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強烈な個性を放つ富士山に魅せられる

されど富士

先日、もりお ゆう さんの記事を読んで、「なるほど!」と思った事があります。

僕は若い頃はこの山がうまく描けませんでした。
技術的な未熟ということもありましたが、この山に対する心にも大変欠けるところがあったように思います。

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イラストレーターとしてご活躍され、noteでは「僕の昭和スケッチ」シリーズを中心に発信されていて、私はファンの一人として毎回楽しみにしているのです。
この記事に描かれている「富士」は、私にとっては生気みなぎる神々しいものに映るのですが、過去には富士に対して”心”が欠けていたというキィワードに、思わず反応してしまいました。

なるほど、日本人にとって「富士」は特別な山であり、昔から信仰の対象であり、精神のみなもとでした。

それを描いたり、語ったりするためには、自分自身にもそれ相応の歴史が必要なのかもしれません。


日本人はなぜ「富士」に魅せられるのか?


古来より信仰の対象となる

377,974km2 全世界195ヵ国中の62位
陸地面積の75%に及ぶ範囲が山地、山麓で、平地に乏しい。
火山の10%程度が日本列島内にある。

ウィキペディア

小さな島国に住む日本人は、古来よりその恩恵を享受し、逆に翻弄もされて、その大自然に生かされてきたのです。

山の木々があればこそ、文明の元となった製鉄業は発展し、その火を起こすための「炭」は無尽蔵に作る事ができたのです。

古代から近世まで発達した「たたら製鉄」は火を起こすための森林を伐採し尽くすと、その森林を再生させるために、30年ほどの周期で別の場所への移動を繰り返し、自然と需要のバランスを上手く保ってきました。

森林が豊富にあればこそ、時代の権力者が必要とする刀剣や鉄砲、また庶民の生活に必要な鍬や斧、包丁なども生み出されてきたのです。

かといって、噴火や地震などにより一瞬にして生活を奪われた事も度々あったのも事実です。

これらの山岳地帯があればこそ生活が成り立ち、歴史が築かれてきたという事を、よく理解した上で、それらに対しての尊敬と畏怖の念は深く、日本人の意識の中に根付いていました。

神道における神社などは、山を御神体としていますし、
仏教においても最澄や空海のように山そのものに悟りの場を開いています。

日本人にとって山という存在は、身近でありながらも同時に神聖なものとして崇める対象であり続けました。


文学・芸術の対象となった富士山


山を神聖なものとして崇拝する山岳信仰において、日本のほぼ中央に位置し、日本一高くそびえる富士山は、その美しい姿から代表的な霊山として、また日本のシンボルとして深く崇められてきました。

そのように古来より、富士山は日本人の精神的源泉であるため、歴史の営みを知ると、 目で観賞するというより、心で観賞されることにより、絵画、文学、詩歌など、あらゆる芸術において対象となった多くの作品が生まれています。

富士山の美しさは、時代を超えて、今もなお魅了し続けているのです。

残念ながら、私はその姿を見た事はあっても登った事はなく、登った人たちの感動を聞いただけなので、その体験は妄想するしかありません。

時間や季節によって刻一刻と姿を変化させる美しい姿は、まさしく芸術で表わさずにはいられない対象なのです。


圧倒的な個性を放つ「片岡球子」の富士

日本画界における「富士」で有名なのは、
横山大観葛飾北斎などが挙げられるように、男性画家によるものが多いのですが、ここで一人の女流画家に着目したいと思います。

それは片岡球子かたおかたまこです。

出典:シバヤマ

私は彼女の「富士山」を見た時、このダサいのか、カッコいいのか、わからない鮮烈な画力に圧倒されました。
下手したら駄作とも言い放たれてしまうような富士山に、大きな衝撃を受けたのです。

こんなにも明るく大胆に、あるいは天真爛漫に主張し、他を寄せ付けないほどの強烈な個性を持つ「富士山」を見た事がありませんでした。

出典:正光画廊

片岡球子は明治38年(1905)、北海道のごく一般的な家庭に生まれ、まだまだ男社会だった画家を志望するも、両親から猛反対を受け、勘当されながらも描き続けたのですが、残念ながら展覧会に出品しても落選の連続でした。
それは「落選の神様」とあだ名されるほどでした。

きっとこの強烈さは理解されにくかったのでしょう。

しかし昭和14年(1939)の第26回院展以来、毎回の入賞を果たします。

今までにない力強い線と大胆な構成と色使いから、「ゲテモノ」だとコケにする人もいて、悩みながらも「そのままの姿を美しく描くことが全てではない」という自分の信念を持って創作を続け、それまでの日本画界の概念を根底から覆すような、力強い独自の表現方法を確立した結果でした。

以後、美術大学教授や学長などを務めながらも、精力的に制作活動を続けます。その特徴的な画風で歌舞伎の衣装を描いたりもしました。

1976年に勲三等瑞宝章
1989年には、第42回中日文化賞受賞と文化勲章受章などを受章し、
平成20年(2008)、103歳で他界しました。
その生涯は長命で、独身を貫き、力強い個性を描くことに捧げたものでした。

出典:シバヤマ

私はこのやり過ぎなほどデフォルメされた富士に、彼女の逞しい生命力を感じ、なんだか目が離せなかったのです。

ここまで表現すると、もはや「ダサい」ではなく、完全に「カッコいい」という部類になると思うのです。

彼女が持つ独特の富士に対する信仰心の表れなのでしょう。

ただ、TVで見ただけで本物はまだ見た事はないのですが、
機会があればぜひ見てみたいと思わせる「富士山」なのです。




☆やらぽんさん、いつもご紹介いただきありがとうございます。



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