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感情のダム

横殴りの雨が強かに降り注ぐ。世間の目を気にして予定調和で傘を差すも、足には容赦無く雨粒がぶつかる。

できないことだけに着目して気分を落とした朝に合わせたかのように、生活に優しくない雨が降る。

突風と豪雨の中、傘一本だけで虚しく街を歩くわたしは、気分を落としに落とした後、何もかもがどうでもよくなる、あの感覚に移った。

お気に入りの青いスニーカーは、土砂降りを被って明度が下がり、藍もしくは黒に近づいていた。感情一つ持たずにすたすたと等間隔で歩みを進めていく足と、想像と妄想が繰り広げられている頭はまるで別の生き物のようだった。全部投げ出して帰りたくなった瞬間はあったのに、歩みは止まらずに水溜まりを越えていく。


一度に抱えられる悲しみの量は限られているのだろうか。
脱力しきった頭でなんとなくそんなことを思った。不快感が許容を超えた瞬間に、感情のダムは決壊し、快感も含めて全てが放たれる。
確かに、目的地の手前の信号で赤信号を待っているところで、怖いものがなくなった一瞬があった。麻痺したのだろう。

感情の波があるとはわかっていながらも、どこかでストッパーをかけているし、かけなかったら自己否定でやられている頃合いだろう。

持ち物が決壊して流れて、懐が軽くなったところで、日記は足跡を辿る作業に変わっていく。

忙しくもなければ踏ん張ることもない日を、このまま流して目を凝らす。

束の間の雨模様は、帰る頃には気持ちいいぐらいに晴れ渡って眩しかった。靴がずぶ濡れになった水溜まりはもう姿形もなかった。

虹がかかっていたらしいが、タイミング悪く見逃した。偶然であってほしいのに、運が悪いことだけは何かの当てつけか、未来の不調の表れなのではないかと想像がはじまっていく。

チェック柄のカラフルな傘を開かずに、湿った匂いが残る坂道を下った。



自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。