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追悼、山本弘様

作家、ゲームデザイナー、「と学会」初代会長であった山本弘御大が2024年3月29日にご逝去されました。故人のご冥福をお祈りすると共に、私が知る氏の功績について、つらつら書いてみたいと思います。

始めにお伝えしておくと、作家としての功績並びに「と学会」について私がお話しできることはほとんどありません。私が山本弘氏について知っているのは主にゲーム関連に限定されますので、そこにフォーカスして書き記していくことをご了承ください。


グループSNEと山本弘

1980年代にTRPGを遊んでいた世代なら、グループSNEの名前は非常に馴染み深いことでありましょう。現在(2024年4月)もボードゲームやマーダーミステリーで名を馳せている同社ですが、かつては我が国におけるTRPG文化の隆盛に大きく貢献したひとつの源流ともいえる存在でした。

そんなグループSNEの歴史を探ってみると、最初は1980年代初頭に関西のSFゲーム研究サークルとして始まったのですってね。その創設者は山本弘氏に水野良氏に安田均氏という、3人揃って後のアナログゲーム文化に大きな影響を及ぼした方々でした。当時のサークル名は「シンタックスエラー」というもので、当時BASICでプログラミングをしていた者ならば必ずや目にしたことがある「文字の間違い」を意味するエラーメッセージの名称が由来となっています(この御三方、当時のPCゲーマーらしくプログラミングにも手を出していたのかなぁ)。

ウィキペディアなどの情報によれば、この「シンタックスエラー」は当時のTRPGに大きな可能性を感じ、これを世間に広く知らしめようとした安田均氏がシナリオ面でのサポートを山本弘氏と水野良氏に求めたことで結成された会のようです。TRPGは遊ぶにあたりどうしてもシナリオを必要とするので、この3人が集結したのは当時のゲーム界における時代が求めた必然だったと言えるのかもしれません。

なお、「シンタックスエラー」は英語で書くと「Syntax Error」であり、この文字を詰めたものが「グループSNE」の名の元になったとのこと。「Syntax error」は機種によっては「SN Error」と表示されることがあるので、この話はなるほどとうなずけるものがあります。

これがシンタックスエラーです。
何が間違っているか分かるかな?

「ソード・ワールド」と山本弘

「TRPG」とは何かという話をします。省略せずに言うと「テーブルトークロールプレイングゲーム」というもので、いま多くの方がスマホやPC、ゲーム機で遊んでいるRPG(ロールプレイングゲーム)の源流に当たる存在です。当時は単に「RPG」と呼ばれていましたが、コンピューターで遊べるRPGが登場すると、従来までのRPGを「TRPG」と呼ぶようになり、コンピューターで遊ぶ「CRPG」と区別されるようになりました。

TRPGは「テーブルトーク」というくらいなので、プレイヤー同士がテーブルを囲むようなスタイルで遊びます。

プレイヤーの中の1人はゲームマスターとなり、そのゲームにおける舞台設定や物語、解決すべき課題、冒険する場所などを設定します(これがそのゲームにおけるシナリオとなります)。またゲーム中においては戦闘や探索行為などの判定をする審判のような役割も担当します。

残り全員のプレイヤーは通常のプレイヤーとなって、その世界におけるキャラクター(の役割)を演じ、自らの能力を駆使しながらゲームマスターが用意したシナリオにおける使命を達成することを目指します。首尾良く生き残ることが出来れば経験がたまり、キャラクターが成長していったりします(しないゲームもあります)。

つまりTRPGとは、そのゲームにて与えられたルールシステムを元に、ゲームマスターとプレイヤーとで物語を作り出す遊びであると言えます(人によっては「ルールのあるごっこ遊び」と言ったりもします)。

世界最初のTRPGは1974年にアメリカで生まれた「D&D」(ダンジョンズ&ドラゴンズ)というタイトルの製品です。このゲームはいわゆる「指輪物語」的な剣と魔法をベースとしたファンタジー世界での冒険活劇をもたらすものであり、後のあらゆる同系統のゲーム作品の手本となった作品でもありました。

