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自由を尊重する国オランダで学ぶ「正解のない子育て」(前編)

日本で子育てをしている時「子育てに正解はない」という言葉を聞くことがあった。

一人ひとりの価値観は違う。だから子育てに対する正解も一人ひとり違っていていい。
私は、確かにそうだなと思った。

私は私なりの子育てをすればいいのだと思うと、子育てに向かう気持ちが少し楽になる感じがした。

でも実際は、この社会での子育てはそんなに楽ではないと感じていた。
子どもは、親の思い通りに行動してはくれない。

正解がないゆえに親は悩んだり、失敗して落ち込んだりする。もしも私が子育てに行き詰まり、苦しくてどうしようもなくなった場合、私はこの社会から「自業自得」と言われるのだろうか。

もしそうだとすれば、子育てをすると決めたことを後悔する日が、いつかやって来るのかもしれない。

そんなことを考えると、怖くもなった。

私はこの社会で子育てをし、そして子どもがこの社会で生きていくためには、

子どもにある程度の学力をつけさせて、
私は他の人に迷惑をかけないように子育てをしつつ、
子どもには自分のことを自分でできるように育てなければ。

と考えていた。

だから、

子どもには習い事をさせよう
人から褒められるような育て方をしよう
少しでも多くのことができる子どもに育てよう

と思っていた。

習い事

娘が3歳になった頃、私は娘に習い事をいくつかすすめ、始めてみた。

でもどれも3回目くらいになると、娘が言う。

「もう、やりたくない」

理由を聞くが、本人も言葉では言い表せない様子。

「もう少し続けてみようよ」と言って説得する私に、娘は「行かない」の一点張り。

習い事について娘と言い争うことが、お互いにとって大きなストレスになった。

娘は習い事を始めては、やめていく。

他の子どもがいろいろな習い事をしていることを聞くと、私は焦りを感じた。

周囲の視線

外で子どもと一緒にいる時、私は周囲の視線がとても気になった。

バスの窓に「ベビーカーを畳んで乗ってください」と書かれた張り紙。
子どもがベビーカーで寝ている時、ベビーカーを畳まずにバスに乗ると、
自分が何か悪いことをしているように感じた。

バスの中では騒がないように。
レストランでは立ち歩かないように。
公園では友達と遊具を取り合わないように。
帰る時にはぐずらないように。

子どもは外出を喜び、自然とテンションが上がる。
私はハラハラして、気が休まらない。

私は周りの人とは目を合わせないようにしていた。

自分のことは自分で

自分のことを自分でできるようになってほしいと思い、娘には小さな頃から着替えや片付け、出かける準備などを自分でやらせてきた。
娘が「これやって」と持ってきても、私は「自分でやってごらん」と言うことが多かった。

弟が自分でできないことを手伝う私の姿を見た娘が、

「ずるい」と言った。

「できないことを手伝ってるだけだよ。あなたが小さい時も手伝ったよ」
と私は言うが、娘は納得できない。

私は娘と言い争う。

言い争ったあげく、娘は布団にくるまって泣いていた。

私はとても疲れていた。


オランダの子育て

今、私はオランダで生活している。

オランダには人それぞれの価値観を尊重する文化があり、皆お互いの子育てを尊重している。

「子育てに正解はない」
オランダの社会はこの言葉を体現しているような社会だと、私は感じている。

オランダに住む多くの人は、たとえ自分と相手の子育ての考え方が違っていたとしても、相手を否定することはない。彼らは「そういう考え方もあるね」と言う。

だから私なりの子育ても「そういう子育てもあるね」と受けとめてもらえる。

ここではそれぞれの家庭の子育てを、他人が評価することがない。親が育った国の文化や宗教、家庭環境、子どもの個性などがそれぞれ違うため、一人ひとりの「当たり前」もそれぞれ違うことを理解している。

だから、ここでは「子どもにお行儀よくさせよう」と気負ったり、言う通りに行動できない子どもを厳しく叱ったりする親の姿を、ほとんど見かけないのだろう。

もしも私が、私の子育てを他の人に否定されることがあれば、私は自分の子育ての正しさを主張するだろう。自分の正しさを相手に理解してもらうため、何度も説明するだろう。

逆に私が誰かの子育てを否定することがあれば、相手も相手の正しさを主張するだろうと思う。

感じる正しさも、一人ひとりそれぞれ違う。

私と相手が違う以上、子育てについて両者が完全に意見が合致することはない。
それが現実だと私は感じる。

オランダの人たちは意見が合致しないことを「悪いこと」だととらえていない。

「違うことが当たり前」だと言う。

多くの人はそう考え、相手を否定して自分と同じような行動をとらせようとするのではなく、違う選択をする人が共に心地よく暮らせる方法を見出そうといつも努力している。それは大人同士に限らず、親子間でも、そのような関係を築く家庭が多い。

自分の価値観を押し付けず、相手の選択を尊重し、大変な時にはお互いに助け合うという関係で人々がつながっている。

もちろんオランダの全ての人がそうしているわけではない。
それでも私は今、自由に子育てができていると実感している。

失敗してもいいし、人に助けを求めてもいい。

私にとってはプレッシャーを感じずに子育てができることが、私の心のゆとりになる。それによって「何か自分にできることで私も貢献したい」という気持ちを持てる。

こうしてお互いにゆとりを与え合うことで、そこに暮らす人々にとって心地よい社会を築いていると感じる。

多くの人がすれ違いざまに、私や子どもに笑顔を向けてくれる。互いに挨拶を交わし「良い一日を」と言って別れる。
この日常は私に大きな安心感を与え、私は他の人の視線によって緊張することがなくなった。

日本で感じていたあの怖さを、今ここでは感じない。

他の人の視線を気にしない社会がこんなにも心地良いとは、

私はここに来るまで、知らなかった。

②に続く

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