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憧れの記憶

長い髪は、女性らしさの象徴。
フェミニズムがうたわれる昨今では、そんな考えは
スタンダードではなくなってきている。
女性のショートヘアだって、十分に愛らしい。

でも、私はやはり、長い髪の女性は美しいと思ってしまう。
その所以は、拭っても拭いきれない憧れの記憶にあるのだと思う。


私の一家は、代々癖毛だ。
幼少期は、「くるくるで可愛いね」なんて褒められたりもしたが
年々頑丈で、ゴワゴワとした、艶のないうねり髪に変わっていった。

広がり、絡まり、櫛が容易には通らなくなり
手入れに手が回らないと、母は一年に一度
私達姉妹を美容室に連れて行くようになった。

「年に数回も美容室に行かずに済むよう」と、
毎度思い切りショートカットにさせられた。
そこに私達のリクエストの声は一切通らない。

カットしたあとは周囲に
「男の子みたいになったね」と言われるほど短くなる。
幼い間はそれが嬉しく、「男の子かと思った!」という驚きを誘うために
わざと男の子らしい仕草をしてみたりと、愉しんでいた。

小学校5年生になる頃、
毎年恒例のヘアカットの日がやってきたが
その日の私はあまり乗り気ではなかった。

「切りたくない」と言っても、
「伸ばしても手入れできないでしょ。絡まって毎朝苦労するだけよ。」
と取り合ってはくれず、渋々美容室に行くことに。

その日の付き添いは母ではなく父だった。
父は母に頼まれた通り、美容院のおばさんに「いつものように短く」とだけ言った。
今伝えなければ、もう切られてしまう。
そう思いつつも、何故か恥ずかしさを感じ、
父の前では要望を発することが出来なかった。

何も知らないおばさんが、髪に手をかける。
やっとの思いで「あの・・」と声を発したが、
その一瞬のうちにひと裁ち入れられ、
ふぁっと、一束分の髪が床に落ちる。

肩まで伸びていた髪は、みるみる内に髪が切り落とされていく。
美容室の白い床に落ちた髪を見て
どうしようもない悲しみに襲われた。
人前でベソをかくような年齢でもなかったが、
涙を止めることが出来なかった。
「どうしたの?」と驚き慌てるおばさんの声にも答えることが出来ず、
泣き続ける私を、父は煩わしそうに見ていた。

止めようとは思うものの止まらない涙は、帰宅しても続いていた。

成人してから、この時のことをふと思い出した。
なんてことない記憶のはずが、何故か一緒に哀しさが込み上げた。
私は比較的、物分かりの良いこどもだった。
伸ばせない髪だということは、理解していた。
分かっていても、伸ばしたいと思っていた。
それは、芽生え始めのささやかな女心だったのだと思う。

大人になった今、私は金銭的に自由を得て、
同時に髪型の自由も得た。
剛毛なくせ毛は相変わらずだが、
縮毛矯正という手もあるし、手入れにお金をかければ
それなりに落ち着いた、綺麗な髪を保つことができる。

あの時の「女心」へ償うかのように、
あの時の自分を慰めるかのように、
私は髪を伸ばした。
お風呂上りはやさしくふき取り、ドライヤーをし、
毛先から、丁寧にトリートメントをなじませる。


もうすぐ、憧れのロングヘアだ。



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