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ふと「買ってもらえなかった」たまごっちを思い出し、気づきを得た話【ヤマシタのおたより#33】

このあいだ、テレビを見ていると懐かしいものが映し出された。

それは、たまごっち。

90年代後半に流行した、ポケットサイズの育成ゲームだ。

たまごっちは、空前の大ブームを引き起こした。
テレビCMがガンガン流れ、少し上のお姉さんたちがこぞって遊んでいた。
(大人も夢中になっていた、と記憶している) 

同い年の友だちも持ち始め、たまごっちを持つことが、ひとつ「お姉さんの証」のように思えた。

そのブームを長く肌で感じていた私は、両親に、7歳の誕生日プレゼントとしてたまごっちをお願いすることにした。
当時の私は、とてもとても、”お姉さん”に憧れていたのである。

しかしそれは、叶わなかった。

たまごっちが、とてつもなく高かった…からではない。
むしろ2000円前後と、お手頃な発売価格であったはずだ。

ではなぜ、叶わなかったのか。

ここで、<「自分のお金」というと叱られた幼少期>で私に多大な影響を与えた父が、再び登場する。

たまごっちが欲しいという私に向かって、父はこう言った。

「ちいには、まだ早いわ」

たまごっちは、別に難しいゲームではない。
子どもにだって、充分に操作ができるし、なかなか分りやすいものだった。

父は、こう続けた。

ー-------------

「お父さん、たまごっちが悪いゲームやとは、思ってへんねん。
でもな、ちいには、まだ早い。

たまごっちは、お世話をさぼると、死んでしまうやろ。
それも、あかんとは思わへん。

だけど、リセットボタンがあるねん。
たまごっちでは、リセットボタンを押したら、死んでしまったキャラクターがまた生き返って、遊べるようになるねん。

お父さんは、この仕組みが、ちいにはまだ早いと思ってる。

命って言うのは、リセットが効かへんもんや。
死んでしまったら、終わりやねん。


だけど、まだ小さいうちから、ゲームでリセットするのに慣れてしまったら、その感覚がおかしくなるんじゃないかと思うねん。

ちいが、もう少し大きくなって、きちんと命の大切さが分かるようになったら、買う こうたるからな。」

ー---------------

私は、「ちゃんと命の大切さ、分かってるもん!」と思いつつ、反論しなかった。

なんとなく、「お父さんが言うことも分かるな」と思ったのである。

もしかすると、父の考え方は硬かったかもしれない。
だけど、私はあのとき、納得した。

こちらの記事(↓)にも通じるが、子どもだからといって理由の説明を省かず、ちゃんと伝える姿勢には、改めて感謝である。


子どもだって、頭ごなしでは、納得できないのだから。

ちなみにその年の誕生日には、ポケットピカチュウを買ってもらった。

ポケットピカチュウは、死んでしまうことがない。
(念のために言うが、父がたまごっちに懸念していたのは「リセットしたら生き返る」ことである)

このポケットピカチュウ、通称ポケピカ、懐かしくなって検索したらなんとも愛おしいサイトが出てきた。↓

デザインが愛おしい。
ついつい、全ページを見てしまった。
90年代、バンザイ。

その後、結局たまごっちを買ってもらうことはなかった。
高学年になれば父もOKしたと思うが、ローラーブレードやらなんやら、他に興味が移ったのである。ブームが落ち着いたのも、あるかもしれない。

このたまごっち、今も新たに発売は続いていて、ずいぶんとスタイリッシュになったらしい。きっと内容も色々とグレードアップしていることだろう。

あの時、買ってもらえなかった、たまごっち。

発売が数年先で、空前のブームが巻き起こったのが私が10歳くらいだったら。
きっと、何の戸惑いもなく、買ってもらっていた。
そう思うと、少し不思議な気分である。

ただ、私が今回伝えたかったのは、たまごっちの是非ではない。
(父も、決して非を唱えていたわけではない。)

おもちゃやデバイスと子どもの心の成熟度をみること。
そして、それを面倒がらずに子どもが分かるように伝えること。

この二つが、とても大事なんじゃないか、という気づきである。

スマートフォンの所持や、その権限の範囲。
SNSの是非や、友達同士でのつながり(GPSを共有する文化にはいまだ驚いている)…

これらは現代の問題として問われることが多いけれど、実は20年前も、さして変わらないのではないか。

そんなことを、ふと目にしたたまごっちで考えた、2022年の夏(30歳)であった。

【完】



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