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わたしのバセドウ病体験記

去年夏、医師からバセドウ病であることを告げられました。
2年くらいはお薬を飲み続けないといけないそうで、まだまだ治療中です!

単なる、精神面からくる一時的な体調不良だろうと思っていたので、病名がつけられたことに驚きました・・。
案外、病院へ行ってみたら病気だったりするよ、いま悩まされている体調不良は、治せるものかもしれないよ、と誰かが病気に気付くキッカケになるといいなと思い、記してみたいと思います。
・・とは言っても、結局私の場合も何が原因となってのか分かっていませんが。(バセドウ病はまだ、解明されていない部分も多い病気なのだそう。)

症状のはじまり:吐き気、体重減少

2017年3月に長男を出産しました。安産ではありましたが、出血が多めとのことで、産後初日は安静にさせられていました。異常といえば、それだけです。

入院期間を経たのち、自宅へ戻りました。しばらくは実家で過ごすという手もあったかもしれませんが、私の両親はまだフルタイムで働いていて、どうせ手を貸してもらえるのは休日くらいだろうと、それなら夫といるのと変わらないかなと思っての選択でした。
「こどもが生まれるまでには落ち着かせるから」と言ってくれていた夫でしたが、仕事は思うようにはかどらなかったようで、3人での生活がはじまっても深夜帰りが続いていました。

夫は忙しくしているから頼れないと遠慮し、息子とリビングで寝るようにし、夜の授乳などで夫が起きてしまわないようにと家事育児はほぼワンオペでコンプリート。そのせいあってか産後の悪露の納まりが悪く、度々腹痛に悩まされたりもしていました。気遣いすぎだよね、あの頃の私~。

そうしているうちに、息子も6か月。立派なむちむちボディになり、抱っこが重たくて腰痛持ちの私には苦だなと思い始めている頃。
原因不明ですが、毎朝のように嘔吐するようになりました。朝起きた瞬間から胃がムカムカとし、強い吐き気のために歩くのもやっと。息子にごめんねと思いながら、昼間はずっとソファで横になっている日が続きました。
夕方になると吐き気が収まっているのがほとんどでしたが、昼間栄養が採れない分、夜も気力があまりありませんでした。

「体調が悪いので、早く帰宅して育児を代わって欲しい」
申し訳なさを抱きつつも、夫へのSOSは毎日続きました。でも、夫も仕事が忙しく早く帰宅してくれることは滅多にありませんでした。

どれほどの体調不良なのか伝わっていないのか、甘えだと思われているのか。心に余裕がなくなり、その頃から夫の仕事態度を肯定することが出来なくなっていました。
そこからは喧嘩のオンパレードです。

家族のために働いているんだっていうけど、今の状況ちゃんと見てる?どう見ても今は稼いでくることよりも手伝うことが優先でしょ!!!!!

スーパー独身貴族でフリーダム期が長かった夫。「家族のために」と言いながら仕事が好きなだけです。「自分は家事も育児も得意じゃない。俺が収入を、君が家事育児を、と得意不得意を考慮して役割を分配してるんじゃん。俺は俺のやり方でちゃんと家族に貢献している」そんな言い方をされました。でも・・・私だってべつに家事育児得意じゃないし。

そんなこんなと日々喧嘩。互いに我が強く、ヒートアップしやすいので、それはそれはひどい喧嘩が続きました。体調が悪い中だったし、怒るのにも体力を要するし、ひどい言われもするし。身も心もボロボロでした。

ひと月半ほど経つと、自然と吐き気が引いていきましたが、相当やせ細ってしまっていました。体脂肪だけ見るとモデルになれるのでは、なんて思うくらいには痩せました。今まで見たことのない数字をたたき出しました。

そこからしばらくの間は、食べても食べても太らず、逆に体重は落ちていくばかり。もとは太りやすい体質で常に食べるものに気を付けていた私でしたが、調子に乗ってストレスをぶつけるかのように暴飲暴食しました。
しかし、それでも体重は減る。

