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「勝手に好きでいるね」

「…もしかしたら人間って、立っているわけじゃなくて、地球にぶら下がってるだけなのかも…」。
何気なく口に出してから、ノートにペンを走らせる。もし宇宙人が地球に降り立ったら、私たちの顔ではなくて膝小僧をみて可愛いとかかっこいいとか判断するとか…そんなあほみたいな物語が、頭の中に浮かんでは消える。

自分の思考が解放されて、人には話せない私だけのストーリーが、紙の上で自由に繰り広げられる。この時間は、私が私として生きていると思えるかけがえのない時間だ。

ふと顔をあげる。さっきまで鳴り響いていた洗濯機がやけに静かだと思ったら、既に洗濯物は脱水まで完了していた。
一旦ペンを置くと、よっこらせと腰を上げた。濡れたまま丸まっている衣類を広げると、ハンガーにかける。1つ1つベランダに干しながら、広がっている青空を見上げた。こんな日は、外に出掛けるの一択だ。のびのびと先ほどの続きがかけそうで、機嫌よくTシャツのしわを叩いた。

こんな風に毎日新しい物語を考えているとはいえ、別に作家ではない。
平日は気楽にOLをしながら、定時で帰宅する。ご飯を作りながら想像を膨らませ、寝る前には小説を読む。休日に気が向いたらノートに物語を書いていくが、誰に見せるでもなく溜まっていくだけ。

なぜ書いているかはわからない。それでも、自分の体験を物語にし、ちょっとだけ主人公を逞しく描くとき、書いている私まで強くなれた気持ちになるのが、いつの間にか癖になった。物語の中の私はいつだって可愛くて勇敢だった。別に、それ以上に何かを求めたりはしない。細々と日記のように書き綴る今の状態はそれなりに心地よかった。

洗濯物を干し終わると、出掛ける準備を始めた。最後にお気に入りの香水を身にまとって外に出る。ぶらぶらとあてもなく歩きながら、その時の直感でお店を選ぶ。いつもノープランで街に繰り出しても、そのうち「おいで」って言ってるみたいなお店が見つかる。その時の自分の気分で、今欲している空気感を察知するのだろう。今日は心にヒットするお店がなかなか見つからない。

それから20分歩き続けていたら、体中に太陽の光を集結させたような、はつらつとした女性がお店から姿を現した。あ、今日はここだ、と思う。

「あの、お店やってますか? 」。恐る恐る声をかけると、「あと30分後にオープンします! お席先にいかがですか? 」と聞かれて、勢いのままお願いしますと答えた自分がいた。彼女はにっこり笑うと「どうぞ」と案内してくれた。

・・・

窓際の席に案内してくれる。お日様の陽射しが暖かい。彼女が開店の準備をする中、木のテーブルの上にノートを取り出してみた。朝の続きを書いていこうするものの、ついつい視線は辺りを見渡してしまう。
「あれ。そもそもここ、何屋さん…? 」。

日差しによってオレンジがかった店内。天井にはドライフラワーが飾ってあって、チョークで書かれたメニュー表には、サラダと書かれていた。
「サラダ屋さんなんですか? 」。

思わず声をかけると、カウンターの向こう側で仕込み中のお姉さんがぱっと顔を上げた。「そうなんです! 間借りでやっていて」
なるほど。いつもここでやっているわけではないのか。ここら辺はよく歩いていたけれど、道理で見覚えがない。ノートをほっぽり出してお姉さんに身体を向ける。

「いつからお店を始められたんですか? 」

「1年ほど前からですね」

「えー!すごいなあ。どうしてお店始めようと思ったんですか?」

何気なく聞いた質問だったが、お姉さんは手を止めると真っ直ぐに視線を向けてきた。こちらも少しだけ身構える。

「愛を届けたくて」

「愛…? 」

すこしだけ間の抜けた声が出てしまった。ふふっとお姉さんは笑うと、「食べてみますか? 」と声をかけてくれた。「はい! 」と意気込んで答えると、席を立って準備をするお姉さんの近くで手元を覗き込んだ。

手慣れた動作で、一息にアボカドの皮を剝く手に見とれる。タンタンと小刻みに動かす包丁の中で、丸かったアボカドが花びらのように薄く開いた。あっという間に器に盛り付けられたカラフルなサラダを差し出される。慎重に席に持ち帰ると、美術館にあっても引けを取らない芸術品に、えい! と気合を入れてフォークを差し込んだ。ぶどうとアボカドが同時に口に入り込んでとろける。