ただこのゲーム、その概念や面白さを人に広めるのがなかなか難儀だったのですね。それにそもそもアメリカ発のゲームであったことも諸々の分かりづらさに拍車をかけておりました。前述したグループSNEがTRPGをもっともっと世間に広めるべく国産TPRGの開発を手掛けたことは、これもまた時代的な必然だったと言えましょう。

かくして時は流れ1989年、グループSNEの手により国産TRPGの代表とも言えるタイトル「ソード・ワールド」が誕生しました(なお山本弘氏は本作における世界の中でアレクラスト大陸の西部地方を担当されたとのこと)。

山本弘氏が担当されたという西部諸国の世界。
富士見書房「盗賊たちの狂詩曲-ソード・ワールドRPGリプレイ集①」
(山本弘/グループSNE著)より引用

それまでのTRPGの大半が高額なボックスタイプで販売されていたのに対し、「ソード・ワールド」は文庫本で供給されました。このお手軽感が後押ししたこともあるのでしょう。「ソード・ワールド」はまたたく間に我が国のTRPG界を席巻し、先に流通していた「D&D」等と激しく競合していくこととなったのです。

もちろん「ソード・ワールド」もTRPGである以上、かつて「D&D」が直面した「概念の分かりづらさ」を同様に抱えていたことは言うまでもありません(ただ「D&D」の発売直後とは比べ物にならないくらいゲーマー周囲の理解が進んではおりましたが)。しかしさすがグループSNEの主要メンバーは作家の集団です。「ソード・ワールド」は以下に記す手法により、それまでのTRPGとは一線を画した販促でこの難題に挑んだのでした。

リプレイと山本弘

それは「リプレイ」と呼ばれるもので、ひとことで言えばTRPGのプレイ記録を読み物としてまとめたものです。例えば演劇ならシナリオ(読み物)を先に作り、それを元に演者が舞台で演じるわけですが、言うなれば彼らはその逆をやりました。すなわち、ゲームをプレイして演じた内容を元に読み物を作って売り出したのです。

グループSNEはかつてパソコン雑誌「コンプティーク」誌上で「ロードス島戦記リプレイ」を成功させた実績があったため、このリプレイという手法は言うなれば同社のお家芸と言えるものでした。彼らはこのノウハウをそのまま自社製品である「ソード・ワールド」の販促に流用したのです。このときリプレイを担当したのが、かの山本弘氏でした。

山本弘氏によるリプレイはライトノベル的な読み物としても面白く、それでいて「これを読めばTRPGを遊ぶ際の流れやプレイの仕方がひと通り分かる」というものに仕上がっておりました。プレイヤーが合宿所に集まるところから始まり、キャラクターをひとりひとり作っていくところ、冒険の始まり、ゲーム中に発生する様々なスキる判定、ルール運用の仕方、そして戦闘、冒険終了後の経験値の取得とレベルアップetc…。それはどんな説明書や経験者の話よりも雄弁にTRPGの魅力を多くの人々に知らしめました。以降の我が国におけるTRPG業界の隆盛は、このリプレイが無ければ決してあり得なかったと言っても過言ではありますまい。まさにこのリプレイこそが我が国における当時のアナログゲームのひとつの流れを作り上げたのです。

ただしこのリプレイには既存のプレイヤーからの批判が多かったこともまた事実でした。と言うのも「読み物として面白い」ということをことさら重視したつくりとなっていたため、冒険の内容やプレイヤー同士の会話が非常にライトかつおちゃらけた方向に振られていたためです(何せ初期に出たリプレイ集は、後に「スチャラカ編」なんていうサブタイトルが付け加えられたくらいですからね)。古参のプレイヤーはTRPGに生死を賭したリアルな冒険を求める傾向が強かったため、山本氏ならびにグループSNEが推し進めたユルめな路線とはどうしても相性が合わなかったのでしょう。

このことについてひとつ例を挙げると、最初のリプレイ集である「盗賊たちの狂詩曲」の中に次のような記述があります。

実はここでGMはひとつミスをしています。アリシアンは前のラウンドまでショート・ソードで戦っていたのですから、それをしまい、なおかつマントをはずしてミノタウロスにかぶせようと身構えるには、最低10秒(1ラウンド)は必要なはずです。

