってしまった。
 リリーはあわてて目を逸らした。

 トーヤに今日助けてくれたお礼を言おうか迷ったが、話しかけられるのは嫌かもと思ってやめた。

 そこへ、マキさんが来た。「今日はきつかったね、お疲れ~」と彼女は言った。

 遅れて非番だったシンとナナセもやって来た。
 彼らは休みの者も含めていつも一緒に夕食をとっていた。

 食堂の席は特に決まってはいないのだが、お世話係は特殊な存在であり、臭いもあって誰も近くで食事をしようとする者がいなかった。
 必然的に彼らはいつも食堂の端っこに固まって食事をしていた。

 全員揃って食事を始めると、通りすがりの柄の悪い男たちが「ああ、なんかこのへん臭せぇな~」と嫌味を言いながら歩いて行った。
 時々こうしてわざわざこの辺まで来て嫌がらせをしてくる輩がいる。

 彼らはもう慣れっこなので完全に無視するのだが、なぜか嫌味を言いに来る奴らはいなくならないのだった。
 最初のころはリリーも何の得があってそんなことをしてくるのか理解不能で、「誰がその肉を取ってる?」と喧嘩を売ったこともあったが、だんだんと彼らのことも理解できるようになってきた。

 他に憂さ晴らしできるところがないのだ。
 そうとわかると、彼らも気の毒に思えてきた。

「よくもまあ、飽きずに言ってくるよなぁ」

 タケルがぼそっと言った。彼もたまにブチ切れて喧嘩を売ってしまうタイプだ。

「まあまあ、相手するだけ損だよ~」

 マキさんはいつものようにタケルをなだめた。

「そんなことより、シン、明日わたし非番だから指揮はあんたがとって。最近怪獣さん暴れるから気を付けてね」

 マキさんが話題を変えて明日の段取りの指示を始めた。
 それに対し、シンは無言で頷いた。

 マキさん不在時のリーダー代行は特に決まっておらず、その時の状況にあわせて臨機応変に選んでいた。
 シンは冷静で判断力のあるタイプなので、怪獣さんが活発な時のリーダーとしては適切だとリリーも思った。

「怪獣さん、機嫌悪いのぉ~? あたしが出るまでにいい子になっててほしいんだけど」

 ナナセが言った。彼女は一番の新人だが態度はデカい。大物になるとマキさんは言うが、リリーはこのような自信過剰なタイプは苦手だった。
 なぜならこういう奴が死にやすいからだ。リリーは誰にも情は移してないと自分では思い込んでいるのだが、実は誰にも死んでほしくないと思っていた。

 仲間が死ぬことにいちいち感傷的になっていては精神が持たないことくらいは解っていた。それは戦闘型を選んだ時点で覚悟したことであった。

 だけど、本当は嫌だった。死に別れほど辛いものはない。
 本当は、ここにいる全員がそれをよく知っているのだ。

「あ、ちょっとみんないい?」

 全員の食事が終わるころ、突然トーヤが言った。
 ほとんど喋らない彼なので珍しかった。

 何事かと全員がトーヤを見た。

 トーヤはゴソゴソと床に置いた袋を漁ると靴を取り出した。

「これ、滑りにくい靴」

 言いながらトーヤは一人一人に靴を渡した。
 リリーは靴を受け取ると靴底を確認した。
 そこにはゴムのような柔らかい素材でスパイクのような突起がいくつもついていた。

「よかったら使って」

 そう言うとトーヤは食べ終わった食器を持って行ってしまった。
 全員がトーヤからもらった靴を念入りに見ていた。

 怪獣さんは金属製のスパイクを使うと痛がって余計に暴れるので使えないのだった。
 そこで普段はゴム底の靴を使用していたのだが、どうしても滑って、午前中のリリーのように落下することも多々ある。

「なるほど、これなら怪獣さん痛くないかもね」

 マキさんが関心しながら言った。

「明日、使った感想教えて」

 そう言うと、マキさんはもらった靴を大事そうにポケットに入れて自室に戻って行った。
 続いてみんなもゾロゾロ席を立って戻って行った。

 リリーは部屋に戻ると早速トーヤの靴を履いてみた。
 まずはサイズがぴったりなことに驚いた。彼らは制服を作る際に全身のサイズを計るので、その情報を使ったに違いない。
 勝手に調べて作っているあたりが何となくトーヤらしいと思った。