「え! え! おいしい! 」

初めての感覚に戸惑いながら、この感動を伝えようと必死に言葉を探しても見つからない。オリーブオイルにいくつもの味が合わさって、複雑だけれど調和のとれた風味が舌を伝う。
自分のために、こんなにも丁寧に作られたサラダが存在することが信じられず、食べているだけで安心することができた。サラダだけで、自分が大事にしてもらえていると感じ、自分が大切な存在なのだと言ってもらっている気がして、少しだけ涙が滲んだ。
そっと目元をふき取ると、お姉さんは何も見ていないかのように、お水を継ぎ足してくれる。「愛、伝わりました」とおどけてみせると、「ありがとうございます」となぜか真面目にお礼を言われた。



「私、サラダがすごく好きなんです」
サラダを嚙みしめる私の前で、お姉さんは手を止めずに話しかけてくる。

「だから、サラダを通して愛を伝えたいと思ったんです。大好きなことをして、大好きな人に、大好きですと伝えながら生きていきたいと思ったので」

そういうと、照れながらまた私の方を向いて笑った。その顔が余りにまぶしくて、こっそりサラダに目線を落とした。

カランと音がして、何人かのお客さんがお店に入ってくる。
「いらっしゃいませ! 」
「oshinoさんのSNSをみてたら、今日ここでやるっていうから来ちゃった~」
「ありがとうございます! 」

元気にご案内をするお姉さんは、どうやらoshinoさんというらしい。
「ゆっくりしていてください」そう私に言い残すと、お客さんの元へ向かう。そんな姿をみていたら、少しだけいいな…という想いがでてきて、ノートの端を小さく折った。『大好きなことをして、生きていきたいんです』その言葉が、頭の中で繰り返し響いていく。

…そんなの、私だって、あんなキラキラな笑顔で生きたいよ…。私だって、oshinoさんのサラダに負けないくらい書くことが好きなんだから…なんて思ってから、何を考えているのだと思考に急ブレーキをかけた。
私とあの人は全然違う。私とは別世界の人だ。これまで自分は、文章について学んだこともなければ、どこかに応募したこともない。ただの趣味の分際で、お店を始める彼女と同じくらい好きだなんて図々しい。必死に押しとどめた気持ちをかみ砕くように、最後の一口を食べ終える。お客さんが増えた店内は賑やかで、とてもじゃないけれど物語の続きはかけそうにない。

お会計をしてもらおうと声をかけると、「少々お待ちくださいね」と忙しそうに行ったり来たりするoshinoさん。「全然気にしないでいいですよ」と言いながら、椅子の上で足をぶらぶらさせて待つ。手持ち無沙汰の中、横目でお客さんたちの様子を伺った。

ここにいる人は、誰もがリラックスしているようにみえる。柔らかい笑顔が広がるこの空間が胸に響く。みんな、彼女のサラダを食べに、彼女に会いに足を運んでいる。安心しきったお客さんの顔をみていたら、その中心にいるoshinoさんの存在がなんだか羨ましくなってきて、胸が熱くなった。

「…いーなぁ」ちょっとだけ唇をとがらせてポツンと呟いた一言に「どうかされました? 」と合いの手が返ってくる。ガタガタと椅子を揺らして振り返った。
「驚かせてすみません。お待たせしました、お会計です」
困ったような顔で差し出すトレイに、あたふたお金を差し出す。
「いや、あの。すみません。みなさんoshinoさんが好きなのが伝わってきて、素敵だなとおもって…」

少しだけ目を見開いた彼女が問いかけてくる。
「…そう見えますか? 」

「え、もちろんです。だから、誰からも好かれていていいな〜なんて思ったりしました。」
焦って余計な言葉まで飛び出してくる自分に、また焦る。そんな私を見て、oshinoさんはふわりと笑って言った。

「そんなことないですよ。自分に自信ないし、そんな大層な人間じゃないです。でも、そんな風に思ってくれて、その気持ちを伝えてくれてありがとうございます」

まっすぐな言葉に、顔が火照る。自分でも無意識とはいえ、小さな嫉妬からでた言葉に、濁りのないありがとうは堪えた。

「…ありがとうございました。また来ます」
逃げるようにお店を飛び出すと、家までの道のりでそっと顔を冷やした。

・・・

家に着いても、耳の火照りはおさまらない。すっかり日が落ちたベランダから、洗濯物を取り込んだ。普段は床に放り投げてしまう洋服たちを一枚一枚畳みながら、脈絡のない映像が頭に浮かんでは消えていく。
昼間の日差しの眩しさ、逆立ちをしている人間、サラダに乗っているフルーツの水滴、宇宙人が「君の膝小僧かわいいね」と言い、oshinoさんの笑顔が頭を過ると、身体全体が熱くなる。せっかく畳んだ洗濯物をまき散らしたい衝動に駆られた。
あの空間を創り出す彼女が、まぶしくて、かっこよくて、自分がどうしようもなく彼女のようになりたいと思っていることに気がつく。

