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一芸に秀でていない凡人こそ「多動力」で勝負するしかないと思う

noteとTwitterでフォローしている人が堀江貴文さんの「多動力」を紹介していたので、ちょっと興味を持って本を買ってきた。

まださわりしか読んではいないが、率直な口調で、従来が日本人が信じてきた精神論や美徳を真正面から否定している点が中々斬新だ。さすが常に時代の先を見据える堀江さんらしい考え方だと唸りながら読んでいる。

私自身はどちらかといえば堀江さんとは真逆の考えを持ちながら生きてきた化石のような人間だ。けれどもこれほど情報化されて誰もがたやすく専門的な知識をほぼ無料で得られる時代においては、彼の考えの方が正しいのではないか?と思い始めている。

特に「零細Webライター」の仕事を初めてからは、「専門性が特に高い人」でない私のような凡人は、いわゆる「器用貧乏」になる必要に迫られた。なぜなら、この年で専門性を極めるには時間があまりにも足りないからだ。だからこの業界で収入を増やすには、とにかく手を広げて色々なことを「そこそこに」こなせるようにするしかないと実感している。

仮にもライターとして収入を得たいなら、専門分野に強くどのような方向からでも書けるようなスキルがあるほうが圧倒的に有利だ。けれどもライターとしてのキャリアどころかろくな職歴もなく家庭に入ってしまった私のような人間にそのような専門性の高いスキルなどあるわけがない。そうでなくても、日本の会社ではゼネラリストであることを求められる。だから勤続年数が長くても「この道の専門家」といえるほどのスキルがない人も多いだろう。

でも、そういう人間にも勝機はある。幅広い分野で知識や経験値を持っている場合は、多少専門性に欠けていてもリサーチや取材の際にどんな切り口で記事に沿った必要な情報を得られるかがピンポイントでわかるアンテナが立つ。それを頼りにとにかく必要な情報を調べまくり、専門性のなさを補完するしかない。たとえそれが利益度外視で実質的に時給換算数十円になろうと、だ。

そのようなわけで、私のように才能がない平々凡々すぎる人間がこの世知辛い世の中で生き残るためには、とにかく「器用貧乏」として仕事の幅を広げに広げながらやっていくないのではないか?と思い始めていた。その矢先に出会ったのが今日のお題である「『多動力』by ホリエモン」だった。

その書評や斜め読みで知った内容だけでもう納得。「ホント、その通り!時代はそういう方向に完全に移行しつつあるよな~」と認めざるを得ない心境になっている。

実を言うと、堀江さんという人間は私にはよくわからない発想の持ち主に見える。色々な発言をし、さまざまな本を出しているが、正直「そんな発想はマルチな才能に恵まれた頭のよいあんたにしかできない『弱者切り捨ての論理』に過ぎないでしょ!フン」ぐらいの気持ちも大いにある。

けれども、そういう先入観を持って色眼鏡を通しても、この本で堀江さんが書いている事は、悔しいがその通りとしか言いようがないのだ。時代はもはや一つの場所で一つの仕事をしていて生き残れる時代ではない。たとえ一流のスペシャリストであっても「専門バカ」ではますますやっていけないようになりつつあると才能の「さ」の字もない私ですら肌で感じる。

収入がまだ経済的自立できない範囲でしかない私だが、競争が激しいこの業界で長くやっていくならこれからさらに業務の幅を広げていくしかない。最近手を出し始めた校閲はもちろん、もし請われればライター以外のこともやっていかないと、長くこの仕事を続けていける気がしない……

「寿命ギリギリまで働け」という、老人には大変酷な時代にさしかかるなか、老齢期を前に大変な危機感にさいなまれている今日この頃。堀江さんの「多動力」はおそらく私自身の今後の人生におけるバイブルとなるであろう。

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