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オランダの学校で、先生が見ているもの

オランダに移住してから一年間、娘はカトリック系の小学校に通った。

昨年九月、息子が小学校に入学するタイミングで娘は学校を転校し、現在二人は公立のモンテッソーリスクールに通っている。
学校の登下校には、基本的には保護者など大人が付き添うことになっている。

我が子が通う小学校では毎朝、登校時間になると校長先生が校門に立つ。

オランダの冬は寒く氷点下の気温が続くこともあるが、校長先生はカップに入れたコーヒーで暖をとりながら、子どもや保護者と挨拶を交わす。
息子の担任の先生も教室の前に立ち、子どもを受け入れながら保護者と挨拶を交わす。

保護者が、かわるがわる校長先生や担任の先生に話しかけている。
その表情はみんな楽しそうだ。

「オランダの先生は時間に余裕があるのかな」

保育園で働いていた頃の私はいつも目の前の仕事で手一杯だった。保護者とコミュニケーションをとる時間を後回しに考えていた自覚がある。


先日、息子の三者面談で、先生がこう言った。

「私たちに、いつでも気軽に話しかけてくださいね。
私たちは保護者と一緒に子どもの教育を担う立場であり、子どものことをお互いに共有したいと思っています。それによって子どもが自分の必要とするサポートを受け、学びを深めることができます」

単に時間の余裕があるからコミュニケーションをとっている、というわけではなかった。

【教師と保護者とのコミュニケーションを通じた信頼関係が、子どもの学びを支える】

毎朝校門に立つ校長先生は、そのような学校の意思を積極的に体現していたということが分かった。

今、私は保護者の立場になった。私は英語もうまく話せず、先生と会話でのコミュニケーションはとりにくい。
学校に関わる日本人は私たちだけという、マイノリティ。

それでも先生たちはいつも私たちに対してオープンで、他の人と分け隔てなく話を聞き、応えてくれる。

私は確かにこの学校の先生たちを信頼しており、安心して子どもを学校に通わせることができている。

また先生は、

「家庭と学校が信頼関係を築くことで、もしも何か子どもに困りごとがあった時にはみんなでアイデアを出し合い解決することもできます」

と言う。

私はこれまで「子どものしつけは家庭で行い、学習は学校で行うもの」と、家庭と学校の役割を分けて考えていた。

子どもの困りごとは家庭内で解決しなければならない。それが「当たり前」と思っていた。

でも確かに子どもが社会で生きていくために必要な学びは、学校の中だけにあるわけでも家庭の中だけにあるわけでもない。学校、家庭、地域など子どもは様々な場所で様々なことを体験し学んでいる。

ここでは家庭と学校が信頼関係を築き、お互いが子どもの教育のパートナーであると認識している。

両者がオープンに話し合い、共に問題を解決するということを「当たり前」にしている。

そしてその「当たり前」は、私たちのような保護者の孤立感をやわらげ、困った時には学校に頼っていいんだという心強さを感じさせると、私は実感している。


先生たちは積極的に子どもとコミュニケーションをとる。

息子のクラスでは登下校時に先生と子どもが、握手を交わす。
娘のクラスでは、握手かハイタッチかハグを子どもが選ぶ。
先生たちが子どもに「調子はどう?」と尋ねる姿を、私はよく見かける。

私が訪問した別の学校では、子どもが自分の気持ちを表現するためのボードが用意されていた。

A4サイズのボードには10段階の顔のイラスト(ニコニコ顔、普通の顔、眠い顔、怒った顔など)が書いてある。登校時に子どもが自分の気持ちと同じ顔を選び、そこに自分の名前を書いたクリップを留める。

先生は、なぜ一人ひとりの子どもの状態を理解しようとするのだろうか?


我が子の学校の校長先生は、

「子どもを、学ぶことに対して意欲を持てるようにすることは、学校の役目です」

とおっしゃった。そして、

「子どもたちが学ぶことに対して興味を持てるようにするために、まずは私たち大人が子どものことを理解する必要があります。なぜなら、子どもは興味を持つものも、個性も、家庭状況も一人ひとり違うからです」

と話す。

学びの主体は、子ども。
けれど、子どもに意欲がなければ学べない。

だから先生は、何を子どもに教えるかということと同じかそれ以上に、
子どもが学ぶ意欲を持つことに、責任を持っている。

一人ひとりを理解することで、一人ひとりの学ぶ意欲を引き出すことができる。


我が子の学校では、オランダ語と算数については子どもたちが自分で立てた学習計画に沿って、毎日自分で学習を進める仕組みになっている。

授業中、先生は子どもの学習をサポートする形で個別に勉強を教えている。
先生がクラス全体に声をかけるのは、授業が終わる時間を知らせる時くらいだ。

先生が子どもに指示をしないため、子どもは毎日自分に向き合い、自分をコントロールしながら自分で勉強を進めていく必要がある。

とはいえ、子どもたちは毎日学校や家庭で様々な出来事に遭遇する。
子どもであっても「とても勉強する気持ちになれない」という日もある。

学校は学習内容を子どもたちに示すことはできるが、実際に頭や体を動かし自分の課題と向き合うのは、子ども自身だ。

だから授業中に学習が進まなかったりイライラしたりする子どもが見られれば、先生は適切なタイミングで声をかけ、子どもが話したいと言えば話を聞く。

集中できない様子の子どもがいれば、休み時間にリラックスできそうな遊びに誘い、再び学習に意欲的に取り掛かかれるように導くこともある。


ここでは、子どもが自分の気持ちを我慢して一日じっと静かに過ごすことを、大人が子どもに求めていない。

学校でも子どもは自分の気持ちを表現することができ、大人は子どもの気持ちを否定しない。

先生は子どもに指示するのではなく、子どもに向き合い、子どもの主体的な学びをサポートをする姿勢を貫く。

なぜなら先生は、自分のペースで学ぶ子ども自身の力を、徹底して信頼しているからだ。

そうして子どもは時間をかけて自分をコントロールし、また学習に主体的に取り組む意欲を持つことができる。我が子を含む子どもたちが、学校のことが大好きだと話す姿を見ると、子どもたちも先生をとても信頼していることが分かる。


先生と子どもの信頼関係と、子どもの主体的な学びは、やっぱり切り離すことができないものだ。

徹底した子どもへの信頼をベースにした、子ども主体の子ども育て。

私もぜひ、実現したい。

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