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「音楽熱想」にて語られた茅原実里さん「純白サンクチュアリィ」誕生秘話…作り手の側から見たアニソン史の舞台裏

音楽熱想です!!音楽に向けられた熱い魂の物語です。こういうのをずっと聴きたかったのですよ。当時の音楽プロデューサーご自身の口から赤裸々に語られるアニソン史の舞台裏。多少なりとも興味ある方は是非ご聴取を。


これは茅原実里ちはらみのりさんの河口湖ライブ“Historical Parade”(8/3~4)に向けた、楽曲振り返り放送

この放送を行なっているのは、主にアニメやゲームの楽曲制作やコンサート制作を行なっている株式会社ハートカンパニーの代表取締役社長、斎藤しげるというお方です。

斎藤社長は独立してハートカンパニーを立ち上げる前は株式会社ランティスに所属しており、2006年に「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメ作品にて茅原実里さんが声を担当していた長門有希のキャラクターソング「雪、無音、窓辺にて。」をリリースしました。

この後斎藤滋さんは茅原実里さんをランティスレーベルの歌手として新たにプロデュースすることに。その原点となった楽曲が2007年1月にリリースされた「純白サンクチュアリィ」。斎藤さんの強き思いによって世に放たれたこの楽曲は、茅原実里さんの運命を大きく変えることとなりました。そしておそらくは斎藤さんご自身の運命すらも。

▲「純白サンクチュアリィ」
(歌:茅原実里 / 作詞:畑亜貴 / 作曲:菊田大介)

斎藤さんと二人三脚でアーティストの階段を駆け上がった茅原実里さんは、一度歌手活動を休止するも2023年夏に活動再開。そして今年2024年の8月3~4日にはかつて毎年ライブを行なっていた聖地、河口湖ステラシアターにて20周年記念ライブ“Historical Parade”を行ないます。

前置きが長くなりました。今回紹介する放送は、“Historical Parade”の開催を前に、そんな茅原実里さんの現在に繋がる歌手活動の原点を音楽プロデューサーの立場から振り返るというものです。

「純白サンクチュアリィ」が生まれた経緯

それでは放送の内容、すなわち「純白サンクチュアリィ」が生まれた経緯を紹介していきます。紐解いていけばそれは斎藤滋という我が国における偉大な音楽プロデューサーの半生であり、またアニソン界において滅多に語られることのない、舞台裏に隠された歴史でもありました。

放送自体を聴いてほしいので、詳細を書きつつも番組そのままの引用はなるべく控え、私なりの言葉でまとめていきたいと思います。過度なネタバレをこの記事で書いちゃうのはどうなのかなという懸念もありますが、斎藤社長ご自身が「拡散してほしい」というようなことを仰っていたのでまぁたぶん大丈夫でしょう(笑)。

① 斎藤滋と志倉千代丸と水樹奈々と三嶋章夫の繋がり

まず「純白サンクチュアリィ」が何故デジタルチックな雰囲気を前面に押し出した打ち込みサウンドになったのか。そこには2005~2006年当時のアニメ、声優業界の状況が色濃く影響していると斎藤社長は言います。ではそこに至るまでの斎藤さんの状況を放送から振り返ってまいりましょう。

斎藤さんは2005年4月に株式会社ランティス(主にアニメ・ゲーム関連の音楽制作会社)に入社するのですが、その前はサイトロン・デジタルコンテンツ株式会社に在籍しておられ、同社の音楽プロデューサーである志倉千代丸さんの部下として働いておられたとのこと。

仕事内容は主にゲーム音楽やゲームの歌の制作をしており、特に「メモリーズオフ」という恋愛アドベンチャーゲームシリーズにおいて志倉さんの楽曲制作のフォローをしておられたようです。

そのとき、当時まだ新人だった水樹奈々さんを志倉千代丸さんがキャスティング・ブッキングし、「メモリーズオフ2nd」におけるヒロインである白河ほたるの役をあてがったほか、主題歌も歌ってもらったとのこと。この時のエンディングテーマである「オルゴールとピアノと」(作詞・作曲:志倉千代丸)が当時スマッシュヒットとなり、水樹奈々ファンの間で「志倉千代丸の曲はいい」というムードが醸造されていったとか。