「…落ち着こう」必死に自分に言い聞かせて、温かいココアを入れてあげる。冷ましてから口をつけると、心臓の鼓動が少し治まった。

こんな可愛くない想いも、書き出せば全て紙の上だけの出来事になるから、自分から切り離すことができる。寝る前にノートを取り出そうとして、サッと血の気が引いた。

「ノート、ない…」最後のお会計の時に、慌ててお店を出てしまったせいで、ノートをしまうのを忘れてしまったのかもしれない。あのお店に自分の一部を置いてきてしまったような気持ちで、ソワソワする。このままどこか遠く、誰も知らない場所へ走り去りたい。

それでも心のどこかでこの忘れ物が、自分が変わるきっかけにならないかと期待している私がいた。やってしまったと焦る反面、どこかでこうなる気がしていた自分が胸を躍らせる。こっそり書いた物語を、実は読まれたい。それで誰かの心に響いたらいいのに。
あのお店に入って明らかに、ずっと隠していた想いに気がついてしまった自分がいた。彼女が一人で理想を形にする姿に、私は刺激を受けてしまった。

oshinoさんは読んでくれるだろうか。いや、読まれたくはないんだけど。でも…。ざわざわうごめく心を落ち着かせようと、スローテンポの音楽を聴いて早めにベットにもぐりこんだ。
「明日、ノートを取りに行こう」そう決めると、ぎゅっと目をつむってみたが、なかなか寝付くことは出来なかった。

・・・

翌日お店に向かう足取りは重い。ついでにまぶたも重たくて、手で強めにこすりながら歩を進める。お店の前に到着すると、大きく深呼吸をした。

「こんにちは…」カランと音を鳴らして扉を開けると、oshinoさんが嬉しそうにこちらに向かってきた。
「また来てくださったのですね! 今日もまだ開店はしてないんですけど、良かったらどうぞ! 」
忘れ物を取りに来たと言いづらくて、一旦レモネードを注文した。昨日と同じ席に案内されると、こっそり辺りを見渡す。ノートは見当たらない。もう拾われたのだろうか。昨日は思いつきもしなかったけれど、もしかしてお客さんが持ち帰ってしまったとか。想定外の懸念に、一気に胸がざわめく。急な焦りで大きく首を動かしてしまった。

「何かお探しですか? 」
ついにoshinoさんに声をかけられ、暴れる心臓を押さえつけながら答えた。「昨日、ノートをここにおいてきたかなと思っていて…」
「あ! これ、もしかして! 」
そういうとoshinoさんは、仕込みをしている台の下から私のノートを取り出した。
「あ! それです! ありがとうございます」どこかへ持ち去られたのではないことに安堵し答えると、ノートを手渡しながらoshinoさんが眉を下げた。
「誰のものだろうと思って、中を覗いてしまいました。ごめんなさい」心臓がどくんと跳ねる。「でも、作家さんだったのですね! 」

屈託のない笑顔に思わず「違います! 」と声を張り上げてしまった。oshinoさんはその声におののくように固まった。
「違うんです! 私、全然そんなんじゃなくて…」
思い切り否定した自分の声に、なぜか自分が傷ついた。

「これ、ほんと大したこと書いてなくて、別にそんな大事なものでもないんです」。
言葉を重ねるたびに自分が辛くなる。本当に思っていることは、恥ずかしくて口に出せない。心と正反対の言葉に、苦しくなって口を閉ざすと、何も伝えることができない。自分が情けなくて涙がこぼれた。ここにいると、少しだけ素直になって、少しだけ子どもにかえってしまう自分がいる。

そんな私に、oshinoさんがレモネードを持って来てくれた。
「温かいうちにどうぞ」。言われたままに口に運ぶと、酸っぱいレモンと濃厚な蜂蜜の香りが喉の奥に爽やかに広がった。「おいしい…」ゆっくりと眼を閉じて味わっていると、oshinoさんが私に話しかけてきた。

「このレモネード、めちゃくちゃ美味しいですよね」。
自信満々にいうoshinoさんはちっとも嫌味じゃなくて、なんだか可愛らしくみえたから、私は素直に「はい」と答えた。そうするとoshinoさんは昨日と同じようにふふと笑うと、ありがとうございますと言いながら続ける。

「でも、この世の中には、レモネードが苦手な人もいるじゃないですか」
「…それは、まあ」。つい、ふてくされたような返事をしてしまう。わかっている。私だって、ピクルスは苦手だ。でも、目の前のこんな美味しいものを苦手だと言われることを想像すると、少しだけむっとしてしまう。そんな私の心の内もわかっているように、ニコニコしながらoshinoさんは続ける。

