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<my story>「出来ないものはできない」から始まる1(20代)

看護師が合っていると心から思っていた。そこから一転、経験のない事務仕事や経営に携わることに。知識も経験もないところから飛び込んだ、私の第二のキャリア。

職業:企画・経営  年齢:40代


【学生時代】将来の夢は「看護師」一択


子供の頃から、看護師しかなかった。
私にはそれしか見えていなかったんです。


自分の母が看護師ということではないんですけど、なぜかずっと憧れがあって。

小学校の文集とかにも書いてありますし、タイムカプセルでもそう書いてあるものが出てきました。

中学校卒業した時点で、本当は高校の看護学校に行きたかったんです。
絶対なるって決めていましたし。

しかし母からは「厳しい環境だしあなたに努められるとも思わないから、とりあえず普通の学校に行って、それでも看護師になりたければ行ったらいいんじゃない?」とアドバイスをもらい、そのように進学を決めました。

高校卒業してもやっぱり看護師になりたい気持ちは変わりませんでした。
田舎に住んでいたし。今は田舎でもたくさんの選択肢があるけれど、ああいう職業も、こういう職業もある。
という選択肢はありませんでした。
公務員、看護師、あとは農家とか。

看護師になれた時は、やっと働けると思って、本当にうれしかった。
実際やってみて、私に合っている仕事だと思いました。
大変な時も、大変でしたけど「くじけ切る」ことは一度もありませんでした。

離職率は高い職業だと思います。
1年で辞める人もいるし、3年もてばいい方です。
でも辞める理由がわからなかったし、しんどかったけど、夜勤もあるし嫌なこともあるし、自分には合っているんだなと思っていました。

看護師という仕事は、スキルアップもできるし、今は色んな専門看護師の勉強もできるし、指導者になり、管理職も目指せたりと進む道で、達成感を感じることも多くありました。

【20代①奈良】看護師キャリアスタート。精神科での経験が私を強くした。

奈良には精神科の看護学校があって、そこでの寮生活から私の看護師キャリアが始まります。

古いところやし、厳しい環境だし、「こんなところでやっていけない!」と見学に来た母も泣く泣く帰っていったほどでした。

朝6時には起床して、夕方の7時には帰ってきておかないと点呼があって、
全員帰ってこないと問題になる。
4人部屋、先輩も同じ部屋やし、今考えても結構つらかった、厳しかったよねと同期と今でも話したりしますね。(笑)

その生活をしていたこともあったから、その後の仕事の大変さも何ともない。

そういうための経験だったのかもしれないなとも思います。

一番最初に精神科を選んだのは、一番何かわからなかったから。
一番何かわからなかったから一番最初に解決しておきたいと。
内科や外科は普段通うこともあるから、大きなイメージは付きます。
知り得ないものを知りたい。というのは大きかったかなと思います。

後から知らないところに行くには、余計な知識が入ってしまって、色んな事を考えてしまう。
一番何も知らない状態で知らないところに行くことで受け入れやすいのではと思ったんです。

大変そうということもわからなかった。
何があるんやろう。あまり深く考えないうちにやった方が、幼稚園児のうちに習うみたいなイメージで。

そこには見たことのない光景がありました。

あまり深く考えなさすぎて、苦しいということも後々知って。
決めたからには辞められないし、そういう自分だから興味関心をもって、そういうことなんだなということも知れたし、勉強に取り組めたのかもしれません。

【20代②大阪】リハビリ科で感じた「学びの完結」

大阪ではリハビリ科で小さな子供も、小児まひの人も来るし、
リハビリだけ専門の病院なんで、そこに行って専門的なところが自分は好きなのかなと思って働きました。

そこで気づいたのは、「学んでしまったら学び終わりがある。」ということ。
これだけやったら、完結するというのがあって、これ以上はただ持っているものを使いこなすだけ。
そんな風に感じたんです。

いつか実家に帰るかもしれない。
誰も父と母を見る人がいないので、好きなことをさせてもらっていつかは帰ろうというのが私の中にありました。

だから、ある程度したらまた違うことをと、最後に京都を選びました。

きっかけは単純。
土地柄がいっぺん関西にいるなら京都に行ってみようということで。

結果とどまってしまうんですけどね。(笑)

【20代③京都】第二のキャリアは京都で。

京都に来たのは28歳のころです。
「京都を知りたい」が先だったので、内科で自分の持っている知識を生かして仕事につくことにしました。

仕事をしている中で、ステップアップしませんかと声掛けいただいて、指導者主任をしてみようか。というあたりで結婚し、出産をします。

上の子を妊娠した時に体調があまり良くなかったので、ハードな仕事は難しくて、お休みでもよかったんですけど、病院の上司が主人の仕事を知っていたので、一度家に入る方がいいんじゃないか。と。

主人の仕事というのは、京都の西陣にある商店。
ザ・京都というところだし、お付き合いも色々とあるだろうし。
というのが上司のアドバイスでした。
いつでも戻ってくるなら戻ってきたらいいし。とも言ってくれました。

そういうもんなん?
京都ってそういうところなん?

何にも知らない私は、正直驚きましたが、ちょうど指導者していても苦しいときでした。

ちょっと距離を置くのもありかなと思って、子育てに専念させてもらうこととしました。

<2>へ続く


Q:くじけそうな時はどのように解消しますか?

苦しいとき、壁にぶつかったときは一旦、受け入れるようにしています。

この時の自分はこんなもんや!

かっこ悪いこともいろんな人に見せないといけないけど。
もっとできそうって言われることもあるけど、こんなもんです!失敗しました!みたいに。

原因は考えるけど、自分を責め切らないようにしています。

あ、ケガした。だから痛いんだな。
痛い、そらケガしているからね。
そのまま治ることもあるし、ちょっとお薬の力を借りたり。
今ばい菌と戦っているし、痛いに決まっているじゃん。
だからけがしないように気を付けよう。

そんな風にして、受け入れて見つめるようにすると次の切り口が見えてくることもあります。

Q:生き方や考え方に影響した本や言葉を教えて下さい。

「思ったほど壁って高くないのに、自分で壁を高くしていることない?」

看護師長のから聞かれたことが今に響きます。

あーせなあかん、あれもせないかん。
思い込んでいる節の方が多くって、周りから見たらそんなの飛べるやろ?
見方を変えたらこんな風になるやろ?って。
そこから見方を変えようっと思うきっかけとなりました。

「その段差はいっこやし、向こうの壁は2個かもしれんけど、いっこ飛んだら向こうの段はいっこになってるんやで。」
そうかと腑に落ちました。

置き方を考えたら、10段の壁やったら1段ずつ10っこ前においていくイメージにしていったらいいんかなって。
飛び箱10段なら飛べないけど、1段ずつ10個なら飛べると思うから。

Q:自分にとってのとっておき時間を教えてください。

子供ともスキー初めてなんですけど、次行こうと予定しています。もともとスポーツが好きで、体を動かすのが好きなので。今は何でもやってみたいと思っています。

■プロフィール
小川 静香さん
子供の頃からの夢だった看護師になり、関西各地でキャリアを積む。
その後、パートナーの家業 小川金正堂内で、新規の事業arbresを立ち上げる。美しいものづくりをモットーとして記念日をより思い出に残るものに、草花をアレンジしたディスプレイを提供している。



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