この「メモリーズオフ」はコンサートを開催しており、ここに斎藤さんがスタッフとして加わっておりました。たくさんの声優さんのキャスティング・ブッキングそして制作進行管理を行なっており、たくさんの叱責を受け苦労されたと斎藤さんは番組で語っています。この苦労が後の名プロデューサーである斎藤滋を作り出し、さらにはハートカンパニー運営の手腕に繋がっているかもしれませんね。

ともあれここで重要なのは、これらの仕事を通じて当時の斎藤滋さんが志倉さんや水樹奈々さんと繋がり、その流れから水樹奈々さんのプロデューサーである三嶋章夫さん(キングレコード)と斎藤滋さんの繋がりが生まれたということ。この人間関係の連鎖がアニソン史を裏でいろいろと動かしていくことになるのですが…。もう少しこの流れで振り返りを続けましょう。

なお水樹奈々さんと三嶋章夫さんの邂逅などについては以下の書籍に詳しく載っているので、興味ある方はご一読をお勧めします。水樹奈々さんご本人の筆による自叙伝です!

② 斎藤滋氏、三嶋章夫氏をプロデューサー業の師匠と仰ぐ

「オルゴールとピアノと」のヒットを見た三嶋章夫さんは、水樹奈々さんの次のアルバム「MAGIC ATTRACTION」(キングレコード、2002年11月発売)に志倉さんの作る曲を入れたいと考え、当時のサイトロンを訪問し、結果「曲を書いてほしい」という流れになりました。

このときに制作された楽曲のタイトルは「Brilliant Star」(作詞・作曲:志倉千代丸)。いま聴くと「へぇ~あの水樹奈々が!こんなテイストの楽曲歌ってたんだ!!」ってなります。いやヘンな意味じゃなくて、むしろ新鮮さを覚えたような感じで。

その当時斎藤さんはいつも志倉さんの横におり、志倉さんのマネージャーのような動きで制作に関与していたため、この「Brilliant Star」の制作を通じて三嶋さんとの間にコミュニケーションが生まれたと仰っています。

(なお余談ですが、このとき「Brilliant Star」のPVを作った株式会社要堂が後に茅原実里さんのPVなどを多数手がけることになりました)

そしてこの後、水樹奈々さんは声優アーティストとしてスター街道を驀進していくことになります。

これは贔屓目無しで言うのですが、水樹奈々さんという方は単に歌が凄いというだけでなく、この方の登場によって声優という職業の存り方や声優界におけるのアーティストとしての価値感がまったく別物に変わってしまったというような、そんな影響力を持った人物です。彼女がいなければ現在のようなアニソン文化は存在していなかっただろうとすら私的には思っています。2009年に「紅白歌合戦」に声優として初出場したことでその知名度は一般層にも知れ渡り、以後の音楽番組などで声優が歌うアニソンが取り上げられていく流れを作る一助ともなりました。

そんな水樹奈々さんがいままさにアーティストとして大きく羽ばたいていく様子を、その瞬間を、斎藤さんは客席で体感しておりました。三嶋さんとの繋がりから水樹奈々さんのライブに招待されるようになっていった斎藤さんは「吸収できるもんは何でも自分のものにする!」くらいの勢いで水樹奈々さんに食らいついていたというのが放送から読み取れます。例えば会場キャパの大きさの広がり、総合的なライブのプロデュースetc…。「ライブの最後のMCで次のライブの発表をする」という手法も水樹奈々さんのライブから学んだということです。

斎藤さんが三嶋さんを通じて学んだことはライブの手法だけではありませんでした。前述した志倉さんと立ち上げた次のプロジェクト「tiarawayティアラウェイ」(千葉紗子と南里侑香によるユニット)において販売窓口となっていたのがこれまたキングレコードの三嶋さんなのですが、このとき斎藤さんはCD販売その他の音楽プロデュースのノウハウを三嶋さんから教わることとなりました。

CDってどうやって売ったらいい?
宣伝ってどうすればいい?
イベントどうしたらいい?