「私が大切にしているものは、愛です。でも、愛を無下に扱う人も、まだまだ沢山います」。
今この世の中で、愛を訴えることはどういうことか。一歩間違えたらただの怪しい人だと認識されてしまう危うさは、なんとなくわかる。私には、今カップをぎゅっと握りしめることしかできない。

「でも、そういう人達に嫌われてもしょうがない、とは思えない。誰にだって、好かれたいという気持ちはありますからね。どうしても。…だから私は、あなたのことを勝手に好きでいるね。と思っているんです」。

その言葉には、ある種のさみしさを覚える。好きであればあるほど、求めてしまうのが人間ではないだろうか。それを、勝手に好きでいるねと言い切れる強さに、私は違うと下を向きそうになる。

「私が勝手に愛を与えたくて与えているだけ。見返りなんて求めない。でも愛に触れ続けていたら、愛を無下に扱っていた人も、その温かさに気がつく時がくるかもしれない、とは思っています」。

うつむく自分を奮い立たせ、真っ直ぐにoshinoさんの目を見つめる。

「だから私は、サラダで愛を伝え続けます」。
お互いの視線が重なったとき。彼女の想いが私の身体を満たした。



「私、誰からも好かれていたいと思っていました」
両手でカップを持ち上げながら、中に浮かぶレモンに向かって話しかける。

「だから、周りからどう思われるだろうか。そんなことばかりを思って、好きなことや大切なことを、人に見せることができなかったんです」

本当は、書くことが好きな自分。今よりももっと、多くの人にみてほしいと思っている自分。読んだ人が笑顔になる瞬間。でも、どうせ無理だと諦める気持ちの裏には、誰からも好かれていたいと望む自分の欲望がずっと潜んでいた。

「でも、周りからどう思われるのかではなく、自分がどうありたいか。なんですね」

周りに望む前に、勝手に好きでいるねと、自分のあり方を信じ切る強さが清々しい。その姿を好きだと思えたことが、私の心を軽くする。

表情の変わった私に、oshinoさんは「サービスです」と言いながらレモネードを継ぎ足してくれた。ずっと昔から自分の想いがここにあったかのように、もっと書きたい、もっと読んでほしいという想いが素直に出てくる。


ふと思いついたようにoshinoさんに言われた。

「私がお店を出すときに、バイトをしませんか? 」驚いて顔をあげると、いつもの真剣なまなざしとぶつかった。

「あなたが笑顔でサラダを届けてくれる想像がつくんですよね。そしてあなたなら、私の本気の想いを受け取ってくれそうな気がします」

なんだか、面白いことが起こりそうな予感がして、迷わず「はい」と答えていた。自分自身に今起こっている変化を、ここではさらに加速できるという予感。私のように愛に触れて変わる人がいるという予感。そんな場所で、自分も隣で私なりの愛を添えていきたいという気持ち。
即答する私に、いたずらな笑みを浮かべると、oshinoさんは確信をもった声で続けた。

「そして今後ここで出会う人が、あなたの人生をより良い方向に変えてくれる気がするんです」。

出会って間もない中で、どこまでも私のことから考えてくれるスタンスに、この先私は何度も彼女に惚れ直すのだろうという予感がした。

・・・

家に帰ると、真っ先にノートを広げる。仕事以外では立ち上げたことのないパソコンを起動させた。

いますぐ何かが書きたい。なんだろう。私は外に向けて何かを伝えたい。昨日の思いつきの続きか。いや…。

「誰にも嫌われたくなかった私」。今もっている衝動のままに文章を書きだした。余韻が冷めないうちに、この経験をまずは書いてみようと思う。自分のように本当は挑戦したいと思っている人が陥る、周りの目を気にして湧き出る恐怖と。その時に私がどんな言葉をかけてもらったのか。その言葉が、自分のあり方をどう変えてくれたのか。

夢中で書いていた時間は、届けたい誰かへの想いが自分だけのものではない分、少しだけ苦しくて、その分書き終えた時の充実感は比べものにならなかった。

「できた…」

これまでただの日記だったものが、作品になる。誰かに評価されるのも、受け入れられないのも怖いけど。自分がありたい姿でいようと決めたから。まずは一人でもいい。踏み出す誰かに届いたらいい。私は、勝手に背中を押したいと思ったから。

そっと自分の扉をひらいた先に、サラダ屋さんで見た景色をこれから私は創り上げていくのだろう。大きく息を吸う。オレンジ色の空間で感じたお日様の匂いがした。

ふっと息を吐き出すと、震える手でエンターキーを押した。

・・・

⇧oshinoさん&サラダ屋さんモデル🥗


⇧表紙カメラマン

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