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[小説] リサコのために|024|六、河原 (2)

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 翌朝、Rは時間きっかりに迎えに来た。昨日勢いでキスしてしまった手前、リサコは少々ばつの悪い気持ちだったが、Rは全く気にしていないようだった。

 ラボに向かうエレベーターに乗りながら、Rは昨日一日中R-3に振り回されて、アイアンタワーの調査が全く進まなかったことをぼやいていた。

 R-3は生まれたての赤子のようで、≪節≫ を見せるとすぐに手を伸ばし、中をぐちゃぐちゃ触ってしまったそうだ。

 慌ててメンバーが数人がかりで押さえ込んで悪戯をやめさせたものの、彼が触ってしまったところのソースが改ざんされてしまっていて修復チームを呼ぶ羽目になり、オーフォ班はアイスリーにこっぴどく叱られたそうだ。

「しかし、あんなに簡単にソースを改ざんできるなんて、使いようによっては便利な奴なのかもしれないな…。」

 ラボが近づいてきて緊張し始めたリサコを横目に、Rは仕事のことで頭がいっぱいの様子だった。

 エレベーターがラボの階に到着し、Rは自分の考えに没頭しながらスタスタと歩いて行ってしまった。なぜ自分がリサコに朝のお迎えを頼まれたのか、彼はそんなことは考えないのだ。

 リサコがエレベーターから一歩降りて進むのを躊躇していると、やっとRは気がついて振り返った。
 その場で立ち止まってリサコが来るのを待っている。

 その姿をリサコは何度か見たことがあった。ここではなく、リサコと良介とおじいちゃんと三人で暮らしていた東京の街で。

 リサコは意を決して歩き始めた。できればあそこに帰りたい。良介がいるあの世界へ。

 リサコはとぼとぼと歩き始めた。それを見たRも、少し歩調をゆるめて歩き始めた。リサコは前を行くRの背中だけを見て歩いた。

 ラボについた。ドアを開ける前にRが振り返ったので、リサコは小さく頷いた。ドアを開けてRが入って行き、リサコも続いた。

 部屋にいるメンバーが全員こちらを見ていた。手前の席に河原…R-3が座っていて、指をしゃぶっているのが視界に入ってきたが、リサコはそちらを直視する勇気がなくて、真っ直ぐに自分の席へと着いた。

「ヤマモトリサコ、大丈夫?」

 エルが心配してくれた。リサコは頷いて、今日ここに来たらやろう思っていたことをエルに打ち明けた。

「昨日のR-3の様子を見たいの?それは簡単にできるけど…。」

 ここの公共スペースは常に監視カメラで撮影されており、大部分のエリアはいつでも誰でも、例の画面からカメラに接続可能で、過去分も見ることができる。

 これからR-3と関わっていく必要があるのなら、昨日見そびれてしまった出現後の様子を見ておきたいと考えたのだ。

 幸い、今日R-3はこれから精神鑑定を受けに病院へ行く予定になっていて、午後まで戻らない。

 過去の映像を見るのは簡単だった。パソコンで動画を見るのと同じような作業だ。リサコはすぐにコツを掴んで好きな場所の好きな時間の映像が見れるようになった。

 エルが付き添いを買って出てくれたが、仕事の妨げになるのも気が引けたので、彼女には仕事に戻ってもらった。

 エルは何かあったらすぐ呼んでね、と言い ≪節≫ の部屋へ入っていった。

 昨日の映像を探し視聴に没頭していると、隣に誰かが来た気配がし、顔を上げると、エルの席にRが座っていた。

 彼は画面を開いて何かをしてる。

「何してるの?」

 リサコが問いかけると、Rは手を止めてこちらを向いた。

「何って、あのビルの解析だけど。」

 そしてすぐにまた自分の画面に視線を戻し、作業に戻ってしまった。その横顔をしばらく眺めてから、リサコもR-3の映像に戻った。奇天烈なおじさんの出現場面だ。

 シャワーを浴び終えたR-3は、ヨタヨタした足取りでSTARTUP ROOMを出て、アイスリーのオフィスへと入った。そこで、アイスリーがマニュアル通りの台詞を言うと、R-3はグヘヘと笑って自分の画面を出し、すんなりチーム登録は完了した。