三嶋氏は水樹奈々プロデュースのみならず、当時「ときめきメモリアル」のCDもやっていたため、こうした音楽プロデュースのノウハウをたくさん持っていたそうです。

斎藤くんこういうときはこうしたらいいんだよ。
こういうCDを出したらこういう動きをした方がいい。
ラジオやるんだったらまず地方局からやった方がいい。
現場でこういうトラブルが起きたらこういう対応したらいい。
声優さんの業界はこうだから、こういうトラブル起きたらこういう対処をしたり、ここに相談したらうまくいく。
イベントでの立ち振る舞いはこうすべきだ。
お店に行ったらこういう挨拶をしろ。
etc、etc…

ほぼ番組での斎藤さん発言そのまんま抜粋

三嶋さんってそんないい人だったの?(失礼…)

私が「深愛」(水樹奈々著)を読んだ限りでは、三嶋さんって自分の育ててるアーティストに対してめちゃくちゃ厳しく容赦がない人って印象があるんですよね(詳しくは書きませんが、あの本読んだら誰でもそう思います)。そんな世話焼きの方だったなんて、むしろ意外というイメージです。

おかげで「tiarawayティアラウェイ」はアルバム1枚であったもののスマッシュヒットと言える成功を収められたとか。プロデュースの基礎の基礎を伝授してくれた三嶋さんの言う通りにやったらうまくいったそうです。

この後斎藤さんは2005年に株式会社ランティスに転職するのですが、当時のランティスの流通がキングレコードだったこともあり、お二方の交流は以後も続いていたそうです。水樹奈々さんウォッチも継続しており、「魔法少女リリカルなのは」のアニメの発表会にも立ち会った際に「記者会見ってこうやるんだ」と、またもノウハウを蓄積されたようです。後に斎藤さんは茅原実里さんをプロデュースした際にもよく記者会見をされていたそうですが、それもまた三嶋さんから教わったことのひとつだと番組で語っています。

③ Elements Gardenと弦楽器

ここまで主に斎藤さんの仕事人生に関するお話しを展開してきました(番組内容に沿ってお伝えしているので)。なかなか茅原実里さんや「純白サンクチュアリィ」出てきませんね?でもご安心を。ここから茅原実里さんの音楽性に繋がる話がぼちぼち出てまいります。引き続きアニソン史の振り返りを一緒に見ていくといたしましょう。

ここでElements Gardenという音楽制作集団が登場します。読み方は「エレメンツガーデン」です。略称は「エレガ」。このElements Gardenについてのいきさつや詳細についてはここでは割愛しますが(興味がある方は下記ウィキペディアをご参照ください)、こちらに所属する作曲家の皆様方が後の茅原実里さんを大きく後押しすることになっていきます。

ちょっと放送で語られた順序を入れ替えてお届けしますね。いまご紹介したElements Gardenが2004年1月に栗林みな実さんの楽曲「翼はPleasure Line」(アニメ「クロノクルセイド」オープニングテーマ)を制作したのですが、この曲がストリングス(弦楽器)をふんだんに盛り込んだサウンドで、当時としては斬新な仕上がりだった(らしい)のです。

実際に聴いてみた印象としては…えー、そうなんや、これが当時新しかったのか、って思ってしまいました。私がいまのアニソンに慣れ過ぎてしまっているせいかもしれません。

この楽曲を手掛けたのはElements Gardenの立ち上げメンバーのひとりである上松範康あげまつのりやすさん(作曲/編曲)という方。彼はElements Gardenを立ち上げる際に「自分が得意とするストリングスサウンドを前面に押し出す」というブランディングで勝負すると語っていたそうで、斎藤さんはこのような作風を指して「上松節」とか「上松サウンド」と呼んでいたりします。

斎藤さんが放送で語ったところによると、当時声優さんの曲にストリングスの編成をバン!と入れるというのはあまり例がなかったようです。と言うのも弦楽器はどうしても生楽器を演奏する必要があり、打ち込みだけでは作り得ないことから技術的にも予算的にもハードルが高かった(レコード会社が嫌がった)という理由が挙げられています。