しかし、言い訳をさせてもらうなら、こうした些細なミスはテーブルトークRPGにはつきものなのです。ルールを厳密に解釈して、コンピュータのように正確に判定していてはプレイが堅苦しくなってしまいます。普通のゲームと異なり、RPGにおいては勝敗はさほど重要な要素ではありません。ルールの正確さよりも、ノリが大切なのです。

富士見書房「盗賊たちの狂詩曲-ソード・ワールドRPGリプレイ集①」
(山本弘/グループSNE著)より引用

この文面が当時のグループSNEのTRPGに対する考え方を最もよく表していたと言って良いでしょう。そしてこの発言はTRPG界隈のあちこちで様々な波紋を呼ぶこととなりました。

「ゲームにおいてルールの正確さよりもノリが大切とは何事だ!!」
「これだからグループSNEは許せない、こんなものは冒険ではない」
「TRPGをお子ちゃま寄りのミーハー路線に堕落させしめやがって…」

…まぁどの業界でもありますよねこの手の対立の構図。

私はどちらかと言うとグループSNE寄りの考えなのですが、それにしても山本弘氏はよくもまぁこんな炎上するに決まってるようなネタを堂々と書いて出版したよなぁ…と、むしろそこに驚愕したのを覚えています。

あの時その場にいたから言うんだけど、本当に当時のTRPGサークルは荒れてました。ルール運用を巡って怒鳴り合いになるなんてことは日常茶飯事。ましてやルール厳格派と物語重視派の対立はもう火花がそこに見えるくらいバチバチで、いまから思えばよくもまぁあんな殺伐とした集まりの中に好き好んで身を投じていたものだと思います(そうでない会もありましたが)。

まぁね、この話で言えばTRPG古参の言いたいことは分かります。でもね、と私は言いたい。「そんなこと言ってるからTRPGがごく一部のマニアの遊びから長らく脱却できなかったんじゃないの?」と。

ゲームだってスポーツだって推し活だってそうだと思うけど。

何にでも「これが正しい」ってされているものがあります。それはルールで明文化されているものもあれば、不文律として愛好家の間に浸透しているものもあります。ですが、古参がその「正しさ」を振りかざして新入りに押し付けていたら、新入りはなかなかそこに入っていけないんですよ。そういう意味では、山本弘氏の言う「ルールの正確さよりも、ノリが大切」っていう価値観が時に許されたっていい。

山本氏は絶対狙って書いたと思いますが、これは決してルールの運用が適当でいいって言ってるんじゃなくて、「これからTRPG初心者がどんどん増えていくんだから、少なくとも古参の経験者はそのくらいの度量をもって新人を迎えてあげたらどうですか?」という氏からのメッセージにも受け取れるのです。TRPG経験はさておき、皆様はどのように感じられましたか?

エルフと山本弘

ちょっと固い話が続きました。少しユルめに舵を切りなおしましょう。

いわゆるファンタジー界隈には「エルフ」という種族がいます。人間のようでいて人間というわけではない。いわゆる亜人間(デミヒューマン)という存在で、寿命が長い、耳が長い、魔力を持っている、森など自然の中に住むなどの特徴を持っています。ウィキペディアによれば「ゲルマン神話に起源を持つ、北ヨーロッパの民間伝承に登場する種族である」と記載されておりますが、おそらく我々が良く知るエルフはJ.R.Rトールキン氏の著作である「指輪物語」に登場するものがその起源でありましょう。

…いかんいかん、ユルい話をするのだった(笑)。

直近では多くの皆様が知ってるエルフってこれですよねたぶん。

何て言うか、エルフをそんなに説明せずにぽんと物語に登場させても違和感なく受け止めてもらえるんだから、いい時代になったものですね…。

さて、この章のタイトルは「エルフと山本弘」です。実は山本弘氏とエルフには切っても切れない縁があるのです。

話は1980年代後半にさかのぼります。当時のグループSNEがTRPG文化を世間に広めるべく様々な手を打っていたことはここまでにも述べてきましたが、その中でも特に名を馳せたのがパソコン雑誌「コンプティーク」誌上にて連載された「ロードス島戦記リプレイ」というものでした。これは後に同社が「ソード・ワールド」で展開していくリプレイという手法の先駆けとなったものであり、当時は「D&D」のオリジナルワールドものとしてプレイされ、その様子が記されていたのです。