 新しい靴でリリーはいくつかステップを踏んだ。
 キュッキュッと小気味よい音がして使い勝手はよさそうだった。

 トーヤが自分のために…実際は皆のためにだが…靴を作ってくれたことをとても嬉しく思った。
 リリーは初めて明日の仕事が楽しみだと思った。

 翌日、出勤した全員がトーヤの靴を履いていた。
 全員のサイズがちょうどよかったことを知り、トーヤは満足したようだった。

「調整必要だったら言って」

 そう言うとトーヤはいつもの瞑想状態に入った。
 リリーは視界の隅で彼の姿を眺めながら早く怪獣さんに登りたくてウズウズした。

 時間となり指令係が入って来た。そしてこう告げた。

「本日のノルマは900片です。怪我に気を付けて安全に遂行してください。ではどうぞ」

 奉納室に入ると「今日、多くね?」とタケルが言った。
 確かに、多い。

「手際よくやるしかないな」

 シンが言った。

 全員の装備が完了すると壁がせり上がり大広間が見えた。

 怪獣さんは今日はいきなり暴れていた。
 声は出していなかったが、身をよじって結界紐を外そうともがいていた。

「おい、暴れてるぞ。どうする?」

 一礼をしてから広間に入るとタケルが言った。

「先行で俺が行ってくる」

 そう言ってシンが飛び上がって怪獣さんの体を登り始めた。
 怪獣さんはシンが登っていることに気が付いていないようだった。

 シンは普段より早く上まで登ったように見えた。

 トーヤの靴が調子よいのかもしれない。

 シンが刀を振るうのが見えたかと思うと、青い血がバタバタと落ちて来て、怪獣さんが叫び始めた。

「トーヤ、この靴、最高にいいぞ」

 ぴょんぴょんと飛びながら降りてきたシンが言った。
 トーヤは少し照れくさそうな嬉しそうな顔をした。

 その表情を見て、リリーは「かわいい…」と思った。

「怪獣さんは今日は気が散ってる。暴れているけどこっちへの攻撃が少ない。全員で行こう」

 シンの指示に全員が頷き一斉に登り始めた。

 リリーはトーヤの靴の効果を確認しながら登った。
 踏み込まなくても滑らずに止まるのでとても登りやすかった。

 チラッと他のメンバーを見ると、全員がいつもよりよい動きをしている様子だった。

 これならば足にかかる負荷が減り、だいぶ安全性が高まるのではないだろうか。

 リリーは生き生きとした気持ちで頂上まで登り、怪獣さんの肉を斬った。
 一斉に肉を斬られた怪獣さんは大声で吠え、身を震わせてい違った。
 結界紐がギシギシ音を立てて怪獣さんを締め付け血が噴き出した。

 全員が一度下まで降りた。

「すげーいいぞこの靴」

 タケルが大きな声で言った。

「同感!」

 リリーも叫んだ。
 トーヤがまたさっきの嬉しそうな顔をしたので、リリーはまた「かわいい…」と思った。

「よし、一気に片付けるぞ」

 シンが再び号令を発し、全員怪獣さんへと飛び乗った。

 異変が起きたのは午後に入ってからだった。
 それまで快調に作業を進めていたのだが、突然怪獣さんの動きがこれまでにないほどに激しくなったのだ。
 身体を左右に回転させるように大きく動かし、同時に何本もの触手を伸ばして来た。

 触手はムチのようにしなって飛び交い、なんと自分自身も攻撃し始めたのだ。

 こんなことは前代未聞だった。

 自分の触手が当たったところから怪獣さんは大量に出血し、辺り一面が血の海になっていった。

 怪獣さんは自分を傷つけ暴れ叫んだ。

 ぬるぬるになってしまった肉の表面は新しい靴を持ってしても踏みとどまることは不可能で、怪獣さんの中腹にいた面々はそのままズルズルと下まで落下し始めた。
 リリーはたまらず怪獣さんの体に刀を突き立てた。刀は肉を切り裂き、さらに血液が噴き出す結果となった。リリーはドバドバと噴き出す血液を浴びながら、ずるずると下まで落ちて行った。