元の体重から妊娠し、臨月までに14kgほど増量しましたが、産後8か月ころまでに-19kg落ち、元の体重よりも-5kg減。周囲に心配されるゲッソリ具合だったようです。

のちに調べると、この体重減少もバセドウ病の症状のひとつだったようです。

治ったと思ったらまた:動悸、不整脈

産後1年経つ頃には、体重の減りが収まり、少しずつ増えるようにもなっていました。これ以上減るとやばい・・と思いながらも体重を気にせず食べまくれる日々も終わりかと、惜しむ気持ちもあったり・・・。

それくらいの頃から次は、動悸が気になるようになりました
しばらく体調不良で運動もしていなかったし、体力が落ちたのかな?とはじめは何とも思っていませんでしたが、頻繁に起こる激しい動悸と異様な疲労感に見舞われる日々になんとなく違和感を覚えました。

入眠時の動悸に一番困りました。寝ようと思っても、体が揺れるほどの強い動悸と激しい心臓の音が邪魔で邪魔で寝付けない、ということが多々起こるようになっていたのです。激しい動悸が続いたと思ったら、次の瞬間急にひゅっと心拍が下がり、この落差に「死」を感じさせられたりしながら、怖くて一晩中眠れない日も度々ありました。

迎えた4月。息子は保育園へ通い始め、私は職場へ復帰しはじめました。
4月中旬、職場が移転となり、引っ越した先に駐車場がなく、会社が契約したのはオフィスから徒歩7分先にある場所。高低差のある地域で、オフィスから駐車場へ向かう際は割と急こう配の坂道を登らなければなりませんでした。

そこでも「運動不足かな」とひとことで済ますにはひどすぎるほど足が重く、毎日ではありませんでしたが、登りきる前に息が切れ呼吸が苦しくなり、ひと休みを入れなければ辿りつくことが出来ない、なんてことも起こりました。なんとなく抱いていた違和感は、そこで更に強くなりました。

坂を上る際だけではなく、仕事中にも動悸が起こるようになりました。
特に帰り際がひどく、気分が悪くなり失神してしまいそうだと思う日もあったほどです。冷や汗をかき、何とか持ちこたえたあと、更に坂を登ることは出来ず、7分の距離をタクシーに頼ったこともあります。

このあたりから「ちょっとこれは異常だな」と思いましたが、貧乏性なのでなかなか病院へ行くまでに引っ張りました。しかし、家へ帰るとワンオペ育児&家事が待っている。仕事をはじめ、育休中よりも減ってしまった我が子との時間も、仕事と体調不良により夕方までに疲れ切ってしまっていた私は、大事に過ごすことが出来なくなってしまっていました。
そんな自分に気付いたときに、「息子のためにも、いまのままではいけない。症状が少しでもよくなるなら、何かしら薬を処方してもらおう」と思い、診察を受けてみることにしました。

病院めぐりの旅:総合内科→循環器科→甲状腺外来

ネットで調べた内容が少し当てはまっていたので、ストレスによって自律神経系が乱れているのかなと思っていました。とりあえずまずは、診療科目の多い病院の内科で診てもらうことにしました。

はじめにA病院で
・血液検査 ・問診 ・心電図
をした結果、「不整脈あり」と診断され、循環器科のあるB病院へ紹介状を出されました。
あれれ、自律神経とかではなく、心臓そのものが悪いのか・・大丈夫なのか・・と多少の不安を抱えながら、その日のうちにB病院を受診。

B病院では
・問診 ・血液検査 ・心電図 ・ホルター検査(24時間心電図検査)
を受けました。不整脈が全くでない日もあったので、この際の心電図検査では不整脈はみられなかったようでした。診断結果は「血液検査の結果、おそらく甲状腺機能亢進症かと」とのこと。なんだそれ?と思いながら、さらに甲状腺外来のあるC病院へ紹介状を出され、C病院を受診。

