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「人はゆらいで人となる」

「人はゆらいで人となる」という言葉が好きだ。

それは最近読み返した『イティハーサ』(漫画)の一節だが、その言葉を目にしたとき、妙に深く納得してしまった。

日本人は「固い信念を持ち続ける」、「揺らがない心を作る」、などの言葉が好きだ。特に政治家や財界人のお偉いさん、一般人でも年配の人ほどそのような言葉を好む。

しかし、それは裏を返せば思考の柔軟性を失うということに等しい。その結果、客観的に見れば明らかに間違っていることでも、素直に自らの間違いを認められない。そうなれば、最悪「老害」と呼ばれる悲しい老人になるのがオチだ。

自分がそういう老人になりたくなければ、子供じみていると言われても、心はずっと揺らいだままの方がいい。そうすれば間違っていた時の軌道修正も楽にできる。と最近は思うようになった。

人生はずっとアップダウンの連続だ。

・自分がずっと正しいと思ってきたことが別の角度から見ると大間違い
・それまでずっと信じていたものが、ある日を境に全く信じられなくなる
・昨日の敵は今日の友。今日の友は明日の敵

……なんてことも、長い人生の間には何度もある。

しかし、だからこそ、人という種は驚くほどの進化を遂げて来られたのだと思う。まさに、それが「人はゆらいで人となる」の真意ではないだろうか。

人は、ただでさえ心がゆらぎやすい生き物だ。それは感情が豊かだからこそ持ちうる特性でもある。もし物心ついてからずっと不動の信念を持ち続け、心ゆらいだことなど一度もない! という人がいれば、その方がかえって怖いと私は思う。そういう人が過度な原理主義者、あるいは独裁者になるような気がする。

心のゆらぎは、はこれまで信じていたもの、正しいと思っていた自分の行為や認識などが間違っていたということを認めることができる証拠でもある。 そう考えると、心ゆらぎ自分の現在(いま)を疑う人こそ、人生の新たなステージが目の前に開けるに違いない。

また、年若き人ほど心が不安定でゆらぎやすい。その結果、人として大きく成長する。これは、頭が固くなりがちで偏屈になりがちな年配者がぜひ見習いたい点だ。

昨日私は自らに迫る「老い」を受け入れたいと書いた。

しかしながら、変に頑固になり、心まで老いぼれてはいけないと思っている。これ以上柔軟性に欠けてはいけないとも思う。それを防ぐためにも、これからもゆらぎ続ける心を持ち続けていたい。この年だとしんどいけれど。

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