 何度か触手に打たれたが毒は感じられなかった。

 大量の血液を飲んでしまったリリーは、床になんとか着地すると、胃の中に入った血液をげーげー吐いた。
 血液には毒はないのだが、とてもじゃないが飲める代物ではない。

「リリー!」

 自分の名を呼ぶ者が近寄って来たので見ると、トーヤだった。
 彼も全身真っ青になっていた。

 彼が自分の名を呼んでいるのを初めて聞いた…とリリーはぼんやりする意識の中で思った。

 …いやいや、今それどころじゃないでしょうが…。

 リリーは必死で意識を保とうと現実にしがみついた。

「トーヤ…」

 彼の名を呼ぶと、トーヤはリリーの身体を抱き起して何か叫んでいた。

 太ももが焼けるように痛かった。
 自分の脚を見ると触手が固く絡みついているのが見えた。

 …しまった、やられた。私やられたのか。

 触手からジワジワと毒が注入されているのが感じられた。
 毒は冷たさと熱さが同居しているような気持ちの悪い感触だった。

 目の前がチカチカしてきた。
 視界がぐんにゃりと曲がり、バチバチ、バチバチっと火花のようなものが目の間に散った。

 トーヤが何か叫びながら必死で触手を切断しているのが見えた。
 やっとのことで切断できると、トーヤはリリーの身体を引きずって、壁際の窪みへと連れてきた。
 ここは緊急時の避難場所となっている。

 足を見ると、まだ触手が絡みついていた。
 本体からは切断されたのに、まだグイグイとリリーの太ももを締め付けていた。
 トーヤが素手でその触手を掴んで引きはがしていた。
 これではトーヤも毒にやられてしまう…リリーはそう思ったが声も出せず、体も全く動かなかった。

 トーヤはリリーの脚から触手を引き剥がすと、ズボンをビリビリと破り、何のためらいもなく傷口に口をつけると、毒を吸い始めた。
 毒を吸い吐き出す…吸って吐き出す…。

 トーヤは何度もそれを繰り返した。

「トーヤ、だめだよ、あんたが死んじゃう…」

 リリーは渾身の力を込めて言ったが、トーヤは毒を吸うのを止めなかった。

「よし、だいたい吸った」

 しばらく毒を吸っていたトーヤはそう言うと、口元を袖で拭って向こうの方へ走って言ってしまった。
 怪獣さんの周りでは、シンが伸びてくる触手を必死で切り落としているのが見えた。

 その足元に誰か倒れいる。
 タケルだ。

 トーヤはタケルの元に走って行ったのだった。
 トーヤが向かうとシンはこちらと反対側の壁際に一旦逃げたようだった。

 やがてトーヤはタケルを引きずってリリーが隠れている壁の窪みへと運んできた。

「死んだの?」

 その問いかけにトーヤは首を横に振って答えた。

「生きてる。気絶しているだけだ。頭を打ったらしい。毒は入ってない、たぶん」

 リリーはほっとして立ち上がろうとしたがトーヤに止められた。

「君はここで待ってて」

「でも、どうするの?」

「納めるしかないだろう」

「登るの? あんな状態で?」

 トーヤがここで死ぬのかもしれないという恐怖がヒタヒタと襲って来た。
 リリーは震えながらトーヤの羽織の襟をつかんで彼の胸に顔うずめた。

 涙がハラハラとこぼれた。

 ぎこちない動きだったが、トーヤはリリーの体をそっと抱き寄せた。

「君のことが好きだ」

 消えそうなくらい小さな声でトーヤが言った。
 驚いたリリーが彼の顔を見よと体を離そうとしたが、トーヤがそうさせてくれなかった。
 トーヤはぐっとリリーを胸に抱きしめた。

「君は俺の原動力だ。だから戻って来る」

 そう言い残してトーヤは行ってしまった。
 シンに向かって何か言っている声が聞こえたが、怪獣さんのうめき声にかき消されて言葉ははっきりとは聞き取れなかった。

 リリーはたった今言われたことが消化できずにしばらく茫然としていた。
 ふと横を見るとタケルがひっくり返っていたので、痛む脚を引きずって近くまで行った。
 命に別状はなさそうだが無理に起こすと危険な感じもした。

