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貧乏人セレブ


タイトルを見て、どっちなの?という疑問を抱く人が大半であると思う。
YUIが「真っ赤なブルーだ」と歌っている歌詞ぐらい、「清純派AV女優」というタイトルが売りのAVぐらい意味がわからないタイトルだ。


貧乏人のセレブ。

それはつまり、私のことだ。

金が無いのに働かない。
金が無いのにワインをのむ。
金が無いのに本を買う。
金が無いのに1人カラオケに行く。
金が無いのに音楽を聴きに行く。
金が無いのに喫茶店に行く。
金が無いのに焦らない。
金が無いのに人に奢る。
金もなければ脳もない。

これを書いているたった今も、池袋にある少し高めな喫茶店でコーヒー嗜みながら綴っているのである。

セレブをきどるのが好きだ。
セレブをきどれる夜が好きだ。
きどるのは自由だ。


少々のワインの知識を、グラスに入った少々のワインを転がしながら披露する。
少々得意だと感じている歌を、スナックにいる少々の人数の前で披露する。
少々好きな詩や文を少々しかいないフォロワーに向けて綴ってみる。




実は、今日も1日休みだった。
働かなすぎてそろそろ世界からも家族からも干されそうだ。
セレブになんて到底なれない。

「なんであんまり働かないの?」私に聞くな。
それは私が一番疑問なのだから。


今隣でMac bookをカタカタやっているサラリーマンも、向こう側で本を読んでいるキャリアウーマンぽい人も、きっとするべき事をするべき時にちゃんとしているのだろう。

高校生の頃、先生や周りの大人に「大人になれば嫌でもお金は増えていくよ」と言われ安心していたが、訂正してほしい。
自分がこんなにも社会に適応できない人間だとは思わなかった。

趣味や出逢いは広がったが、一向に金は増えないままだ。
金は増えずにやりたい事だけが今もどんどん増えていく。



もしかして、こうしてnoteに綴る事も、家に帰って好きな絵を書くことも、歌を歌って自己満足で公開する事も、もはやそれに時給や報酬が出ているものだと勘違いしているのではないだろうか。

そうだ、間違いなくそう思ってしまっているのだ。

当然、私の”趣味”というものに時給や報酬が出ているのならば私のような無駄に多趣味な女は20代にして億万長者であるだろうと思う。


私はとんだ勘違い者なのである。


ただ、これを変えようとは思わない。
報酬が出ているものだと思いながら、私は今日も本をただただ読み漁り、音楽を聴き散らかし、絵を描きまくり、歌を歌って過ごす事だろう。
無駄に多い無駄な知識を満遍なく使って息をしていくのであろう。

変えなければならない。
それは分かっている。
ただ、本当に変えなければいけないのは、この行為自体ではなくて、この行為で報酬が出るか出ないかという事実だ。

好きな事で、お金を稼いでみたいと思う夢見がち社会知らず女の戯言だが、つまらない人間にだけはなりたくないらしい。


欲を言えば本当のセレブにもなってみたいが、
なれなくてもいい。
まだ勘違いしていたいのだ。
セレブになれなくても、セレブをきどれる夜さえあれば今は満足のようだ。


そう思うのも、きっと、
「今売れています!」という本を読み終わってみても、「この歌手の声は独特で素敵だ」とSNSで話題になっている歌手の歌を聞いた後でも必ず、
「これが売れているのなら私はもっと文才なんじゃないか」だとか、「この人の声が良いとされているのなら私にも歌えるんじゃないか」とかの勘違いを、ずっとずっとしているからなのである。


今、お金が無い。
セレブじゃない。
なんなら、貧乏だ。
だけど、こうやって思えるのって、最高じゃないか。
私はわざわざ不便を買っているのかもしれない。

私の経験を歌にして歌えたのなら、エッセイや小説を自分の人生に沿って自分なりの言葉で発信していけたのなら。

私が100歳まで生きるとして、何年間かぐらい勘違いして生きていたってなんの痛手でもないだろう。


いつかの私は、本当に億万長者かもしれない。

そうして勘違いして生きていくのである。

そうして私の勘違いを見ている人達にも「だいぶ勘違いしてるなあ」と笑いながら見ていてほしい。

今できる私の仕事は、これだ。

どうやら私はまともじゃないらしい。



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