それでも当時のElements Gardenがこの方向性で突っ走ることができたのは、当時ランティスの副社長だった伊藤善之さんが「若い作家を育てる」ことに対して情熱を注いでおり、上松さんの弦楽器路線が前向きに評価されたためだというのが斎藤さんの見方のようです。

そしてこの話はここで終わりません。「翼はPleasure Line」を聴いたキングレコードの三嶋さんが「水樹奈々のアルバムにも上松曲を入れたい」という流れになり、2004年12月にリリースされた水樹奈々さんのアルバム「ALIVE & KICKING」に上松さんが作曲・編曲を手掛けた弦楽器バリバリの楽曲「Tears' Night」が入ったというのです。

これが「Tears' Night」(水樹奈々)原曲ね。
ストリングスもそうだけど、クオリティ高いよな奈々さん…。

こちらは「Tears' Night」(水樹奈々)オーケストラでのライブ動画。
この圧倒的なストリングスの群れに刮目せよ!!
こういう時代の先駆けを作った先人たちに心から敬意を表します。

こうして「翼はPleasure Line」の影響で生まれた水樹奈々さん楽曲「Tears' Night」は奈々さんファンにも刺さり、上松さんとElements Gardenはさらに世に羽ばたいていくことになったのです。そしてこの流れで翌年の2005年10月、アニソンファンにはもはや説明不要の化け物楽曲「ETERNAL BLAZE」の大ブレイクが巻き起こったことは、もはやアニソン史において必然的に発生したひとつの大きな潮流として受け止めるべきなのでしょう。弦の演奏に対する予算をレコード会社が投じるという状況は、このようにしてスタンダードになっていったのですね。

「ETERNAL BLAZE」(作詞:水樹奈々 / 作曲:上松範康)
これが2005年のクオリティとか未だに信じられないです。

以上、何だか見てきたように語っていますが、これらすべて斎藤社長の受け売りです。でもこうして歴史を語ってもらえると、アニソンにおける大きな作風の流れがどのように変わっていったか、分かりやすいですよね。

④ 「涼宮ハルヒの憂鬱」と茅原実里

お待たせしました。ここに至って遂に茅原実里さんが登場します。

ここまで水樹奈々さんの話ばっかしで「何だこの記事」ってなった方もおられることでしょう。まぁでも、何事も流れを理解するって大切ですからね。茅原実里さんにしても過去に水樹奈々さんのライブを観に行っており、日本武道館で歌うその姿を観て「いつか茅原実里のライブをここで実現させてやる」と自身の思いを綴られています。

放送の振り返りに戻りましょう。2005年の終わりごろ、斎藤滋氏がアニメ作品「涼宮ハルヒの憂鬱」の音楽プロデューサーとしてやるということがランティス社内で決定。「涼宮ハルヒの憂鬱」は2006年春から放送を開始し、大ヒット作品となりました。

茅原実里さんはこのアニメ作品に長門有希役で参加しておりました。ファンなら誰しも暗唱できるという、あの「この銀河を統括する情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」です。私も言えます。これが言えなくなったら「ちとせあーくはアルツハイマーになった」と見なしていただいて結構です(笑)。

その長門有希のキャラクターソングを作ることになったのですって。

「長門って歌わないのにキャラクターソングってどうなんでしょうね」
「歌わないけど、長門のイメージを歌にする、という意味のキャラクターソングと捉えていけばいいんじゃないかと」

当時のアニメプロデューサーと斎藤さんの会話だそうです

斎藤さんによると、当時キャラクターソングって2通りあったとのこと。

ひとつは「キャラクターがまんま歌ってます!」というもの。例えば「涼宮ハルヒの憂鬱」における「God knows...」(歌:平野綾)は作中でハルヒがハルヒとして歌っていますが、あのやり方。

もうひとつは「作中から感じ取れるキャラのイメージを音楽のジャンル、サウンドに変換するとどうなるか」というのを体現するもの。本作中において長門有希は歌うシーンなどないしそういうキャラでもないので、この方法が採択されました。すなわち「長門というキャラを歌で表現したらこうなる」という路線を追求していく方向で。