「シン! 状況報告!」

 広間の入口の方から突然マキさんの声がした。

「負傷者二名。リリーが被毒。タケルは、たぶん脳震とうで意識不明。奥の避難スペースへ移動済」

「了解。そこで待機してて」

 ぐおぉぉぉと怪獣さんが叫んだ。
 再び大量の触手が伸びてビシッバシッとそこら中を打った。

「げぇ、なにこれ、やばいじゃん」

 マキさんの声に交じってナナセの声もした。全員招集されたようだ。

 マキさんがこちらに走って来るのが見えた。

「リリー! おまえ大丈夫か?」

 叫びながら走って来る。
 途中で怪獣さんが触手攻撃をしてきたが、するりとそれを避けて走って来た。

「リリー! 毒にやられたって?」

 リリーはマキさんに太ももを見せた。

「トーヤが吸ってくれたんで…たぶん大丈夫」

「え、あいつこれ吸ったの?」

 マキさんが信じられないと言った表情をした。

「めまいがしたり、チカチカしたり、ぐんにゃり見えたりしない?」

「最初してましたけど、いまは大丈夫」

 マキさんはほっと息を吐いて、次はタケルの様子を見始めた。

「こいつ、イビキかいたりしてない?」

「してないです」

「ふーむ…脳も首も大丈夫そうだね。気絶してるだけかな? 起こしても使えなさそうだから寝かしておこう。なんかヤバそうだったら呼んで」

 そうマキさんが言ったとき、ずばぁぁあんとこれまでに聞いたことがない凄まじい音が怪獣さんの方からした。
 見ると、結界紐がはじけ飛んでいた。

 怪獣さんが立ち上がって天井に頭をぶつけていた。

 結界紐が切れるなんてこれまでその可能性すら考えたこともなかった。
 マキさんとリリーはあんぐりと口をあけてその光景を一瞬眺めた。

「これはまずい」

 マキさんが低い声で言った。

「どうするんですか?」

「ばらすしかないんじゃない?」

 マキさんはそう言い残すとシンたちの方へと走って行った。

 …ばらすって。

 それは、怪獣さんの全てを細切れに切り刻むことを意味していた。
 これまで実際にやったという話は聞いたことがないのだが、怪獣さんが暴れて災いとなった際には、一旦細切れにしてから再生すると収まるという伝説があった。

 シンとトーヤが怪獣さんの足元を狙って斬り始めたのが見えた。
 足を斬られて怪獣さんは再び姿勢を低くした。

 そこにすかさずマキさんとナナセが登っていく。

 怪獣さんはマキさんを特に嫌っているようで、触手攻撃はマキさんに集中しているように見えた。
 しかし、動きはマキさんの方が早いので怪獣さんの攻撃は全く届かないのであった。

