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私の完璧

何事も「完璧」にはしない方がいい

ちょっと足りない くらいが丁度いい

完璧だと上手くいった試しがない

完璧におしゃれしたり

完璧に前日から持ち物を準備しておいたり

とすると、

せっかくのデートが喧嘩で終わったり

せっかくの準備が雨で行き先変更になり意味を成さなかったり

何かしらの がっかり が待っている

だから、

当日ギリギリに決めたちぐはぐなコーディネートだし

忘れ物もする

そして
そんな不足に気が付くと

よし、今日は大丈夫だ とほっとしたりする

これはもう私の中でジンクスのようなものになっている


そして このジンクスは

私の全てに共通しているように思う

不足をよしとすることに甘え

不足をすることで突端な存在とならないよう
人並みに揃えている


しかし、

それと相反して 

私は随分長い間

私が私で私を満たせない という

我の強い人称代名詞のような

形容し難い感覚を持て余して来た。


例えるなら、

一杯のコップに水を注ごうとする

私は自分の持つ水を全て注ぐと
コップから水が溢れ こぼしてしまうから
溢れない適量の水を注ぐ

コップに水を注ぐ動作としては丁度いい。
完璧だ。

しかし
そこに私のジンクスを当てはめてしまうと

いつまで経っても適量の水しか注げないし

いつまで経っても同じコップに水を注ぐ

いつまで経っても まだ注げる水 を持て余す


ん?待て。とすると、

生きやすいよう善かれと

自分の中でジンクス化してきたものこそが

私が私を私で満たせない 

要因だったのか?

ハタと辿り着いた結論に

これが!あの目から鱗!!!


なんだ、

そうと解れば事は簡単だ!

私はまずコップに水をガンガン注げばいい

そして

ガンガン溢れさせていく!

ガンガンこぼしていく!!

ヤケ糞にも聞こえるが
むしろポジティブ!むしろ清々しい!


確認するが、

これは 完璧という美意識の話しではない

完璧という潔癖な話でもない

長い間 目に見えなかったしがらみが
やっと姿を表したのだ

嬉々としてガンガン行こうぜ!である


また、

これが私だ! とこぼすことで

受け皿も自ずと変わってくるだろう

コップがどんぶり茶碗やらバスタブやらに変わっていくのだ

そしたら逆に
私はもっともっと水を増やすことに努めなくてはならなくなる


この繰り返しが

自分で自分を満たし

自分が自分で自分を楽しめる

ということなのだろう


決して背伸びしたハードルは必要ない

私は選ばれし人間だと破天荒に振る舞うのも非常にダサい誤りである


もっともっと簡単なことだ

自己肯定が得意な人からしたら
なんて間抜けなことを抜かしているんだ
と思うだろう

だが 丁度いい完璧 で足並み揃えることにあくせくして来た人間からすると

ジンクスがジレンマであったという発見は

正解と決め込んで来たちゃぶ台の向こう側!
ひっくり返って大発見!なのだ


さて、私にとっての完璧は

丁度いい塩梅を探すことではなく
自分を楽しむスタート地点 となった

後は簡単だ

ただただ シンプルに

ガンガン行こうぜ!!! である。


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