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第8回「遺言」

 3年前、父方の祖母が亡くなった。父方の祖父は父が小学生の時に交通事故で亡くなっており、女手一つで兄弟5人を育て上げたというから立派な人なのだろう。母方の祖父母はわたしが小学生の時に、病で相次いで亡くなってしまった為、最後の砦のおばあちゃんが亡くなってしまったのだ。

 車で3~4時間ほどかかる奈良の山奥の集落に住んでいた祖母とは、わたしが中学生くらいの頃から少しずつ疎遠になっていき、気付けば年に1回電話で話す程度の存在へとなっていった。


 当然と言えば当然だが、祖母は昔の人だった。大正生まれで、ひとりで5人ものこどもを育て上げたのだ、性格がキツイの一言で済ませられないほどにキツイ女性だった。典型的な嫁いびりをする姑で、母がいびられる姿を物心がついた頃からよく見ていたものだ。会わなくなっても、定期的に電話がかかってきては、母が嫌味を言われ、親戚中にわたしの大好きな母は『家事もしない遊んでばかりのダメ女』だと言いふらされたりもしていた。


 祖母の集落には10軒にも満たないほどの家が立ち並び、他の集落までは1時間は車で走らないと到着しないほど孤立した村だった。昔、お昼の情報番組で「長寿の村!」などと一度だけ紹介されたことがあったが、目立ちたがり屋の祖母は見たこともない派手な化粧を施し、1秒でも長くテレビに映れるよう、アナウンサーのとなりをひと時たりとも離れず、会話もすべて割り込んで、持ち前の図々しさでわたしや母をドン引きさせた。正直、本物の山姥かと思った。

 財布に蛇の抜け殻を入れておくとお金が貯まるらしいと言えば、脱皮したてのヌルヌルで生臭い1m程もある抜け殻をどこからともなく持ってくるし、動物が好きでハムスターを飼っていると言えば、ハムスター程の大きさのガマガエルのお腹にビニール紐をくくりつけ散歩して遊ぶように促した。

 このようなことから、わたしは唯一の存在でもあった祖母が苦手だった。下品で、見栄っ張りで、意地悪で、褒めてもらった記憶もほとんどない。祖母の優しさを理解することも当然できなかった。


 そんな祖母が亡くなった。齢は94歳と大往生で、ばあさんは本当に長生きしたなあと思う。亡くなる数ヶ月前に家族で病院にお見舞いにも行った。すっかりボケてしまい、ガリガリに痩せこけて、黒々としていた髪の毛も真っ白で薄くなってしまっていた。記憶の中にいた祖母とは完全に別人だった。

 5人家族の我が家に対して、か弱い声で祖母は一人ずつ名前を呼んでいった。ボケてるとは言え、思い出せたようだ。父、母、長男、次男と視線を動かしながら名前を呼んでいく。わたしは末っ子なので最後だったのだが、鬼のような形相で睨まれた。孫の中で一番年下だった私だけが祖母の記憶から抹消された瞬間だった。こちらは自分だけ忘れられたのがどうしようもなく面白く、絶対に笑ってはいけない場なのにめちゃくちゃニヤニヤしていた。怪訝な顔がさらに怒り顔になる。結局、祖母には思い出してもらえず、ほどなくして祖母は亡くなってしまった。


 従妹の家がある和歌山県で祖母の葬儀は行われた。もちろん、我が家も5人で和歌山県へと駆けつけた。通夜の直前に、いとこのおじさんがわたしたち全員を集めて、とある話をした。唯一、祖母が残した遺言の話だった。

 わたしは正直、祖母が亡くなったと聞いても何年も会っていなかったし、苦手意識もあったことから特に悲しいといった感情もなくその場に鎮座していたのだが、よく祖母に会っていた従妹などは涙ながらに正座していた。


「ばあちゃんが、どうしても…と遺言をひとつだけ残してんねん。

 これだけは、ばあちゃんの最後のワガママやから聞いてあげようと思う。

 みんな、びっくりしたらアカンから先に話しとくわな。」


 改まってなんや…?さすがに気になる。なんか、遺言とかそういうのドラマの中の世界みたいやな、と思いながらもおじさんの言葉の続きを待つ。


「『わたしが亡くなったら遺影の写真をこれにしてほしい』

 これがばあちゃんの望みや。

 遺影はもう斎場の方にあるからお通夜の時にみんな見てあげてな。」


 遠目で見てもわかる。髪の毛のボリュームが異常だ。そして、遺影へと近づく。嗚呼、もうだめだ。泣いていた従妹にもたれかかってふたりで爆笑した。


なんと、祖母の遺影は亡くなる50年前のものだったのだ。


 45歳くらいの笑顔の祖母が黒いリボンをかけられた額の中で笑っている。「笑っている。」などと落ち着いた振りをしているが、誰やねん!というのが、正直な感想だ。見栄っ張りな祖母はあろうことか、わたしの両親ふたりが出会うよりも前の写真を唯一の遺言で遺影にしてもらっていた。

 母も爆笑だ。だって、こんなオバハン知らんもんな?!当然だ。一体、我々は誰の葬儀に来ているのだ?しかも、最初に感じた髪のボリュームだが、これも画像加工してもらって3倍程にしてもらっているという。天然パーマの祖母の遺影はほとんどアフロ状態になっている。


 それが祖母が亡くなって、はじめて涙を流した瞬間だった。おじさんがあんな真面目に話していたことも、棺桶の中の94歳の祖母と遺影を比較しても、何もかもがツボに入ってしまっていた。見栄っ張りは亡くなっても、見栄っ張りだった。人の性格とは死んでもなお、不変なものなのだ。

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