 そうしている間に他の三人が怪獣さんを滅多斬りにしていた。
 斬って斬って斬りまくっていた。

 それを見ながら、リリーも何か手伝わないと…と思い、窪みの中に保管されているものを確認した。
 奥の方に何か道具のようなものがあるのが見えた。

 漁ってみると、爆薬のようなものが大量に保管されていることがわかった。

 …これは使えるかも。

 リリーは大声でマキさんを呼んだ。
 マキさんを呼んでいると、隣で寝ていたタケルが目を覚ました。

「いってぇ…どうなってる?」

 リリーはタケルに状況を説明した。

「うあぁ…怪獣さんやばいじゃん…」

 タケルはなんだかちょっとぼーっとした表情で怪獣さんを眺めていた。
 さっきのリリーとトーヤの会話を聞かれたのではと思ってハラハラしたがそれはなさそうだった。

 そこにちょうどマキさんが来た。
 タケルの方を見ると「起きたのか」とひとこと言った。

「マキさん、この奥に爆薬みたいのがありました」

「爆薬…?」

 マキさんも奥まで行ってそれを確認した。

「確かにこれは使えるかもな…」

 全員が呼ばれ、爆薬を外に運び出した。
 相当量ある。

「これを怪獣さんに入るだけいれる」

 トーヤとシンが「よし」と頷き、ナナセは「えー」と嫌そうな顔をした。

 トーヤは少しの間リリーに視線を送ってから爆薬を抱えて走って行った。
 まるで見納めのような行動だったのでリリーは嫌だった。

 タケルも爆薬を手に行こうとしたがマキさんに止められた。

「おまえは脳味噌やってるかもしれないから安静にしてろ」

 タケルは文句を言いたそうな顔をしていたが、しぶしぶ納得した。
 これから何が起こるのか何となく想像できたリリーとタケルは、身震いしながらその時を待った。

 爆薬が全てセットされ、マキさんの合図で爆破された。
 ドッバーン、ビッシャ―ンとものすごい音がして怪獣さんの体が弾き飛んだ。

 天井にビタビタビタッと肉片が張り付き、そしてゆっくりと降って来た。

 大量の血液が飛び散り、雨のようにザーーーっと降って来た。

 怪獣さんは見事にバラバラに砕け散って細切れの肉片となって散らばった。

「よっしゃー!!」

 ナナセの歓喜の声が広間に響いた。

 怪獣さんの血液を浴びて真っ青になったトーヤがこちらに走って来るのが見えた。

 リリーはふらつく脚を叱咤し立ち上がり、トーヤに向かって走った。
 走ったつもりが足がもつれて前のめりに倒れ込んでしまった。

 そこへトーヤが滑り込んできて彼女を受け止めた。

 ビタビタビタと怪獣さんの肉が降りしきる中、二人はひしと抱き合った。

 今回の件で採取された食用可能な肉片は2980だった。ざっと3日分となる。
 肉を全て解体した割には少ないように思えるが、食用に適しているのは上部の一部の肉のみなのでしかたない。

 他の部分は再生待ち状態となるが、何しろここまで粉々になったのは初めてのことである。
 全てが再生されるまでにどれくらいかかるのかは不明だったが、部位の再生スピードから、おおむね5日ほどであろうと予測された。

 よってお世話係のお仕事再開は6日後と設定された。
 それまでの不足分は災害時用の備蓄分で補えるとのことだった。

 怪獣さんの片づけを終え前室に戻ると救急隊が到着していて、リリーの足の怪我を見てくれた。
 幸い毒は彼女の脚には残っていなかった。今ある違和感は数日で消えるだろう、とのことだった。

・・・

「いやーまじで今日は本気でダメかと思ったよ」

 “ギンズモーの怪獣さん詰め照り焼き” を頬張りながらマキさんが言った。

「あの爆薬ですけど、やっぱり記録にはなかったんですか?」

 シンがマキさんに尋ねた。

「うん、そうみたい。たぶん用途的には今日の使い方で合ってたんだと思うけど、相当古いものだったのかも。よく着火したね」

 着火しなかった場合のことを考えて全員が身震いした。

「今後また必要になるかもしれません。補充できないでしょうか?」

「申請出してみたからたぶん補充されるよ。今回わたしらが実績作ったからね」

 それを聞いてシンはほっとしたようだった。

「それよかさ、ねぇねぇ、トーヤはついにリリーに想いを打ち明けたわけ?」

 マキさんが唐突に言った。
 トーヤは飲んでいたお茶を吹き出した。

「え、何の話?」

 トーヤがむせながら誤魔化して言った。

「ちょっと待って。まさかトーヤ…バレてないとでも思ってた?」

「バレてないって何が?」

「え、マジで言ってんの?」

「隠す気はないのかと思ってたけど」

 ナナセとシンも加わってみんなが次々にトーヤに詰め寄った。

「リリーにぞっこんなんだろう?」

 タケルまでそんなことを言い出した。

「え、タケル、あの時気絶してたんじゃ」

 リリーはてっきり避難場所での会話をタケルに聞かれたのかと思って言った。

「いや、そうじゃなくて…てゆうかお前たち意識不明の俺の横で何してたんだよ」

「何もしてない」

 トーヤが真顔で言った。

「うそつけ。まあそれはいい。リリー、お前もトーヤの想いに気が付いてて距離とってたんじゃなかったんか?」

 リリーは混乱してきた。いったい何の話?

