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【努力】について考えてみた


昔から努力が嫌いだ。

努力することというより、
きっと「努力」という単語が嫌いなんだと思う。

定義付けらたものではないため、
個人によってそれが努力に該当するかしないかなんて
正解はだれにもわからない。

「努力することは大切だ」「努力してください」
という人ですら、努力がなんなのか説明できない人が多いから、
この言葉は大人が自分をカッコよく見せるために都合よく作り上げられた
言葉だと思っている。特に深さは感じたことがない。


あくまで「良い結果」の過程が「努力」だと思う。
後付けみたいなものだ。


現に、自分が普通だと思ったことが
相手から見たら努力だったり、
逆に自分が頑張った~(努力した)と思ったことが
相手から見たら全然ということもある。

世に名が通っている人は、結果に対して
「努力した」ということがあるが、
「今、努力している」とは言わないだろうし、
記憶を辿る限り聞いたことが無い。

「努力」というのは口から発する単語がもつ意味よりも
遥かに難しいと思う。

イチロー選手ですら、努力の難しさについて
このように語っている。


身近である仕事で考えれば、そこそこ分かりやすい。

自分が寝る時間も惜しんで知識付けるために
やったことを先輩たちは数時間でやったり…
なんて経験をしたことはないだろうか?

ここには効率というものが関わってくると思うが、
過程が評価対象として見られることが少ない
この社会では費やした時間なんて誰も見ないと思う。
僕のように、頭が良くない人にとっては非情だ。
過程も見てくれと何度思ったことか……


結果として実るか実らないか分からないものを
継続すること自体すごくエネルギーと精神力が必要だと思う。


仕事で挫折して、1年間はやってみようと言われたこともあったが、
正直、長いと感じた。1日何時間割くかは人それぞれだが、
誰が見ても「今週も超頑張った!」と言える状態を52週間も
続けなければと考えるとなかなかキツイ。

こう思ってしまうこと自体、今までずっと心のどこかで
逃げていたのだろうと社会人3年目になってすごく感じる。


今の職場には、社会人歴が同じ人でも
見て分かるくらい、仕事ができて尊敬に値する人がいる。
前職でも「こいつには敵わない」と思った人はいたけど、
全然その比なんかじゃない。
その人の社歴を聞くまでは少なくとも5年は在職しているかと思っていた。

あまりにも不思議すぎて
「なんで、そんなにできるんですか?」
と聞いたことがある。

「1年目の時、死ぬほど頑張った」

自分が逃げ続けてきた1年間という期間を
その人は逃げなかったから積み上げ続けても、
時に重い物がのしかかっても崩れない「土台」がある。


諦める、やめるなんて超簡単、すごく楽。
ただ、手を止めればいいだけなのだから。

けど、不思議なことに過程で評価されない世の中でも
諦めた、やめたことに対するマイナスな過程は
めちゃくちゃ見られるし、その人を決める判断材料にすら
なってしまうことがある。

本当に不思議だ。
まるで悪口だけが耳に入ってくる、都合の悪いことや
隠しごとこそすぐにバレるあの現象と似ている気がする。


この先、日本の雇用形態がどうなるかは分からないけど、
定年を1つの区切りとした場合、40数年分の1年間を
「努力」に費やして、諦めず、やめることなく続けることができて
それによって土台が作られるのであれば、
逃げずにやる価値はあるのだと思う。

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