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約半世紀、暇さえあれば何か書いている

約半世紀、暇さえあれば何か書いている。

パソコンやスマホがなかった頃は、何冊ものノートに色々なことを書いていた。日記は一向に長続きしなかったのに、文字で埋められたノートが量産されていったのは一体何故だろう……我ながら謎だ。

Windows3.1搭載のパソコンを人から譲り受けてからは、文章を書くツールが2つ(紙&ペンとパソコン)になり、やがてパソコンが書くツールのメインとなった。

スマホとタブレットを持ってからは書くツールが4つに増えたが、今でもメインで使っているツールはパソコンである。

長年ピアノを習っていた関係で、私とキーボードとの相性が非常によかったのがその理由だと思う。

また、老眼でも文章を書きやすいツールがパソコンであったことも今は大きな理由になっている。

パソコンを使うようになったら書くスピードが飛躍的に上がったのも一つの理由かもしれない。そのかわり手で書くことが激減して書けない漢字は激増したけどね……(遠い目)

過去記事でも何度か言った通り、書くこと自体は全く苦じゃないんですよ。むしろ書かない方が苦痛というか、「書かないと死んじゃう」みたいな感じかな?

15年ほど前までは無料で運営するブログで延々と書き続けていた。ブログのランキングサイトで何度もジャンル別で上位にもなったから、それなりに愛読者はいたのだろう。(商業ライターになっても意外とちゃんとやれているのはその積み重ねがあったからかも)

その後は毎日欠かさず短文を投稿し続けるツイ廃になっている。

ツイッターはふと思いついたことをささっと書いて送れる便利さから、ついつい投稿数が増えてしまう。その結果ツイ廃になり、今でも毎日どうでもいい内容の文章を垂れ流し続けている。

「書かないと死んじゃう病」がツイッターをやるとはまりすぎて中毒になるんだなあ…(遠い目)その恐ろしさをひしひしと感じている今日この頃だ。

……そろそろいろんな意味でヤバいかもしれない。

ちなみに、今の仕事においても、私はかなりヤバい心理状態になっている。

私はライターとして結構な量の文章を書いているが、それ自体は全く苦に感じていない。例によって呼吸をするようにキーボードで文章を書いている。

もちろん、仕事で書く文章だから自由には書けない。だから掲載メディアのカラーに合った文章表現に悩むことは非常に多い。悩みを通り越して耐え難いほどの苦痛に感じることも少なくない。

でも、その「耐え難いほどの苦痛」にある種の快感を覚えていることもまた事実だ。特に、ターゲットに刺さる文章が出てこない「産みの苦しみ」を感じた時にぞくぞくするような快感を覚えてしまう。

もはや、その快感こそが私が書く仕事を続ける原動力になっていると言っても過言ではない。

でも、そのおかげで細々とでも仕事をもらえているのだから結果オーライかな?

もはや自分でも何を言っているかわからなくなってきたが……

強引にまとめれば、かれこれ半世紀もそんな感じで文章を書き続けてきたおかげで今の私がある。

誰が読むわけでもない文章を延々と書き続けた結果、多くの人に読まれる文章が書けるようになり、それがお金になる強力なスキルとなった。

半世紀近く呼吸をするように文章を書き続け、「産みの苦しみ」に快感すら覚える性分がライターを続ける原動力になっている。

そう考えると、ライターは私の天職なのかもしれない。かなり前からうすうす感じていたことだが、今はそれが確信に変わっている。

AIライターの台頭で人間のライターは淘汰されると言われている。私も淘汰されるライターの一人になるかもしれない。

でも、ライターの仕事を失っても私は文章を書き続けると思う。もはや書くことは私の一部で切り離せないから。私が書くことをやめる時は死ぬ時だ。

だから、体が動く限り私は書き続ける。まるで赤い靴の呪いで踊り続けるヒロインのように一生書きつづける。たとえそれが1円にもならない文章でも。

そんな人生もまた一興ではないか。

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