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小説「モモ」から学んだ「傾聴」の威力と時間の大切さ。

 ミヒャエル・エンデの名作である「モモ」。中学校の国語の授業の題材になったので覚えてはいたのですが、当時の私の読解力では意味不明でした。ですが、最近、モモは「傾聴」の物語であると知り興味がわき、図書館で借りて読み直してみました。ちなみに、図書館ではこどもコーナーに置いてあることが多いです。

 物語は、都市部から離れた小さな円形劇場跡地(廃墟)に孤児院から逃げてきた小さな女の子が住み着いたところから始まります。近所の人は、最初は警察に保護してもらおうと女の子を説得しますが、結局は近所の皆で世話をしてやろうという結論に至り、”ここにいたい”というモモの希望を受け入れました。なにかにつけて「モモのところへ行ってごらん!(解決につながるから)」という言葉が近所の人たちの間で挨拶代わりの決まり文句になるくらいまで、モモの存在は大きなものになりました。

■傾聴のすごさが分かる引用

でも、どうしてでしょう?モモがものすごく頭が良くて、何を相談されても、いい考えを教えてあげられたからでしょうか?慰めてほしい人に、心にしみる言葉を言ってあげられたからでしょうか?なにについても、賢明で正しい判断を下せたからでしょうか?―ちがうのです。こういうことについては、モモは他の子と同じ程度の事しかできません。するとモモには、どこかこう、人の心を朗らかにするようなところがあったのでしょうか?たとえば、特別歌が上手だとか、なにかの楽器がうまいとか、それとも踊りだの、アクロバットの曲芸だのができたのでしょうか?―いいえ、それも違います。ひょっとすると、魔法がつかえたのでしょうか?どんな悩みや苦労も吹き払えるような不思議な呪文でも知っていたのでしょうか?手相を占うとか、未来を予言するとかができたのでしょうか?―これもあたっていません。小さなモモにできたこと、それはほかでもありまえん。相手の話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、と皆さんは言うでしょうね。話を聞くなんて、誰にだってできるじゃないかって。でもそれは間違いです。本当に聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこの点でモモは、それこそ他には例のない素晴らしい才能を持っていたのです。モモに話を聞いてもらっているとバカな人にも急にまともな考えが浮かんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただじっと座って注意深く聞いているだけです。モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思い迷っていた人は、急に自分の意志がはっきりしてきます。俺の人生は失敗で何の意味もない、生きてようと死んでしまおうと、どうって違いはないと考えている人がモモにその考えを打ち明けたとします。すると、しゃべっているうちに自分が間違っていたことが分かるのです。いや、俺は俺なんだ、世界中の人間の中で、俺という人間は一人しかいない、だから俺は俺なりに、この世の中で大切な者なんだと。こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!

私は以前、傾聴力セミナーに行ったことがあります。
傾聴とは、カウンセリングとは違って、相手の言っていることをすべてそのままに受容することです。(ひたすらなオウム返し)そこに、聴き手側の気持ちや判断は一切介入させません。

 オウム返しだけで人の心が癒せるとは信じられませんでしたが、セミナーのなかで実際に体験してみようという時間があり先生に傾聴してもらうと、自分の想いを”変えずに””変えられず”に吐露でき、安心に包まれました。一瞬で先生が自分にとっての安全基地になったような感じがしました。言うつもりもなかったことが自分の口から発せられ、自分でも驚きました。言葉にできていなかった自分の気持ちを実際に口に出して表現し、それを自分が物語のように聞きなぞることによって、手放すことができたような気がしました。浄化され、成仏されていったという感覚でした。

 カウンセリングでは先生や療法に依存する要素がありますが、傾聴は、あくまで自分が自分で自分を癒し、自分の力で回復すること、誰よりも自分自身が自分を受け入れて愛してあげて、自分の一番の味方として生きていくことを促す方法かもしれないと悟りました。

モモがしていたのは、きっとこういうことでしょう。すごく腑に落ちます。

■時間の使い方についての引用

 「モモ」にはメインテーマとして、近代のせかせかした生き方や、時間をムダにしないように時間の余白を失くそうとすればするほど、どんどん別の大切ななにかを失っていないか、という問題提起があります。時間貯蓄銀行からきたという謎の灰色の男に時間の無駄を省くように誘導された大人たちが、そのうち家族や仲間たちとのゆったりとした大切な時間までも節約してしまい、常に時間に追われているような、とても貧しい生き方をするようになってしまいます。

時間をケチケチすることで、本当は全然別の何かをケチケチしているということには、誰一人気が付いていないようでした。自分たちの生活が日ごとに貧しくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、誰一人認めようとはしませんでした。
時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人の命は心を住みかとしているのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせ細っていくのです。
「人間は自分の時間をどうするかは、自分で決めなくてはならないんだよ。だから時間を盗まれないように守ることだって、自分でやらなくてはいけない。私にできることは、時間を分けてやることだけだ。」
過ぎていったのは、たかだか数か月の事でした。でも、モモにとっては、これまでになく長い時間でした。本当の時間というものは、時計やカレンダーではかれるものではないのです。

 モモは少数の仲間と、大いなる敵に立ち向かい人間たちに時間を取り戻すために戦い、結果的に時間泥棒たちに勝利します。

 近代的な生き方への提唱、傾聴の力、冒険などたくさんの学びが詰まっていて、大人になった今も十分楽しめる、むしろ大人になってからこそ、見るべき作品でした。

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