9/1を生きる。
愁
毎年9/1という日は、自分の舞台の幕を閉じる人が多くなっている日だ。
学校に仕事、〆切に約束、高圧的な人間。全てが敵に見えてくる。
日付を意識すればするほど、頭の中でスケジュールと照らし合わせて辛くなってしまう。まだ経験していない先のことを考えるだけで憂いに沈んでしまう。考える時間ができるとだんだん暗くなっていく。心がしんどくなる。
物思いに耽って沈んでいくことは往々にしてよくあるが、大体そのあとはスッと霧が晴れる。それは自分なりに一つの捉え方を見つけたからだと思っている。
未来なんかどうでもいい。
あるときから未来に期待も不安もいらないし、心動かされるだけ無駄だと悟った。考えても結論が出ないし、胸糞悪いまま終わるのに、なんでこんなことに時間を使っているのか、馬鹿らしく思えた。
将来の不安なんてクソ食らえだ。幾つになったって不安が解消されることはない。
なるようになればいい。というかマジでどうでもいい。
時間を見捨ててしまえばいい。今日が悪くない日になるように自分の心に正直になればいい。前方から飛んでくる右ストレートは華麗に躱せばいい。ただただ好きな食べ物を口に運べばいい。雑音には耳を貸さずに好きなだけ好きな曲を聴いていればいい。
1秒すら惜しめない自分が悔しくなくなった。その1秒が何を生み出すかなんてたかが知れている。
私は効率的という言葉だけは許したくないし、交わりたくないと決めている。
心を削ってまで生み出した時間は、寿命を縮めているだけだ。もっと自分の時間軸で息させてもらうぞ。
物言い
誰かが惜しんでいるとか、時間は有限だとか、時は金なりとか、、、、
だから何?としか思わない。
ありきたりな言葉に惑わされるのもダサいし、他人のそれっぽい煩わしいアドバイスは右から左に受け流した。時間を事細かに気にして生活したところで、何が楽しいのだろうか。焦りがそこまで超大作を作り上げる要因になりうるのだろうか。
そもそも他人に催促される時間の感覚との差異を棚に上げて、名言らしくこちらの様子も伺わずにぶつけてこないでほしい、シンプルにいらない。いらない!!!
声
誰かが生み出した言葉に元気づけられるのは最高だ。活力になる。原動力になる。心の支えになる。自分のことをサポートしてくれているような気がする。一人ではないと実感できる瞬間にもなる。ふとした瞬間に立ち戻れる場所になる。
ゲームで言えば自分のチームの拠点となるギルドと一緒だ。良いものを取り揃えて、いざとなったらその武器で戦いに行けるように、最強武器をたくさん増やしてもいい。場合によっては取っ替えてもいい。臨機応変に変えられるのがホームならではの強みだ。
しかし、同じ言葉でも、自分を追い詰めてくるような言葉は胸に刻まなくていい。聞き入れなくていい。投げ捨てればいい。汚れもワイパーで綺麗に落としてしまえばいい。寒い時期だったら燃やして暖を取ればいい。
アドバイスを聞き入れるのは他人に目を向けられるようになってからで十分間に合う。というか間に合わなくてもいい。他人を気にしている暇すら自分に使って自己満足を繰り返していくだけでいい。
実際にアクションするのは良くないけれど、心の中では何度も何度も中指を立ててきた。笑顔で聞いてる振りして心の中では嘲笑って蹴飛ばしておく。転がっていく様を遠目に眺めながらしたり顔で立ち去る。大概の言葉を跳ね返せるだけのメンタルを形成すれば、怖いものは自ずと減ってくる。
わかったふりでしょうもない言葉を投げかけてくる雑魚には目もくれず、今欲しいものでも考えてやり過ごそう。
(私は冬服が欲しい。考えるだけでワクワクしてくる。)
そして心落ち着く場所に一目散に走って逃げよう。
心の準備はいい?
さあ、逃げるよ。
3・2・1..........GO!!!!!!!
こんな愚直な文章ではあるけれど、ここまで読めている方は無事に9/1を生き延びたのですね。ここで一度自分を褒め称えてあげてください。
どんなにミスをしようが、厳しく怒られようが、悔しい思いをしようが、生きていられたらそれでいいんです。自分の機嫌は自分でとっていいものなので、自分へのご褒美を用意してまた次の日も自分なりに生きてください。
明日もテキトーに、それなりに、力を入れすぎずにやり過ごしましょう。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。