「なんだ、普通にやってるじゃん。」

 思わずリサコは声に出して言った。

「奴がラボに入ってきたところから見てみな。」

 Rが自分の作業から目を離さずに口を挟んできた。リサコは該当の時間帯の映像を探して再生した。

 R-3はリサコ以外のメンバーが見守る中、ラボに入ってきた。オーフォが手前の椅子にひとまず座るように指示したが、彼は入口で突っ立ったままだった。

 オーフォはしばらくR-3を見ていたが、どうしても座らないようだとわかると、彼の手を引いて椅子に座らせた。R-3はそれには逆らう様子もなく素直に従っていた。

 Rが立ち上がり、リサコが急に出ていったので様子を見にいっていいかオーフォに聞いているのが映っていた。
 Rは去り際にR-3に向かって画面を出し、コードを確認しているようだった。

 このままRを追いたい気持ちになったが、リサコは我慢してR-3の様子を見続けた。

 R-3は席に着くと、他のメンバーを確認するのでもなく、ただ親指をしゃぶっていた。

 部屋にいる全員がR-3の周りに集まって来た。オーフォがR-3の肩をポンポンと叩いて画面を出させると、そこに何かを表示させた。

 すると、急にR-3が画面に注目し、集中した様子で何かを始めた。それを見ていた全員が、困惑した様子でお互いの顔を見合わせたり、R-3の画面を覗き込んだりしていた。

「これ、何してるの?」

 映像の角度から、R-3の画面が見えなかったので、リサコは隣で仕事を続けるRに聞いた。

 Rは手を止めてリサコの画面を覗き込むと、再び作業に戻りながら言った。

「知能テストをしてるとこだな。俺もその場に居なかったから後から見たんだけど、奴のテスト結果は異常だった。数字系のテストは満点なのに、言語のテストはまともに答えられなかった。それでいて、プログラム言語は満点なんだ。こんなバランスの悪い奴、今までに出現したことないんじゃないかな?」

 知能テストなんてあるのか…。リサコはそのテストを受けずに済んでいることを感謝した。

 R-3のテストが暫く続きそうだったので、リサコは映像を飛ばし飛ばし見た。ちょうどテストが終わる頃にRが戻ってきた。

 Rは普段と何ら変わらない様子でR-3のところへ行くと、エルがこれまでの経緯を説明していた。

 それからの光景はもう二度と見たくないと思うほどひどいものだった。
 ソースコードが読めると判明したR-3は ≪節≫ の部屋へ連れて行かれ、まるで一歳児のようにグシャグシャと ≪節≫ を荒らし、数人に取り押さえられて、イヤイヤ〜とタダをこねていた。

 どうしても ≪節≫ をグシャグシャしてしまうので、R-3は部屋から出されて椅子に縛り付けられてしまった。
 椅子に座ると彼はおとなしくなり、親指をチュパチュパしゃぶっていた。

 それを見て、リサコはR-3を気の毒に思ってしまった。
 このおじさんが河原とどういう関係なのかはわからないが、リサコのいた世界では一応、高校教師だったのだ。それが緑のドロドロを出したり、ここでは親指をしゃぶったりしている。

「何だかかわいそうだね…」

 思わずリサコは声に出して言った。

「誰が? R-3のこと?」

 Rが聞き返してきたのでリサコは頷いた。

「かわいそうなんて勝手に決めるなよ。あいつ、いつでも幸せそうな顔してるぞ。」

「そうかなー?」

 リサコは映像の中のR-3の顔を拡大してみた。確かにニヤニヤしていて、ちっとも困ってなさそうだ。

「問題は、俺たちが奴にあった仕事を見つけられていない事だよ。」

 奴にあった仕事…って何なのだろうか?
 リサコは映像を終了して、R-3にできる仕事…という難しい問題に思いを馳せた。

 そうこうしていると、精神鑑定を終えたR-3がオーフォと共にラボに戻って来た。

 結果を聞くために、≪節≫ の部屋で作業をしていた面々も出てきて全員が席についた。Rは作業を中断して自分の席に戻った。

「みんな仕事中で見れなったと思うので、結果から言うと、R-3はどの精神テストでも、結果は正常だった。サイコパス的要素もないし、人格障害の特徴も出なかった。なぜか、言語でのコミュニケーションのみ著しく劣っている。もしかしたら知能も実は正常なんじゃないかな?」