その「ロードス島戦記リプレイ」にディードリットという女性のハイエルフ(エルフの上位にあたる存在)が登場するのですが、そのディードリットをプレイヤーとして担当していたのが、何を隠そう山本弘氏だったのです。

そのディードリットのビジュアルがこれ。描いたのはイラストレーターの出渕裕氏。確かにD&Dのプレイヤーズマニュアルには「とがった耳を持つ」って書いてあるけど、それにしてもトガり過ぎやろアンタっていう…(笑)。

「D&D プレイヤーズマニュアル」に掲載されているイラスト
たぶん右側がエルフ

一般的にエルフは(特にD&Dの設定によれば)戦いよりも森の中で暮らすことを好むそうですが、このディードリットは活発な性格で「外の世界を見るため」という目的で森を出てパーンたちと冒険の旅に同行することを選んだということになっています。まぁそういう設定にでもしないとエルフが冒険パーティーに加われないワケですけれども、そのあたりを山本弘氏はうまく演じ、冒険者としての、また物語のヒロインとしてのエルフを表現したのではないかと推測されるのです。

とは言え、「ディードリットの中の人」というイメージが先行するのは本人にとって本意ではなかったのか、後に氏は当時のTwitterで次のようなコメントを残しています。

うーん、僕がディードリットやってたのはコンプ連載版の最初の数回だけで、途中から女性プレイヤーにバトンタッチしたって、だいぶ前から言ってるのに、まだ知られてないのかな……つー..「山本弘による『JKハルは異世界で娼婦になった』批判」

山本弘氏X書き込みより(2017年12月24日)

まぁ、その当時の資料が私の手元にもないから、実際の山本弘氏が担当していたディードリットが本当のところどうだったのか、その後女性プレイヤーにバトンタッチしてからのものと差異があるのかは分かりません。

ですが、TRPGで最初の数回のプレイというのは、そのキャラのイメージを決定づけるうえでとても重要だったのではと思います。特にディードリットはあの話の中ではとても目立つキャラクターですからね。私的には山本弘氏によるディードリットが後の女性エルフのロールモデルを作り上げたと言って良いんじゃないかと、そんな気すらするのです。実際にTRPGで女性のエルフって当時めっちゃ人気でしたし(笑)。

まぁご本人が反論できないのにあまり邪推を並べるのはよろしくない。失礼なことは多分言ってないと思いますが、山本弘氏とディードリットのことについてはこのくらいにしておくといたしましょう。

追悼の続きはゲームマーケットにて

ここに書いたことは山本弘氏のごく一端なのでしょう。おそらくご本人が最もメインとしていたのはSF作家としての活躍だと思うので、そういう意味では今回の私の記事、「追悼」と言っているものの、極めて山本弘氏の活動の一部のみに偏った記事であると思っています。まぁ私はTRPGゲーマーとして知っている部分がほとんどなので。

TRPGを離れて久しくなってしまった私だけれど。
それでもやはり、そこにいつもいると思っていた方がもういないんだという現実を突き付けられると、それはそれでやはり悲しいよ。

これを機に山本弘氏のSF小説のひとつも読んでみようかな…。
普段SF小説なんてほとんど読んだことないから、何読めばいいのか分からないけれども。

いや、氏を偲ぶ機会がまだあるぞ。
それもすぐそこに。

ゲームマーケット2024春、今年は4月27日(土)と28日(日)の2日間に渡って開催されることが決定しております。

グループSNEは両日ともエリア16にて出展しているとのことです。

実は私、何を隠そう2023年春は「パワーシャーク」、秋は「そういうお前はどうなんだ 学園七不思議編」と、2年連続でグループSNEさんのブースで何かしら買ってるんだよね。

ならば今年も行くか、行っちゃうか!?
もうこの流れなら、行くっきゃないでしょ!!

まだ具体的なブースの案内とかについては情報ないけど、絶対に山本弘氏が関係している何かしら出てると思うのですよ。
(私が思ってるだけなので、出てなかったらごめんなさい)

ちょっとそれを期待して、今回もまた伺います。
山本弘氏関連の何かがなくとも、せめてグループSNEのブースにて、心の中で手くらいは合わせたい。

これで今年もゲームマーケットに行く理由が出来ました。
追悼の続きは東京湾岸にて。

(了)

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