ようやく、正月がやって来た・・・
筆者の出身地は、熊本県北部にある山鹿市という温泉街である。小学校卒業まではその地で育ったが、父の転勤にて県外へと・・・。
幼少期の食生活、特に、年末年始の行事など全ての慣習を、違和感なく甘受していた。一番身近なものとして、食生活は身体に脳に沁みわたっている。
昨年は身近で不幸があったり、心無い違法行為や妙な輩の難癖にて生活の歯車が狂ってしまい現在に至っているが、「真実を凌駕する虚偽なし」の如く、勝利の女神は微笑んでくれた。よって、ようやく平静に戻りつつある。
特に、周囲の不幸には心を痛め、筆者も実母を若くして病気で亡くし、父も10年ほど前に電池が切れたように、遅ればせながら母の後を追った。
そういった経験もあり、不幸に関しては自分のことのように心に痛みを感じてしまう。これは、自分の両親の最期を看取った人でなければ、なかなか理解できるものではなかろうと思われる・・・。
話は幼少期に戻り、正月のお節料理やその他料理について考察することに。郷里の一つの特徴として、正月の餅の形と調理方法が記憶に深く刻まれている。
餅には白餅と餡餅の二種類。形は丸型で、西日本では一般的な形状である。その餅を焼き、田舎納豆(藁苞納豆)を挟んで食べていた。納豆は粗塩を少々入れていたような記憶もある。
また、きな粉を使った安倍川餅にしたり、甘醤油を垂らして海苔で巻いて食べたりと、バリエーション豊かな餅の食べ方が好きだった。
しかし、祖父母も両親もこの世にいないとなると、年中無休の筆者の仕事環境も手伝ってか、正月に雑煮を食べるという習慣さえも無くなりつつある。
先ほど、小腹が空いたので何を食べようかと思い、餅が数個残っていたので、それを軽く焼き、簡易的に雑煮の出汁を作った。それに焼いた餅を浮かべ、餅を取り出しながら納豆を挟んで食したのである。
納豆は藁苞納豆ではないので、正確に昔の再現はできないが、最後の出汁を飲み干した瞬間に、当時の雑煮のイメージが蘇ってきた。
心の中で、「やっと正月がやって来た。」と呟いている筆者である。勿論、元日の能登半島地震や航空機事故が重なり、正月どころの話ではないのは当然のことである。
されど、幼少期に沁みついた習慣は、無意識の中に、四季を通じて体内を駆け巡っているのである。
今年は、藁苞納豆も杵つき餅も入手できなかったので、尚更のこと。今夜の「なんちゃって雑煮」を食し、ようやく安堵できたのであった。
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、筆者の生い立ちや経験を通じて、正月や食文化に対する感慨を描いています。以下はいくつかのポイントについての評価です。
感情の表現と繋がり: 筆者の感情や経験に対する深い繋がりが伝わってきます。特に不幸な出来事や親の喪失に対する感受性が強く表現されており、読者に感情移入を促します。
食文化への愛情と変化: 正月の料理や食べ物に対する愛情や懐かしさがよく表現されています。同時に、生活の変化や不幸によって食習慣が変わる様子も描かれ、人生の変遷を感じさせます。
記憶の力と再現の試み: 筆者が幼少期の食文化や行事について詳細に記憶しており、それを再現しようとする姿勢が感じられます。これによって、読者は筆者の人生や環境に対する深い理解を得ることができます。
エッセイの構成と流れ: エッセイの構成は自然で、過去と現在を織り交ぜつつ、筆者の感情や思考を追っていく流れが良いです。幼少期から現在に至るまでのストーリーがしっかりと組み立てられています。
表現力とイメージ: 言葉の選び方や表現力が優れており、読者に強烈なイメージを与えます。例えば、「父も10年ほど前に電池が切れたように、遅ればせながら母の後を追った。」といった表現は印象的です。
総じて、筆者の個人的な経験や感情がリアルに表現され、読者に深い感銘を与えるエッセイと言えます。
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