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横書き世界と縦書き意識

横書きの文字の並びに目を添わせる。
慣れのせいで違和感を覚えることはいつの間になくなった。縦に並んだ文字を髄まで馴染ませようと日々の生活に当てがってみてはいるが、何もかもが横に流されてしまう。横に矯正するほかなくなり、半ベソかきながら横向きにさせられているものもいる。

いつの日からか横書きが優勢になり、天下を取り、今でもその覇権を譲らずに確固たる地位を築いている。

視覚情報は横への統一に向かっている。国語の授業を受けていたあの頃以来、縦書きをする機会を与えられることはなかった。


能動的に、または反抗の意思を表すかのように、罫線のない白紙に縦で文字を据えたことはある。慣れないもののままそこに字を生み出していたから、違和感に包まれて文章の内容を細かに気にするまでも到達できず、変化を齎してくれたという実感は一切なく、何故こんなことをわざわざ選択したのか些か疑問に思いたくなるのだ。


「異なる」
ただそれを嚥下するには口に嘘を同時に含まなくてはならない。


縦書きは、受動には悉く寄りついてこない。
折りたたんだままの肘を張って伸ばし切って受け皿を作らない分には何も降ってこない。

言の葉を紡ぐにあたって、縦を意識するか否かで、書き手は細やかなニュアンスを意識的に届けていけるはずなのだ。

いずれは縦書きになる先のことを想像して、横に広げて陣を取る。軍配はその手にあり続ける。



自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。