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【エッセイ】ネジ

次男が16歳だった時の話である。

4月とはいえまだ肌寒い日の夕暮れ、台所で夕飯を作る私の後ろで高校2年生になった息子が話しかけてきた。  
「なぁ、バイク欲しいねん、中型の、教習所行かせて」
 私は聞こえないふりをして、シチューの鍋をかき混ぜる。
再び息子が、「聞いてる?」と、私の肘をつかんだ。
「危ないからあかん」
私はシチューの鍋から目を離さなかった。
簡単に、「いいよ」とは言ってやれなかった。
梅雨の季節になっても息子は、「教習所に行かせてほしい」と私に言い続けた。
梅雨が明け、私は教習所に行かせることにした。
やみくもに反対するより、中型のバイクに触れさせる方が息子には良いのかもしれない、と思ったからだ。
夏が過ぎ、10月も半ばを過ぎたころ息子は免許を取った。
昼間、学校へ通う息子のために、私は免許証に必要な住民票を区役所へもらいに行った。窓口には若い男性が座っていた。彼はカウンター越しに書類を受け取り、ペンでチェックを入れながら書類に不備が無いか確認していた。そして、ある場所で手を止めた。ペンは使用目的のところを指している。男性はゆっくり顔を上げ、私に向かって話しだした。
「僕は、バイクの事故で大怪我をしました。数か月間入院して、リハビリを続けながら、やっとの思いで仕事に復帰したんです」

帰り道自転車をこぎながら、バイク事故で亡くなった友人の顔が頭に浮かんだ。
彼は17歳だった。
私は、頭の中のネジが「ぎゅっ」と締まっていくような感覚を覚えた。
別の日、バイクを置く駐車場を探すために不動産屋へ行った。
対応してくれた若い店員は、「バイクは危ないです。お母さんが止めないと、えらいことになってからじゃ遅いですよ」と、まるで自分の弟を心配するかのように、息子を気遣ってくれた。
夜になり、私は息子をリビングに呼んだ。テーブルを挟んで息子と向きあった。
息子の目を見ず、私は切り出した。
「バイクに乗るのは諦めて」
「なんでやねん!」
「大怪我するからや!」
怒鳴り合いになった。
私は、区役所での話や同級生のこと、そして不動産屋で聞いた話を、少しオーバーに感情を込めて伝えた。
それでも息子は諦めなかった。
「親があかん言うことはあかんねん。あんた死ぬで!」
私はさらに声を荒げた。
「ちーちゃん」
息子は、声を震わせながら私を呼んだ。肩が小さく揺れている。
 「俺は、俺はちーちゃんから応援してもらえんかったら、どんだけ気つけても死ぬやろな」  
しゃくりあげながら、息子は声を震わせた。  
私は大げさに両手でテーブルを叩いて立ち上がり、息子を見おろした。
「そんなつもりで言うたん違う」
私は気持ちを落ち着けるために家を出た。
首を左右に振りながら夜道を歩き続けた。
息子の言葉を振り払うように、人の居ないところで、「うぁーっ」と叫んだ。
頭の中のネジが緩んでいくのを感じた。
国道に続く交差点で信号が赤になった。立ち止まり何気なく顔を上げると、都会ではあまり見られないたくさんの星が輝いていた。
ふと、私は亡くなった母の言葉を思い出した。
幼稚園の息子が、「大きくなったら、バイクの後ろにおばあちゃんを乗せてあげる」と言っていたそうだ。
私の頭の中のネジが、さらに緩むのを感じた。
息子の命を守るのは、おそらく「あんたは大丈夫や」と背中を支えてやることだろう。
信号が青に変わったが、私は振り返り来た道を走って戻った。玄関のドアを開け、靴を脱ぎ棄てリビングの戸を開けた。息子はまだそこに居た。ソファーに寝転んでスマホを見ている。私は、息子の高さにかがみこんだ。
「なあ、さっきはごめん」
息子の眉が少し動いた。私は続けた。
「あんた小さい時、バイクにおばあちゃん乗せたるって言ってたな」
「そやったかな」
「あんたのことはおばあちゃんが守ってくれるわ。それから、私はあんたを信じてるで」

あれから6年経った。息子は生きている。私のネジは緩んだままだ。

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