読書:レイチェル・ジョイス『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』(8/4読了)

身体の奥底から揺さぶられ、震わされるこの感覚は何だろう。
かつての同僚から末期癌の知らせを受けた65歳のハロルド。返事を投函しに行くも躊躇した末、彼はこのまま歩いて会いにいくことを決断する。

まず驚かされるのは、ハロルドの目に映るものの鮮やかさ、みずみずしさ。風景の美しさも勿論あるのだけれど、自らの足で歩むことで出会うはじめて、知る事柄の諸々が眩いんですよ。いま人生を歩み出したというような、好奇心と無邪気さ。自分が歩き続けることで元同僚を救うという希望もある。

片足をもう一方の足の前に置く。その繰り返しで進んでいくハロルド。その中で様々な人と出会い、話を聞いて、見た目には分からない何かを彼らが抱えているのに触れることもあります。

ハロルド自身もまた、途方もない闇とやっかいごとを抱えている。歩む彼の胸中を時おり、妻や、息子や、父や母、いま会いに向かっている元同僚のことなど、胸の奥深くに葬ってきた過去の感情や記憶がかすめていく。向き合って、見つめて。

なぜハロルドは歩き続けるのか――会いに行くだけなら他に手段はあるのに、ずっと早く着けるのに。

でも、時に道を逸れ、時に迷って道を探したりしながらの約1,000キロはハロルドの人生を旅する道程でもあって、彼が辿り着くのは単なる目的地ではなく、なんというのだろう……旅を経たからこその彼自身なのだろうと感じたんです。

道中で見舞われる事態の数々にハロルドの心身も消耗し、傷つき、当初とは様相が変わってくる。それも含めて、だからこそ、忘れがたい旅。
感動した、と軽々しく言えない旅なんですよ。

実は旅の途中、ハロルドの試みが報道されて有名になり、同行者まで集う事態に発展するんです。でも愛の物語として持て囃され、いつしか同行者たちが旅の方針を決め、ついにはハロルドを置いて目的地入りしてしまう。それが盛大な盛り上がりを見せる。

けれどそれに、どんな意味があるのだろう?
ハロルドの試みと目的を奪って到達したところで、何に達したというのだろう?
その場面を見てから――ハロルドの旅は、ハロルドの人生は、ハロルドだけのもので、侵し難いものだと感じたんです。
読み終わるのが惜しくて、噛みしめながら読んだ作品でした。


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