chigi
読んだ本や観た映画の感想。Twitterに載せたもののまとめです。
日記のほか、考えごとを綴ったりしています。2日に1回くらいのペースで更新中。
読んだ小説や観た作品などの紹介・感想文です。
むかし書いたものをここへ格納しています
創るひとを、眺めているのが好きです。 わたしは「クリエイター」よりも「創るひと」という表現を好むのですが、おそらく前者には職業的な意味合いを強く感じてしまうから。それを否定的に見ているのではありません。後者のほうが、自分にとってはより適切だというだけなんです。 わたしが言う「創るひと」には、もちろん職業としているひとたちも当てはまります。でもそれだけではない。まだプロを目指している身だというひとも、同人活動として行っているひとも、趣味の範囲だというひとも、何もかもひっくるめ
照らす光のやわらかな煌めきが忘れがたい。 かつての同僚から、ホスピスに入院中で別れを告げる内容の手紙を受け取ったハロルド。返事を投函するつもりが、このまま歩いて会いにいくことに。その距離800キロメートル! 最初は身勝手にすら感じたんです。十分な装備も計画もなく歩き出し、妻に知らせたのは後のこと。夫に連絡がつかず気を揉む妻が、怒りを募らせるのも当然だろうと。 ただ、「君は死なない、死なせない」と繰り返すハロルドの必死さ、彼が時折蘇らせる記憶の質感に、ただならぬ事情の気配もす
深い絶望の底から飛び立ち、駆けてゆく姿に惹かれた。 感覚を同期させた《竜》に乗り、空を戦場とする兵士が本格導入された世界大戦の終結から数年。エースパイロットのロナードは、任務の失敗から士官学校へ左遷されてしまう。 仲間を死なせ、生き残ってしまった罪悪感。大戦後の急激な世界の変化についていけぬ疎外感。取り残されたロナードは居場所を失い、死に場所を求めているんです。空に。 その広さを高く速く駆ける印象とは裏腹に、過去によって空に縫い留められているようだった。 そんな彼が士官学
なんて忘れがたい、かけがえのないクリスマスだろう。 舞台は1970年アメリカ、全寮制の名門校。クリスマス休暇に帰れない生徒と、嫌われ者の古代史教師、息子を戦争で亡くした料理長が、約二週間を共に過ごす。 反発や衝突はしょっちゅう。特に生徒は望んで残ったわけではなく、抱える不満は大きい。 けれど徐々に、彼らは繋がっていく。各々の抱える事情や心情を窺い知り、“我々だけの話”を交わし、背中を押す。 彼らを見ていて、時々ぶつかるのは傍にいるからだと、向かい合っているからだと感じた
青さを残したまま暗くなってゆく空に、夕の淡い赤を帯びる雲が浮かぶ中を、まっすぐ横切る飛行機の尾があまりに眩く鮮やかだった そんな七時すぎの光景に、夏を感じた今日のこと
こう…… それを“知らない”ということ自体を知らないでいること “分かっていない”ということ自体を分かっていないこと “見えていない”ということ自体が見えていないこと 等々がきっと膨大にあるのだろうと思えて 口を開く寸前、文字を打つその時に、何か押しとどめる力となって襲ってくる
あちこちで田植えがされて、空を映す水面に若く鮮やかな緑がとても眩しい ときおり佇む鳥の白がまた映えるのだよなあ
書店で本を買ったら計2,222円で、なんだか嬉しい
天候以上に荒れ狂う両者の関係、攻防に呑まれた。 雪山で遭難した親友二人。負傷し死を覚悟したジヨンは、16年前の山岳部で起きた事故が自らの殺人だったと浅井に告白。だが山小屋へ避難できた彼らは、気まずい一夜を過ごすことに。 最初は静謐な緊迫感が流れるんですよ。殺人の“告白”を聞いてしまった/言ってしまったことで、今まで通りには振る舞えない。 片方だけが重い秘密を知るアンバランスさ。しかし浅井は差し出す秘密がないと言う。 やがて膨らんでいく疑念。感じる命の危機。 ついに生き残り
睦月ネロさん(https://note.com/mutukinero/)の短編集『カラフルな日々』読み終わりました。#文学フリマ東京38 の新刊です。 夫の遺品、母に押し付けられる服、忙しさに片付けもままならない部屋、実家の押し入れ。 短編それぞれの主人公が向き合うのはそうした物の詰まった場所であり、それらと結びつく想いや相手、記憶や関係なんです。 胸のわだかまりや人間関係のこじれを抱えて、思い悩む主人公たち。彼らの前にふと現れるのが赤や緑、白、黄色といった、ひときわ目を
あまりに心を抉られる。 6歳の少女が失踪した。捜し続ける両親へは誹謗中傷や悪戯が相次ぎ、叔父は疑いの目や嘲笑に晒され、取材を続ける記者はテレビ局の方針や報道のあり方に苦悩を滲ませる。映し出される彼らの感触、凄まじさが胸を刺す。 まず、石原さとみさんが凄いんですよ。母親役の。 娘の所在が分からぬ不安や喪失感はもちろん大きい。加えて、娘を預け出掛けた己や最後に一緒にいた自分の弟を責め、平静に見える夫を詰り、苛立つのに誹謗中傷を無視できない。手を尽くさねばと焦り、僅かな希望に縋っ
場所はドイツ。舞台は学校。しかし無関係でも無関心でもいられない光景が広がっていた。 校内で相次ぐ盗難事件に手を焼く教師たち。若手のカーラは独自にカメラを仕掛け犯人らしき人物を挙げるが、その対応を巡り反発や混沌が巻き起こる。 学校が掲げるのは『不寛容方式』と呼ばれ、問題を徹底的に調べ対処すること。正しさを追求しているように見えて、当初疑われたのが生徒だけだったり、カーラが囮を用いた盗撮でブラウスの柄のみを理由に犯人を挙げたりと、首を傾げたくなる点があるんです。 それに、些細な
その真っ直ぐさが変える、変わる「いま」に惹かれた。 幼い頃に出会った“運命の相手”と再会して恋に落ち、両想いになった途端に彼が消えた――それでも彼を見つけては想いを伝えるりの。やがて大学で会った彼は、今までと様子が違っていた。 りのの「好き」のエネルギーって凄いんです。全身全霊、全力疾走。それを“恋に恋してる”、“自分に酔ってる”と言われたことも。 でも、成就=終わりの繰り返しに苦しさもある。 大学で出会った彼は、「いま」を大事にするひと。それには理由があって、りのは初めて
物語の、“「これがなければ良かった」という要素(コンプレックスやトラウマ、問題など)”が、“「これがなければ得られなかった」という特別なもの(出会い、出来事、経験など)”と繋がっていて、心の動きや人間模様を生み出していく様に惹かれるところがあるんだな