空気、みたことありますか?

僕はこのことを考え始めるまで空気は見えないと思っていました。
けど家族や周りの人に聞いてみると「今も見えてる」みたいな答えが返ってきます。

今、果たして本当に空気は見えているのでしょうか?

見る、とは大抵の場合は物体に反射した光が目に届くことを指すと思っています。光源を見る場合は反射した光ではないですが。

僕は「見る」ためには少なくとも色か輪郭のどちらかは必要だと考えています。

例えばガラスのコップがあるとします。
これは無色透明です。これを見ることが出来るのはきっと輪郭があるからでしょう。

例えば蚊取り線香があるとします。
火をつければ煙が出ます、煙は輪郭がはっきりとしません。これを見ることが出来るのはきっと色があるからでしょう。

ところが空気には色も輪郭もありません。これを読んでくれた方は一度考えてほしいです。
今、自分は空気を見ているのか。


僕は考えました。
僕は空気を見ているのか。
そもそも何故空気を見えていると答える人が(自分と違う考えの人が)多かったのか。

それは多分、知識としての認知と知覚としての認知が混同しているからではないかと。それこそ霊的なものが見えるのと同じような。
信じてる人にだけ見える的な。
ただ、この混同は悪いことではなく生きていく上で合理的な機能だと思います。

そして次に考えたことは、実際に空気を見るにはどうするか?
空気に輪郭をもたせたら見ることが出来るのでは?

僕は思い出しました。幼い頃水中で見た丸い空気を。

しかしここで問題が起こります。見るという概念のゲシュタルト崩壊。
因むとゲシュタルト崩壊とは文字などのまとまりのあるものをずっと見ていると、そのまとまりを認識できなくなっていく現象です。
例えば公園と縦に沢山書いてあるのを見た時にハム園に見えるみたいな。けどいつからか目に見えるまとまりだけでなく概念的なものにもゲシュタルト崩壊という言葉を使うようになりました。一体いつ頃からどんなきっかけがあったんでしょう?知っている方がいたら教えてください。

話は戻って、僕は水中で空気の輪郭を作れるなら空気を見ることはできると思いました。
しかしその輪郭、空気と水の境界で反射して目に届く光は空気が反射したものでは無く水が反射したものではないのか。そう考えた時、僕の中で「見る」は崩れていきました。

僕は今いるカフェの店内をぐるりと見渡します。色々なものが見えます。例えばダークブラウンのソファ。しかし目に届いているのは光です。僕はソファに反射した光は見えますがソファは見えているのでしょうか。
その光の色と周りとの差(輪郭)からソファという知識に結びつけているから認知できているだけで、ソファという物体は見ていないんじゃないか。
自分でも何を言っているかわけが分かりません。完全にゲシュタルト崩壊してしまいました。

ゲシュタルト崩壊した時点でこれを公開するか迷ったのですが、ここで新しい空気を見る方法を思いつきます。
さっきは輪郭に頼りましたが今回は色です‪。
空気より軽い有色気体と空気より重い有色気体で空気を挟めば空気が見えるんじゃないかと。
けどこれも結局ダメでした。そもそも色があるから見えるのに色がない、有色気体がそこにないと見えるから知識として「じゃあ空気がそこにある」と思うだけ。

僕は思い出しました。レイリー散乱を。
日中の空が青く見えるのは、大気中で青い光が強く散乱されるからです。また、朝方や夕方に空が赤く見えるのは、光が大気中を通過する距離が長くなり青い光が散乱されすぎて残った赤い光が届くからです。

ここで大切なのが空気と大気です。
大気とは惑星を覆う気体を指します。そして空気は地球の気体の下層部分のことです。
レイリー散乱は光の波長よりも小さい粒子と衝突した時に起こりますが、これが空気以外の大気中で起こっているのか空気でも起こっているのかは知りませんでした。
軽く調べたところ酸素分子や窒素分子でも起こると書いてあるものもあります。

なら空気にも色はあるのか、と思いましたが空気は無色透明と書いてあるページばかり。

つまり空の色は空気の色ではなく光の性質として捉えている訳です。レイリー散乱の話なので当たり前ですが。

ところが僕はこれで余計に気が狂いそうになります。
ナトリウムランプの存在のせいです。
トンネルのオレンジの光、あいつです。
ナトリウムランプはオレンジ色の光しか出しません。なのでナトリウムランプの下では全てがオレンジの濃淡だけで認識されます。
ソファを見てもそれを何色か答えることはできません。

見るとは何なのでしょうか。
赤い絵の具が赤く見えるのは赤以外の色を吸収しているからです。しかし赤以外の光が吸収されるのは光の性質なのでしょうか、それともその物体が持つ性質なのでしょうか。

光が特定の物体に特定の波長の光を吸収されるのを、光の性質ではなく物体の性質としてみて、その物体を知覚していることに疑問を感じ始めました。

結局僕は光しか見ていない。「もの」を見ることが出来ていないんじゃないか。

考えることが辛くなってきたのでもう終わります。
めちゃくちゃです。

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