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理想と現実

理想と現実、って違うよね
でもまあそれは当たり前。
現実があるからこそ”理想”がある訳で。

私の理想、皆の理想、私の現実、皆の現実、それぞれ皆ある。

『お金持ちの男に好かれたら早い話だけれど、そうもいかず、もはやお金を持ってないような男にばかり捕まるし、来月までには○○する!と言ったことは9割型実現出来ないし、休日の日は朝から、本を読んだり紅茶を飲んだり筋トレやヨガをしたりしたいけど、結局起きるのはお昼過ぎだし、本当は誰からも好かれたいけど、やっぱり、そういう訳にもいかないし、毎日健康的に生きていきたいけど、どっちかというとかなり不健康な生活をしているし、美容にも満遍なくお金を使えるぐらいには、お金をもってたいのに、実際はせめてもの見かけに気を遣うぐらいにしかお金を使えてないし、親孝行をしたいのに、親不孝でばかりいるし。』

こう思うと、
なーーーんにも、理想に叶ってない。
どうしたものか。
と、思う。


でも、
『お金持ちの男、ではなく、どちらかというとお金を持ってない男に好かれるというのもかなり有難い話。そういう奴はだいたい、叶うか叶わないかの瀬戸際の馬鹿な夢を持っている。お金は持ってないけれど、それ相応の楽しい体験をさせてくれるし、朝から仕事をせっせっせっとして就寝時にストレスで眠れなくて寝不足、なんて事を言う人もいるけれど私はそういうことも無いし、
意外と、誰からも気づかれないような所の美容にまでお金をかけても、本当に誰からも気づかれないようなものだと思ってるし、八方美人より、本当に好きだと思う人に好かれていた方が生きやすいし。』

そう思うと、私の理想は現実に叶っている所もあるのだと思う。案外。
というか、叶っていなくても、叶っていると思えるマインドを備えつけたという訳でもある。

みんながみんな、同じ理想じゃないからこそ、
他の人にとって理想や、現実があるわけで。
私は私のままでいい。
本当は、本当にそうなのだけど、私を”理想”にしたい人にはよく、「お前、変われよ?」と言われてなくても、言われているような気がして苦手だ。それはお前の理想だろう?と思うが、それに従ってしまいたい気持ちも無くはない。
人から寄せられる”理想”と”期待”は、なぜか勝手に応じたくなってしまう。
でも、その寄せられてる”理想”や”期待”も、相手が勝手に私に思っている事なのだ。

“勝手”この言葉は無敵である。
無害にもなるし、有害にもなる。
ずるい言葉なのだ。
言わば、この人がこうだと良いな。なんて思ってしまう事があるのも、私の勝手な思考なのだ。
思うのは自由だが、それを相手に伝えてしまうと、”勝手”が”身勝手”になってしまう。
私と関わっていくと決めた以上、そう思うのもアリではないか。と思うが、なにはともわず、自分の、その人自身の自由なのだ。選択の自由。

好きにしろ。好きに生きていけ。
好きにする。好きに生きさせて。息させて。
というスタンスが、結論間違いないのだと思う。
人間だものね。

だってそうでしょう。
どんなに悩みに悩んで、先輩や友達に自分の”現実”が全く”理想”に叶っていない。と言って、相談に乗ってもらったって、結局最後に結論を出すのは自分自身なのだ。
直感はあながち間違いではないのだと思う。
このままじゃいけないかもの”かも”は、「。」に変換すると、物事分かりやすい気がする。

以前働いていた会社で、「熱はないけど、体がだるくて。でも、熱はないので、出勤できると思います。多分大丈夫です。!」と言った事がある。
会社に迷惑はかけまいと、良かれと思って、発したその言葉にひどく叱られたのを今でも覚えている。
「”かも”とか、”多分”とかは、保険だからやめて。絶対やめて。(社会において当たり前の事だが)もし、その”かも”が、”でした”だったとしたら、会社全体が迷惑になるの。あなただけの問題じゃないし、もし仮にその”かも”が的外れだったとしても、一応休んで欲しいの。」
社会知識不足だった私からしたら、有難い話だった。
確かに今までも、〜かも。と思った事は大体的を得ていて、外れたことが少ない。
だから、きっと、〜かもの”かも”は、「。」に、変換してしまえば話が早いのだ。
そうやって結論を出すと、物事もっと早く、スムーズにいく事もあるんだ、と学んだ。


こんな事を語ったとはいえ、私もやっぱり、理想があります。そしてその中で現実も。
でも昔よりかは、現実という現実をあるゆる所から学んで、自分の理想が現実に近づいてきている気がするなあ。なんても思います。なんだか少し寂しい気がするけれど、リアルだなあ、と思います。
ある程度の基盤の理想は残しつつ、こうであって欲しいという理想は半ば捨て身の心も持っています。でもその捨て身の心こそ、私や相手の心の余裕にもきっと繋がるんだと思っています。

もはや、「理想なタイプは〜好きな食べ物が一緒で〜、優しくて〜、お金を持っていて〜、」とかより、
「好きな食べ物が似つかなくとも、焼き鳥は絶対串からとらない派!の人だったり、いざと言う時には頼りになって優しい人、お金も困らない程度には持ってる人」とかの期待をしないぐらいの理想の方が一緒にいて楽、それでいて、長く一緒にいれるものだと思います。今となっては。
それぐらいの理想のニュアンスの方がお互い良い。絶対良い。恋人も、家族も、友達も、上司も部下も。

人は人。
自分は自分。当たり前だけど、その事をたまに忘れてしまうから自分の物差しで測ってしまう事がある。そしてすれ違ったりもする。
どんなに親しくても、古い付き合いだとしても、
必ずしも他の人の理想を自分の現実にする必要は無い。全然ない!

その人の理想が、自分のなりたい理想と重なった時は、是非とも頑張ってみたいものだけれどね。

人間ですから、やっぱり理想を追いかけてしまう自分がいます。
でもそれはそれで、変化し続けるという事だから良いのです。
私はこれからもどんどん勝手に、自分で自分の理想のハードルを上げて、それに見合うような人間になっていきたいとも、思う。
だからといって焦らない。現実を、今のありのままの自分を受け止めて、いい感じに人にも期待をせずに生きていきたいと、そう思うのです。

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