C病院では
・問診 ・血液検査 ・心電図 ・甲状腺のエコー
を受けました。最後のエコーを受けて、バセドウ病であることが確定したみたいです。

治療は薬物治療と「無理をしないこと」

私の場合まだ軽度の段階だったようで、薬物治療のみで大丈夫でした。
抗不整脈薬(不整脈が落ち着いたらやめました)と、甲状腺にはたらきかける薬(プロパジール)(のちにメルカゾールへ変更)を処方され接種しつづけました。

禁止事項としては、バセドウ病によって過剰に代謝がよくなっている状態なので、更に代謝を促すような行為は控えるようにとのことでした。たとえば、浴槽につかる、走るなどの運動をする、お酒を飲む、などです。
とりあえずは全般的に”無理” はしないようにと言い渡されました。

出産してから、休みなく駆け抜けてきた。頼れるものがない中で、なんとなく、「自ら望んだのに、休みが欲しいなんて図々しい」と、状況を肯定するかのように思うようになっていました。
病気を言い渡されてすぐの感想は、「絶望」より「希望」でした。「休む言い訳ができた!」と(笑)

これで心置きなく夫にヘルプを出せる。家事と育児の両立がうまくいかなくても、病気のせいにすることができる。そう思うと、張り詰めていたものが緩み、抑えていた要望が雪崩れるようにあふれ出してきました。

治療のための環境づくり

結果はすぐさま会社に共有した。私のワガママだよな・・と思い遠慮していた部分を思い切って吐き出しました。

「駐車場までの7分の距離が辛い」「もっとうまく仕事と育児を両立する術を開発したいと思っている」など。
もともと親身になってくださる会社だったので、快く相談を受けてくれました。本当にありがたいことです。
結果、調子が戻るまで「業務委託」というカタチで自宅勤務しても構わない、と言い渡してもらいました。

さらに体調から相まって精神面も崩れがちだったため、仕事量をかなり減らすことにしました。

また、再度夫への協力要請を出しました。今度ばかりは夫も「ストレスが原因の病気なら、ストレスを溜めさせないようにしなきゃね」と、協力度がかなり増しました。どんな喧嘩よりも、どんなお小言よりも効果がみられ、これまでの努力を思って涙する私。←
この夫の変化が、ほんとうに一番うれしかったです。

さいごに

2018年7月にバセドウ病を言い渡され、約半年。副作用というか名残というか、たまに不整脈がおこることもありますが、極めて元気になりました。
薬は2年近く飲み続けることになるだろうとのことで、月1の通院も続いています。(そろそろ2か月に1度にしてもいいそうです)

体調も戻ってきたし、個人事業主として業務委託を受けていたので、その面倒くささも知り(確定申告とか、確定申告とか・・)来月あたりからまた雇用者復帰しようかなと考えています。

私はだいぶ軽度の段階で病院へ行ったので良かったものの、重度まで我慢しているともっと辛い症状がでたり、治療法が変わったり(手術や放射線治療の場合もあるそう)、治療も長引いたりすると思います。

心臓に異変を感じたのは人生ではじめてだったこともあり、軽度でも「このまま死んだらどうしよう」と脂汗ギトギトにかくほど苦しい時もありました。

意外とそういう勘というか、感覚というかは、当たります。
最悪の場合、不整脈により脳梗塞を起こし亡くなってしまうことも無きにしもあらず、だそう。
「ちょっと体がおかしいかも」という体からのSOSを見逃すことなく、はやめの受診をおすすめします。
また、パートナーや身近な人がSOSを出しやすい環境にしてあげること、出されたSOSはしっかりとキャッチすること。

人生、何かが起こってからでは遅いです。そして、いつ何が起こるかわからない。
「その時」に備えて、自分を、相手を、丁寧に見つめる余裕を準備しておいたほうがいいかもしれません。


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