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たぶん、わたしのはなし。 Vol.3 「社会人ってなんなのさ。就職活動と2つの会社で学んだこと〜正社員編〜」

その会社に入社した決め手は、「ホワイトそう」「大きい会社だから」という安直な理由だった。先回の最後の方で書いたことだけど、就職活動がうまくいかなかった私は、「仕事」というものの立ち位置を一歩下げて「楽な仕事をして、空いた時間を趣味(絵など)に充てよう」と考え方を転換した。あと当時の私は、今の私とは価値観がかなり違くって、昔の自分の考え方はとても勿体無いなと思っている。なんというか、「見えている世界の範囲が狭すぎる」という感じ。正規雇用が絶対で、大企業(上場してるとかしてないとか、名前が知れてるとか知れてないとか)ということばかり気にしていた。大して社会も知らない、大した人間でも無いくせに(大した人間でないからこそなのかな)、自分を守ってくれるレッテルとか、肩書きを求めていたのだと思う。人、特に異性を見る時には、そういう基準で人をジャッジしていた。上から目線でリスペクトがなかったと思うし、そりゃ空虚な関係性しか築けないわけだ。

前置きが少し長くなったけど、私は晴れて無事2020年4月、とある会社の新入社員になった。資格を持っていても、持っていなくても入れる会社だったけど、自分が学んできたことに若干触れられる仕事ではあった。少しでも、不完全燃焼だった大学時代を肯定できる気がして、「結果的によかったのでは」と嬉しかった。2020年4月、と言うとピンとくる人がいるかも知れないが、私は所謂「コロナ入社」である。多分5月くらいまで、在宅で研修をしていたと思う。しょうがないことだけど、社会人なのに、社会人の実感がなかなか生まれなかった。6月くらいから無事配属されて、最初はかなり不安があったけど、そんなにつまづくことはなかった。人間関係を構築するのはあまり苦ではない方なので、お局的存在にいびられるとか、そういうことはなく、なんなら寧ろ可愛がられていた方だと思うし、仕事自体も正直そんなに難しいとか、特に思わなかったと思う。「え。なんかめっちゃイージーじゃない?社会人てこんなもんなのか」と感じたのを覚えている。これだったら「楽な仕事をして、空いた時間を趣味(絵など)に充てよう」を実現できる、そう思った。まあそんな所感もすぐに崩壊するのだけど。

何が起こったかというと、あまり詳しくは書けないのだが、簡単に表現すると、予期せぬことが起こって、楽だったポジションを離れざるを得なくなり、文字通り馬車馬のように働く羽目になった。当時は辛かったので、不当な扱いを受けているなとか、マイナスなことばかり思っていたけれど(今も変わらず「おかしかった」と思う部分はある)、私はこの経験をしてよかったと心から思う。大変だったこともあったけど、その分学んだことや楽しかったことだってあった。価値観がかなり変わったし、「見える世界の範囲がかなり広がった」。

気づき、みたいなものを羅列して行こうと思うのだけど、まず「NOの意思表示」について。その会社にいる時に「NOの意思表示」をしたことが一度もなかったと思う。シンプルに自分がキモいけど、なんなら辞めることを上司に伝える直前まで「次はこういう仕事がやりたい」とやる気があるふりをしていた。「多分、これはまだ私に頼んでいい仕事じゃないんじゃないかな」みたいなことを頼まれた時も、本当はすごく嫌だったけど「大丈夫です」と答えた。YESマンだった。私はこう見えて中高運動部で、高校の時は結構厳しい部活に所属していた(めっちゃ朝練とか、挨拶とかしてた。いつも先生や先輩の顔色を伺っていた)。とにもかくにも、私は、意外と体育会系のところがある。この時点の、二十数年間の間に、何かを自分から辞めるとか、断るという経験がなくて、「言われたことはなんでもやる、上の人が言ったことは一律やらなければならない、やれないやつはそいつに能力がない」という精神が染み付いていた。今考えれば、「やりたくない」とまでは言わずとも、改善されるかどうかは別として、せめて不満とか不安を言う権利はあったと思う。同期に愚痴を言うとかじゃなく、もっと公的に、「訴える」みたいな。仕事に限らないが、NOということはYESということよりも勇気がいるから、難しい。自分の今ある立場がなくなっちゃうかも、とか、嫌われちゃうかも、とか少なくとも思うから。でも自分の権利とか、意思表示を明らかにするのに必要なことは「NO」と言うことだと思う。自分が何に価値を置くかを考えて、「嫌なものは嫌だ」と。言わなければいけない時は、言うべきだ。