「はいはい、ちょっとストップ。これはどうやら、超鈍感なやつが二人ほどいるみたいだ」

 マキさんが言った。

「あのね、トーヤ。わたしたち戦闘型は人に対する感情を殺してしまう風潮があるだろう? 大切な人ができると辛いからさ」

 そう、そのとおり。マキさんの言うとおりだ。

「わたしもさ、大切に思うから失うのが辛いと思って、人にはあまり深く関わらないようにしてきたんだけどさ…。トーヤを見てたらそれは違っていたのかもって思い始めたんだ。どんなに押し殺しても、好きなもんは好きなんだよ。大切なもの大切だし、失えば結局辛い。だったら心を殺してる意味はあるのか?って。だったらさ、みんなもっと自分の感情に素直になった方が楽なんじゃないかって」

 マキさんの言葉を全員が無言で受け止めていた。
 誰もがそれをよく理解する経験を持っていた。

 仲間を失った時のどうしようもない悲しみ。そしてその感情を殺してなかったことに…はできないということを。

「好きなら好きって言った方がいい。大切な人は大切なんだって伝えた方がいい。私はそう思ったんだ、あんたたち見ててね」

 マキさんは全員を見回した。そして最後にトーヤを見た。

「リリーのことが大好きなんでしょう?」

 マキさんの優しい問いかけにトーヤは素直にうなずいた。

「隠さなくてもさ、毎日の動きでわたしたちはずっとそれを知っていたよ。あえて会話をしないようにしていたのもバレバレだったし。とってももどかしくて。そんでリリーだけど、あなたはどうなの?」

 急に振られてリリーはビクッとした。なぜみんなの前でこうなっているのか理解が追いついてなかった。

「わたしは…」

 言いながらリリーはトーヤの方を見た。

「わたしも、トーヤが大好き…」

 言ってから恥ずかしくてリリーは顔を両手で隠した。
 ずっと自分の中にあった感情が「大好き」だったというこを今更ながら認識した。

 リリーの回答に全員がやったーっとはやし立てた。
 トーヤだけがなんだかちょっと泣きそうな顔でこちらを見ていた。
 リリーはまた恥ずかしく思って顔を覆った。

「ところでさ、リリーのどこがよかったわけ?」

 タケルが言った。ちょっと失礼な質問…とリリーは思った。

「全部だよ。だってもう、全部かわいいじゃん」

 開き直ったのかトーヤがそう言った。意外にもシンとナナセが「わかる…」と言った。

「はいはい、じゃあ、私からも告白していい?」

 マキさんが言ったので、全員が注目した。

「わたしはね…みんなが大好き。情が移りまくっちゃってる。だから今までそっけなくしているのが本当に辛かった。もっとみんなことが知りたい。みんなと深まりたい。こんな職業だからいつ死ぬかわからないけど、だからこそ、濃い時間を君たちと過ごしたい。そしてもしもお別れの時が来たら、私は死ぬほど泣く。私が死んだ時も泣いてほしい」

 マキさんの告白に全員が心打たれてしばらく無言でいた。

「あたしもマキさんが好き」

 ナナセが泣きながら言った。

「俺も好きです」

 シンも言う。

「私も」

「俺も」

 リリーとトーヤも言う。

「え、じゃあ俺も告白したいです」

 タケルが言った。

「俺、マキさんのこと、すっごいエロい意味で大好きです」

 タケルは最初は真顔で言っていたが、だんだん自分で笑ってしまっていた。

「それはマジで勘弁して」

 だはははとタケルは笑った。

 リリーは笑い合っている仲間たちを見て驚きの気持ちでいっぱいだった。
 今日は本当に誰が死んでもおかしくない状況だったはずなのに、何かが突き抜けた感じになってしまった。

 ずっと自分の中身がウソでできているような感覚がなくなっていた。
 本当の自分になれたような、やっと人間になれたような気持ちがした。

 このチームはきっとすごいチームになるだろう。

 途中で辞める者もいるかもしれないし、死ぬ者も出るかもしれない。
 もしかしたら明日自分が死ぬかもしれない。
 それでもこのチームはすごいチームになる。そう確信したのだった。

 ふと横を見ると、トーヤが優しい顔でこちらを見ていた。
 顔が近づいてきて唇と唇がそっと触れた。

 リリーはびっくりして自分の唇を指で押さえた。

 満足そうな顔をしてトーヤがこちらを見ていて、リリーは「かわいい…」と思った。

(おしまい)

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