「雪、無音、窓辺にて。」(歌:茅原実里)はこうして企画されました。

プレイボタンを押すと「雪、無音、窓辺にて。」から再生されます。

さて、長門有希というキャラのイメージってどんなでしょうか。

長門はクールですし、冷静ですし、頭がいいし、頼りがいがある。
原作をちゃんと理解すると、長門ってどこか切ない。
3年間ずっとあの部屋で待機していたとか。
エンドレスエイトではものすごい数の夏を繰り返し、ひとりだけその記憶を維持しているとか。
健気ともいえる。
その辺の切なさも必要だし。
ただ切ないだけで悲しい曲になっちゃいけないので、彼女の持つ強さとかたくましさみたいなものを表現したいなぁ。
SF感というものが強いキャラクター。
SF感って音楽にするとなんじゃろね。
デジタルチックなサウンド。
打ち込みのデジタルロック、今でいうところのEDMとか。
長門の心の中にあるであろう生まれる感情、いわゆるバグを起こしていくという感情を音楽で表現するにはどうしたらいいんだろう。

斎藤社長の長門有希に対する印象(放送より)

なるほどなるほど、キャラのイメージを音楽に落とし込んでいくってこんな風にやっていくんですね…。勉強になります。

さぁさぁそこで、前章で書いたことを思い出してほしいのですが。

Elements Gardenの弦楽器!!

斎藤さんここで閃きました。Elements Gardenの弦楽器。これを自分の案件でも出来ないかなぁと思っていた斎藤さんにとって、この仕事は渡りに船のような案件でした。

前章でもお伝えしたように、弦楽器は人間が弾かないと成り立たない楽器であり、どうしても人間の感情がそこに乗るといいます。そういう意味では非常に感情的な楽器なのだとか。「クールでデジタルのサウンドに弦楽器の人間の感情が出るものを上にのせる。これが長門有希になるんじゃないか」と当時の斎藤さんは思ったのです。

この話はElements Gardenでアニソンの弦楽器路線を推し進めた上松さんに共有され、上松さんのスタジオにてさらにテクニカルな部分が追及されることになるのでした。

「この弦のフレーズはこのように動かしたい」
「もうちょっとクラシカルな動かし方にしたい」

そんなこんなで出来上がった「雪、無音、窓辺にて。」は、当時のハルヒ人気、長門人気もあって大ヒット。このときはまだ茅原実里さんがランティスでデビューすることが決まっていませんでしたが、この一曲が茅原実里のサウンドとしてひとつの基点となり、翌年リリースとなる「純白サンクチュアリィ」に至る道筋となっていったのです。

⑤  茅原実里の方向性とは~I'veサウンドの影響

ここからはいよいよ、アーティスト茅原実里を世にリリースしていく段階に入っていきます。

「雪、無音、窓辺にて。」を成功させたことで茅原実里さんと斎藤さんの繋がりが生まれ、やがて運命に導かれるように茅原実里さんのランティスでの歌手活動が決まっていきました。このことについては以下リンク先の文章で語られています。

ランティスは音楽制作会社であり、斎藤さんは音楽プロデューサーなわけですから、ひとりのアーティストをデビューさせる際には「どんな方向性で売り出すのが良いだろうか」について真剣に検討するわけです。

「茅原さんの音楽ってどんなのがいいのかな?」
「長門のイメージを大事にした方がいいよね」
「じゃあ「雪、無音、窓辺にて。」の感じだよね」
「デジタルで、弦楽器も入れて」

放送より、当時の打ち合わせの様子

ここで、「デジタルのサウンド」ってのは何なのかというテーマが斎藤さんより語られます。よく言われる「打ち込み」(コンピュータに入力して作る音楽の総称)ってやつです。

当時、この路線で斎藤さん等が大いに参考にした音楽制作チームがありました。その名もI've(アイブ・アイヴ)。北海道札幌市に拠点を置き、高瀬一矢さんという方が率いる音楽制作プロダクションです。

