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このままでは、日本のリベラルは現実社会に影響を行使できないまま、ナショナリスト勢力に敗北する。

今野 元 (著)ドイツ・ナショナリズム-「普遍」対「固有」の二千年史(中公新書)を読んで感じたことなんですが。

今野氏は、この著作の中で、戦後のドイツの歴史をとらえる上で「道徳の鉄槌」という言葉を繰り返し使っている。

最初は、第二次世界大戦終結後のニュルンベルク軍事裁判について。連合軍の「正義」の名のもとに審理がなされたという点について。

次に、その後のドイツ思想界における、過去の反省に基づくドイツ史全否定「ドイツ後進国」論を自らしていく潮流に関して。

そして、緑の党の躍進による環境主義の台頭について。

最後にフェミニズムの台頭について。

今野氏は明らかにノスタルジーに基づく過去復権論者でも保守主義者でもないにもかかわらず、こうした流れがグローバリズム的「普遍」主義に基づく価値観の押しつけという側面を持つことについて注意を喚起している。

グローバル化された現代社会は階層化された社会である。そこではあらゆる国も団体も個人も、西欧的『普遍』的価値に準拠することを求められる。全人類はそこに排除されることなく包摂されるが、同時に逃げ場のない同質化の波にも晒される

むしろ非常に醒めたリベラリスト、個人主義者という印象である。

著者の #今野元 氏は、決して 復古主義 的 保守主義者 なのではなく、注目すべき 「ポスト・グリーバリスト」だと思う。

思うに、日本における左派リベラルの流れも、無自覚的に、西欧の「進歩的」価値観を受け入れてしまっている。

これでは、イスラム圏や中国との関係における多文化主義、異なる体制との共存と「対話」という観点からしても、非常に硬直した、自分の立場からの、価値観と道徳の押し売りになる可能性があると思う。

そして、日本における国家主義の台頭に対しても、実は簡単な問題ではなく、自分のリベラル的な立場の対象化自己点検を経ての、用意周到な方略がないと、SNS上での叫びにはなっても、一般の人々の投票行動に結びつくアピールにはなり得ないのではなかろうか。

眞子さん複雑性PTSD診断「公表」問題をめぐっての議論も、この診断を受けた当事者に対して偏見が生じることについての当事者への連帯という意見が全くに近く見られず、ただ素朴な皇室への同情か、ゴシップ的な上げ足を取る中傷かにリベラル勢力すら大勢を占めた現実なども省みるにつけ、暗澹たる思いである。

差別の問題についても、単に優生思想を批判するだけでは、ホンネの次元に踏み込む形での、内なる「排除」意識との対峙に結びつかないと思う。



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