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#エッセイ
空気、みたことありますか?
僕はこのことを考え始めるまで空気は見えないと思っていました。
けど家族や周りの人に聞いてみると「今も見えてる」みたいな答えが返ってきます。
今、果たして本当に空気は見えているのでしょうか?
見る、とは大抵の場合は物体に反射した光が目に届くことを指すと思っています。光源を見る場合は反射した光ではないですが。
僕は「見る」ためには少なくとも色か輪郭のどちらかは必要だと考えています。
例えばガラ
「なんでもいい」と言う人間
「夕飯何がいい?」
「なんでもいいよ」
たぶん、どこにでもある会話だろう。
僕は幼少期にこれでよく母に怒られた。理由は簡単、偏食だったから。
「なんでもいいって言っていいのは何が出てきても残さず食べられる奴だけだ」
彼女にも怒られた。
「デートどこ行く?」
「どこでもいいよ」
僕は空間や時間を共有出来ればそれで満足してしまう人間だった。
そして実際はどこでも良くはなかった。絶叫系アトラクションが
真実を一つに限る必要はあるのか
僕はコナンの「真実はいつも一つ」という言葉が好きではない。コナンという作品は嫌いじゃないし、まじっく快斗は子供の頃通っていた病院に置いてあったので好きでよく読んでいた。
この話を続ける前に僕の思う事実と真実という2つの言葉の意味を確認しなければならない。
僕の言う事実とは、既に起こった出来事、科学的に正しいとみなされている事という認識だ。そして真実は、ここに感情などの主観的なものも入ってく
飛ぶために生きる鳥はいるか
年末、高校受験向けの国語の問題集をといている時に『かもめのジョナサン』という作品を知った。読解問題で一部抜粋だったので実際に読んだ部分は僅かだが、その少ない文だけでもとても惹かれてしまったが故、年末年始はずっと『飛ぶために生きる鳥はいるのか』をテーマに考えこんでしまうこととなった。
考えはじめて直ぐに、僕は人の人らしさを感じることになる。というのも「なんのために生きるのか」というよくある答え
毎日必死に食べている
この文字を見ると「金銭面で辛い人」という印象を抱く人もいるそうだ。
僕は自身に重ねて「食事が疲れる人」という印象を持った。
僕はこの6年ぐらい、食べることをとても疲れると感じる。食べ物を口まで運び、噛み、咀嚼する、食事という行為がとても疲れる。
それでも2年ほど前までは、疲れても美味しいものを食べたい気持ちがあったので度々都内まで足を運んだりしていた。
それも自粛をするようになってもう1年