「じゃあ、言語以外での意思疎通の方法が解ればうまくいくかも?」

 エルが質問した。

「そういうことだな。インプットとアウトプットの方式が俺たちと違っているのかも。それから…」

 オーフォはポケットをゴソゴソやって何か取り出した。折りたたまれた紙のようだ。それを広げてみんなに見せる。

「これ、彼が描いたんだ。精神鑑定では簡単な絵を描かせるんだけど、色鉛筆を持たせたら、こんなにたくさん。」

 そこには何十羽もの翼を広げた鷹の絵が描かれていた。写真のようなリアルな絵だ。リサコはハッとしてRを見た。Rはすっと立ち上がり、R-3の前に行くといつのまにか手に握っていた木彫りの鷹を差し出した。

「それは?」

 オーフォがRの手の中にあるものを確認するよりも早く、R-3が木彫りの鷹をつかんで、ひょいっと口の中に入れてしまった。
 リサコは「あっ」と声を出して立ち上がり、彼らの元へと詰め寄った。

「ちょっと、出しなさいよ! それはRの大切なものなの!」

 リサコが飛びかかると、R-3は必至に両手で口を押えた。引っ張ってもR-3の腕はびくともしない。すごい力だ。

「リサコ、いいんだよ。」

 半ば半狂乱で木彫りを取り返そうとしているリサコを、Rが優しく制した。

「その絵を見て閃いたんだ。これはR-3に必要なものだったんじゃないかな? いいよ。それをあげるよ。好きなようにやってみて。」

 Rはリサコを止めたときと同じトーンの優しい口調で言った。

 言葉が通じているのかはわからないが、R-3はそれで気持ちが落ち着いたようだ。身体の力を抜くと、ゴクリと木彫りを飲み込んでしまった。

 リサコは絶望した。あれは良介が作ったものかもしれなかったのに…河原のそっくりさんが食べてしまった…。
 リサコはヨタヨタと後ずさりをして、そこにあった机にもたれかかった。

「今のって、お前が持って出てきた鳥みたいなやつか?」

 オーフォの質問にRはうなずいた。
 鳥を飲み込んだR-3は、ぼーっとした顔で、床に膝をついてゆらゆらしている。

「大丈夫か? のどに詰まったんじゃないか?」

 オーフォが覗き込むと、急にR-3の首がガクっと後ろにのけぞり、体全体が痙攣しはじめた。

「おい? どうした? 苦しいのか? 救護班! 救護班! オーフォ班だ。救援頼む!」
「オーフォ、大丈夫だ。」

 慌てるオーフォとは対照的に、Rは冷静に素早く立膝をついて、R-3の体を支えた。顎を抑えて口の中を覗き込んでいる。

「鳥が溶け込んでいる…」

 R-3の喉を覗き込みながらRがそう言った途端だった。R-3の口や目、鼻の穴や耳など顔中の穴から、凄まじい閃光が一直線にビガ―ッと放出されたのだ。
 Rとオーフォがうわっと声を出し、顔を伏せるのが見えた。

 エルが駆け寄って来てリサコにしがみつき、リサコは悲鳴を上げてうずくまった。

 しばらくR-3の閃光は続いた。目を閉じていてもわかるほどの光だ。そのあまりの強さに脳がロックされたようになり、体が動かなかった。他の面々も同様にフリーズしてしまったようで、声も出せずにうずくまっているようだった。

 光のピークは数秒続いたが、ゆっくりと薄れていき、やがて消えた。

 光を感じなくなったので、リサコは恐る恐る目を開いたが、青い残像がチラチラして視界が悪かった。
 ようやく顔を上げて見てみると、Rとオーフォは無事の様子で、目をこすりながら床に胡坐をかいて座っていた。
その間で、当のR-3は清々しい顔をして、ちょこんと正座をして座っているのだった。

 ラボのドアがバタンと開いて救護班が入って来た。
 オーフォが状況を説明すると、救護班は全員の目を検査し、誰にも異常はないと告げた。続けて彼らは、R-3のチェックに入った。
 口を開けさせて喉の奥を見たり、画面を出してコードを見たりしている。

 すると、急にR-3がすくっと立ち上がり、信じがたいほど美しい声でこう言った。

「識別番号 R-003 完全アクティベートが完了しました。これより、OS ≪人間 10.5≫ をインストールします。」

 その場にいた全員がキョトンとしてこの様子を見守った。

(つづく)
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