I'veのサウンドは格好良くて、当時考えられ得る打ち込みサウンドの最上級であったとのこと(斎藤さん談)。特にゲームの音楽に定評があり、「I'veが曲を書けばそのゲームが売れる」というくらい凄いブランド力があったのだそうで、2002年に「おねがい☆ティーチャー」の主題歌とBGMをランティスがI'veに発注し、主題歌をKOTOKOさんが歌ってそのリリースをランティスが行なったという縁もあったそうです。

またElements GardenもこのI'veとコミュニケーションがあったようです。「いつかI'veのような存在になる!」がElements Gardenの目標で、高瀬代表は言うなれば彼らの師匠格にあたる存在なのだとか。

斎藤さんは番組内で2004年4月に発売されたKOTOKOさんの「羽 -hane-」というアルバムに触れ、「こんなに凄い、格好良いサウンドがあるんだろうか」と衝撃を受けたことを語っています。特に「ひとりごと」という楽曲を凄く研究したということを。

▲斎藤さんのブログ。「ひとりごと」(KOTOKO)に対する思いが綴られています。

この曲が「純白サンクチュアリィ」に繋がる何かがある!?と斎藤さんが力説するので聴いてみました。YouTube載せておくので気になった方は聴いてみてください。私的感想としては、デジタルチックでありながら情感の乗ったメロディアスなこの勢いが茅原実里さんの楽曲に影響したのかな、という印象を受けました。いい音楽は時代を経ても色あせないものですね。

およそ語り尽せないくらいの勢いでI'veサウンドについて語った斎藤さん。長門有希のキャラソンを作るときに「格好良い打ち込みって何だ」と自問自答した時、斎藤氏の中ではI'veサウンドだったと言います。そして茅原実里さんの方向性を考えたときに行きつくのです。

「I'veサウンドのようなものをベースにしてそこに弦楽器を乗せたい」

斎藤さんは考察します。

水樹奈々さんの「Tears' Night」にしても、栗林みな実さんの「翼はPleasure Line」にしても、「デジタルと弦」という組み合わせではなかった。生っぽいサウンドの上に弦の音が乗っかっている。つまりこれらは「有機的×有機的」な組み合わせだった、と。

長門でやりたかったのは、デジタルなサウンドの上に人間の情感味あふれる弦を入れることによる「無機質×有機質」の組み合わせだった。

そして斎藤さんは振り返ります。あの頃に出会った水樹奈々さんは大スターになっていた。自身の音楽プロデュースの師匠である三嶋章夫さんがいて、その三嶋章夫さんがやる水樹奈々さんに追いつけ追い越せの気持ちがあったと。三嶋章夫さんの良いところは全部吸収しようくらいの気持ちがあるが、さりとて完コピしてもしょうがない。「違いを出さなきゃいかん」ということであれば、茅原さんに関しては「デジタルと弦」っていう風にしよう!!

燃えるような思いは熱量を増し、やがて白へ…。

⑥ 「純白サンクチュアリィ」誕生~菊田大介と畑亜貴

茅原実里さんのランティスにおけるデビュー曲の決定は、当時コンペで行なわれたそうです。すなわち、いろんな曲をいろんな作家さんから集めて決定するのです(放送を聴く限り、作曲から決めたみたいですね)。なおこのコンペの内容については私が以前書いたnoteに詳細を記しているので、よろしければご覧くださいませ。

ここで斎藤さんととてもとても仲睦まじいElements Gardenの作曲家である菊田大介さんについて触れておきましょう(音楽熱想では斎藤さんと菊田さん、2人合わせて「サイキック」という雑談ユニットを組み、毎週土曜日に愉快なトークを繰り広げています)。

ウィキペディアでは「90年代風サウンドのアイドルポップスや、ギター、ストリングスにデジタルサウンドを取り入れたドラマチックな楽曲を得意としている」と書かれていますが、当時のElements Gardenでは見習いのような存在であったようです。斎藤さんとのご縁の始まりはは2005年7月にアニメ放送された「機動新撰組 萌えよ剣」のときで、このときは上松さんのアシスタントとしてくっついておられたとのことでした。その後も「雪、無音、窓辺にて。」の仕事などでは一緒にいたそうです。