次に雇用形態について。先にも書いたけど、就活〜入社当時の私は「正規雇用絶対主義」だった。でもこのクソみたいな考え方はありがたいことに、「みなさん」のおかげで崩れる(あくまで正規雇用を否定しているわけではない)。「みなさん」と言うのは、非正規雇用でその会社で働いていた人たちだ。私は、契約社員やアルバイト、派遣社員の人たちとかなり密接に関わる職種で、毎日みなさんとコミュニケーションをとり、一緒に仕事をしていた。入社当時の私は、大変申し訳ない価値観で、「非正規雇用の人は正社員になれなかった人」と勘違いしていた。ただ実際に、正社員を目指している非正規雇用の人はいると思うから一概には言えないけど、働いていて「そうじゃないんだ」ということを大いに知った。理由があって、自ら非正規という雇用形態を選び、働いている人たちが、その職場には多くいた。優秀だな、とても気が遣える方だな、と感じる人も多くて、なんでこの人は派遣なんだろうかと思ったことが何回もある。(それこそ、自らその雇用形態を選んでいるのだと思う)。非正規で働いていた人たちは、自分よりも年上の人が殆どで、ひと周りもふた周りも年上の人がたくさんいた。見た目からして私が若いことは明白だし、相当生意気だっただろうと思うけど、みなさん私の話をしっかり聞いて向き合ってくれたし、舐めたりせず、対等に意見を言ってくれた。そしていつも気遣っていただいていたと思う。恥ずかしながら、余裕がなくて、休憩になかなか行けなかった時期があるのだけど、「ちゃんと昼取ってるの?」と可愛いスヌーピーの黄色いお菓子ギフトボックスをくれた人、毎日元気に挨拶をしてくれた人、しるこサンドをいつも配ってくれたお母さんみたいな人、私がバッサリ髪を切った時「昔の広末涼子みたいで可愛いですね!!!」と言ってくれたおじさん。気にかけてくれたのは、非正規の人が多かったなと思う。もちろん正規雇用の人が気にかけてくれなかったわけではない。ただ、「みなさん」の生き方の多様さや豊かさと、心の余裕が、当時の私を助けていたと思う。

そして、大変だった仕事の中で、一番良かったのは、とても素晴らしい同期に巡り会えたことだ。「戦友」と言う存在ができた。彼女とは同じ時期に、同じ業務で一緒に働いた。これはお世辞でもなく、本当に本当なので、満を辞して書くけど、今まで出会った中で、一番仕事ができる人間だと思う。しなやかで、それでいて言うことは言う、みたいな鋭さがあって、笑顔が素敵な子。個人的に彼女のことは、永野芽郁ちゃんだと思っている。辞めたくせにいらない心配だと思うけど、彼女は能力がありすぎて、とても優しいので、いつも心配である。会社を辞める時に唯一心残りだったのは、彼女のことだった。この間久しぶりに飲んだのだけど、酔いが回り、毎回のごとく当時の話になった。「あの時のあれはまじでやばかった」とか「うちらそれなりに結構頑張ったよね」とか。私たちは違うタイプだったけど、それがいいバランスで、おかげで職場が成り立っている、と当時言ってくれた方がいて、烏滸がましいけど、めちゃくちゃバッテリーだったのかなと思う。帰り際に、彼女が「◯◯ちゃん(私の名前)と働いた頃が一番楽しかったし、やりやすかった。また一緒に働きたいな〜と思う。もし次の職場が嫌になったら、いつでも私のところにおいでね」みたいなことを言ってくれた。こんなに嬉しいことがあるかな。

大変だったけど、たくさんの良い出会いがあり、新たな価値観を身につけられて、総じて良い時間だった。わりかし自分に向いている職種だったと思うけど、仕事とか生き方に対する考え方が変わり、学びたいことを学ぶために、私はその会社を辞めることにした。楽な仕事なんてこの世にはなくて、社会はそんなに甘くないんだと身を持って知った。どうせ大変なら、自分のやりたいことでご飯を食べたいと思うようになったのである。そしていろんな人がいて、いろんな働き方があると知った。見える世界の範囲がかなり広がった。だから、後悔とかは全くなくて、入社して働いたことも、辞めたことも、自分にとって最良の選択だったと思っている。「デザインを勉強したいので辞める」と言って辞めたけど、それは建前で、私がその会社で嫌な思いをしたから辞めたのだと思った人も正直いたと思う。そう思われても仕方がないと思うし、別にそれなら、それでいい。ただ、もし私に会うことがあったら、今の、そしてこれからの私の生き方を見てほしい。


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