「自分のお金」というと叱られた幼少期~社会人になるまで重ねた価値観のアップデート【ヤマシタのおたより#31】

以前、別の記事でも書いたことがあるが、私はお小遣いをもらったことがほぼない。
なので、お正月や誕生日にもらえるお年玉やお祝いが、とても貴重で、嬉しかった。


「自分のお金、どうやって使おうかな~」


ただ。
こんなふうにルンルンで口にすると、必ず父に叱られた。

「このお金は、ちぃのお金じゃないよ。」と。


だけどこのお金は、自由に使ってね、と祖父母や叔父叔母がくれたもの。
私は、ついキョトンとした顔をしてしまう。

すると、父は決まって、こう諭すのだった。

「これは、ちぃのお金じゃないよ。
自分で働いて稼いだか?ちゃうやろ。
これは、おじいちゃんが頑張って働いてきたお金や。
これは、○○家が、ちぃのためにってお給料のなかから準備してくれたお金や。
ちぃは、何もしてへん。
自分のお金と言うのは、ちゃうで。」


そして、続けるのだ。

「確かに、使い道は自分で決めたらええ。
お父さんは、○○を買いなさい、○○を買うな、とは言わへん。
でもな、誰かが頑張って働いたお金やということを、絶対に忘れたらあかんで。」


何歳からこのように言われていたか…
記憶は定かではなかったけど、うちは「お母さんがお年玉預かっといたるわ制度」がなく早くから自分で管理していたので、恐らく幼稚園か小学校に上がるくらいには、このような会話がされていたと思う。

子どもだからといって蔑ろにせず、根気強く、毎回こう教えてくれた父には、感謝している。
30歳になったいまも大切にしている考え方だからだ。

ただ、実は、この考え方には、私のなかで続編がある。
(その続編をひっくるめて、私の価値観になっている)


びゅんと時を進めて、大学1年生
私はアルバイトで、スイミングインストラクターを始めた。

ベビークラスから大人クラスまで幅広く担当し、充実した日々を送っていた。

そんなある日。
たしか、2年目の、春。
幼児~児童クラスの研修で、ヘッドコーチが皆にこう言った。

「みんながコーチとして入っているレッスンの1時間には、いくらの価値がありますか。」

コーチたちは、各々に自分の時給を口にした。

すると、ヘッドコーチは少し困ったように笑って、こう言った。

「それは、自分がもらうお金やな。」

そして続けた。

「生徒さんのご家族は、月に6000円以上払ってくださっていますよ。」


私はちょっと恥ずかしかった。ああ、こんなことを言われるなんて、と。

もちろん、コーチは全員プロ意識のもと真剣に仕事をしている。

だけど、どこかで「お客様(生徒の家族)からいただいている価値」という観点が、少し抜けていたのかもしれない。


ヘッドコーチはさらに続けた。

「ただ、この額は問題じゃないんです。
考えないといけないのは…
生徒さんのご家族は、”子どもを通わせるために、一生懸命に働いて稼いだお金を使ってくれている”ということ。」

「自分のしているレッスンに、その価値が充分にあるか。
それを考えることを、忘れないでほしい。」

一生懸命に働いて…
この言葉に、ピンときた。

幼少期から父に言われていた、「誰かが一生懸命に働いたお金をもらう」ということ。
一気に、このヘッドコーチの話と繋がった。

そして、考えを少しアップデートさせた。

こんな風に。
「自分で稼いだお金も、その出どころは、誰かが頑張って働いたお金。
もちろん、だから制限をかけるわけじゃないし、自分の好きなように使うけど、このことも忘れちゃいけない。」

「仕事をするときは、自分の仕事の価値をしっかり意識しよう」
と。



時をさらにすすめて、2年後の春。
私は、とある会社に、新卒で入社した。

最初の配属先は、長崎店。
(研修後の入社式で辞令が出た4日後にはいた長崎。この話は、また別の機会に。)

初めての一人暮らし、初めての大阪以外での住まい、初めての社会人生活。
ドキドキして迎えた1日目。
まずは、店長と面談をした。

そのなかで、店長は私にこう言った。
「山下さん、どうして、私たちは“ありがとうございます”とお客様に言うと思う?」

私は、「何を当たり前のことを…」と顔に書いて答えた。
「お時間を割いて、ご来店いただいているからです!」

すると店長はこう続けた。
「うん、それも合ってる。でも、ちょっと薄いかな。」

困惑する私に、彼は優しくこう続けた。
(本当に優しかった。ナイツの土屋さんみたいな感じの人だった。)

「そのお客様は、今か未来かは分からないけれど、ほぼ100%、何かをうちで買ってくださるよね。」

私は、「はい…」と答えて続きを待った。

「山下さんのお給料は、どこから出てる?」


ハッとした。

「お客様が払ってくださった売り上げからです。」

店長は笑顔で言った。

「そう。そうなんだよ。
この仕事をして食べていけるのは、お客様のおかげ。
ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、僕たちは、お客様がいるから、生きられるんだよね。これは、忘れないでほしい。」



「はい」と力強く答えた瞬間、思った。
あれ、この感覚、どこかで…。

そう。
スイミングインストラクターをしていた時の、ヘッドコーチの言葉。
あの言葉が、頭の中にババン!と蘇ってきた。

これからお会いするお客様もまた、一生懸命に働いたお金を使ってくださるんだ。
そして、これから私は、そのお金で、食べていくんだ。

身が引き締まる思いだった。
1日目に教えてくれた店長に、感謝。


幼少期から社会人になるまでにアップデートを重ねた、お金(お給料)に対する、私の価値観。

自分が仕事をしていただくお金は、誰かが一生懸命に働いて稼いだもの。
稼ぐということは、誰かの「一生懸命」の価値を、いただくことなのだ。

幼少期に父から教わった「自分のお金」という言葉の意味。
そこから、仕事を通して上司から教わった、お給料と価値の意味。


正直、あまり重く考えすぎると、日々の消費活動が楽しくなってしまうかもしれない。
でも、私は、この考えを忘れずに、働きたいと思う。


会社から出るお給料も、民放のドラマ出演料も、チケットが1000円以上する映画の出演料も、舞台も、何もかも全部。
いただくお金は、元を辿ればすべて、「誰かが一生懸命働いて得たもの」からいただいているんだと。



今日も私は、誰かの一生懸命に見合った仕事ができているか、そのお金を大切に使えているかを考えながら、生きている。




※加えて、「自分の仕事に合った対価を得られているか」も考えられると、いろいろバランスが取れてくる気がします

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