そんな菊田さんが茅原実里さんのランティスにおけるデビュー楽曲を決めるコンペにおいて、見事に楽曲採用を勝ち取りました。

いろんな曲をいろんな作家さんから集めて最後の2曲まで残った中、最後はランティスの伊藤副社長が放った「絶対菊田の方がいいよ」というひと言で決せられたとのこと。

斎藤さんは振り返ります。菊田さんの作る曲が好きだったと。

当時のランティスは「ギャラクシーエンジェル」関係の仕事もしており、菊田さんもキャラクターソングで何曲か提供していたのですが、その中の「ドタ☆バタ☆フィエスタ」っていう曲が好きだったそうです。

そのことを斎藤さんは菊田さんに伝え、さらにその気持ちから「菊田くんにも(コンペに)参加してほしいです」と上松さんにお願いしていました。当時の菊田さんはスランプ気味で、ことによると音楽やめようまで思っていたそうなので、このコンペ参加が菊田さんの魂を震わせ「ちゃんと見てくれている人がいるんだ!」と奮起に繋がったのかも知れません。斎藤さんのそういうところ、いまの社長業にも活きているのではという気がします。

さて作曲が決まったので次は作詞ですが、これについては伊藤副社長の「畑亜貴しかいないよ!」のひと言で決したそうです。斎藤さんもそれに同意されたそうですから、その信頼感が伺えます。畑さんは当時「涼宮ハルヒの憂鬱」でも書いてたし、いろんな作品で書いていたので、彼女に任せれば安心という安定感もあったのでしょうね。

「畑さんの歌詞ってすごい」と斎藤さんは言います。その哲学は畑さんが斎藤さんに語ったという言葉にも表れています。

「10年後とか20年後にその曲をあらためて聴くと10年後、20年後なりの良さがそのとき表現されるように、私は歌詞を書いている」

斎藤さんが語った畑亜貴さんの言葉

いやこれを言い切れるって凄くないですか?
10年後とか20年後にも自分の書いた歌詞はその良さが表現されるって。

「こういう作詞にしたい」という意図を斎藤さんがまとめ、茅原さんという存在とこれまでの経過、目指す方向性などについて話し、その結果「純白サンクチュアリィ」の歌詞が生まれました。リンクを貼っておくので、よろしければぜひご覧ください。2007年1月に世に放たれたこの歌詞、貴方にはどのように映るでしょうか?

まとめ~点と点が繋がって、ひとつの線へ

・斎藤滋(茅原実里プロデューサー)
・サイトロン・デジタルコンテンツ
・志倉千代丸
・「メモリーズオフ」
・「メモリーズオフ2nd」
・水樹奈々
・キングレコード
・三嶋章夫(水樹奈々プロデューサー)
・「オルゴールとピアノと」(水樹奈々)
・「Brilliant Star」(水樹奈々)
・Elements Garden
・弦楽器
・栗林みな実
・「翼はPleasure Line」(栗林みな実)
・「Tears' Night」(水樹奈々)
・ランティス
・伊藤善之(ランティス副社長)
・「涼宮ハルヒの憂鬱」(茅原実里)
・茅原実里
・「雪、無音、窓辺にて。」
・I've
・KOTOKO
・「ひとりごと」(KOTOKO)
・菊田大介
「ドタ☆バタ☆フィエスタ」(菊田大介作曲)
・畑亜貴
・斎藤滋(茅原実里プロデューサー)

たくさんの点が集まり、それが奇跡のような導きで1ヶ所に集約され、最終的に「純白サンクチュアリィ」に繋がりました。その結実は茅原実里さんの透き通るような声と共に輝きを放ち、アニソン界におけるひとつの大きな流れとなっていったのです。

この中のどれかひとつが欠けても実現しなかったかもしれない未来。

世界におけるすべての事象がこのような運命の繋がりの果てにあるならば、私たちは奇跡の中で現在いまを生きています。

私たちにとって大切な存在がいまここにこうしていることに感謝しながら、時に歴史を振り返り、未来へ歩んでまいりましょう。

斎藤社長、ありがとうございました!!

(了)

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