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父と母から学ぶ”〜すべき”の言葉を捨てると心が楽になる

こんばんわ。
今日も庭から採ってきたオーガニックのレモンとはちみつで蜂蜜レモン作ってのんびり飲みながらnoteを書いています。
今日のタイトル

〜すべきを捨てると心が楽になる


〇〇すべき。やらなくてはならないという固定観念にとらわれることによって逆にあせったり、不安になったりすることってないですか?
〇〇すべきって日本語でも結構強い命令形の主張に聞こえますよね。
その命令が従わなきゃという発想になって脳が勝手にインプットしちゃうんだろうなと思います。
自分の中でこれはこうであるべきと作り上げてしまうと自分のハードルや目標も高く設定しがちですよね。
そして固定観念ができてしまうともしも”〜べき”が達成されなかったことで悲しみや怒りにかわったりするものです。
その感情がでるのは自然なことなのですが、その固定観念の〜べきと言う考えを捨てて自分の楽な環境を探してみると悩んで今までやらなきゃいけないと思っていたことが、あ、なんか我慢しなくていいんじゃないか?とちょっと心が軽くなるのではないでしょうか?
悲しい、怒りの気持ちにいく前にすでに固定観念を捨てちゃって楽な道を探すという道へ方向転換すると気持ちも楽になったりするものです。

父の〜べきという固定観念とそれをかき消す母

実は、私の父も固定観念がとても強く歳をとるごとに一層頑固さもましてきました。
私も将来父のようになるのかそれともその頑固さをかき消す母のようになるのかわかりませんができれば私は、母のようになりたいと思っています。

父は、よく”絶対”という言葉を使います。そしてすかさず母は”絶対はないんじゃない?”とその言葉をかき消す行動がよく見られました。
”絶対〜すべき”という言葉になると”すべき”の最上級でいつもそれができなかったらどうするんだろうな?と私は思うことがよくありました。

昨年1年ほど両親と同居していたのですが、本当に”絶対”という言葉を何度聞いたことか。おそらく父の育ってきた環境にも関係するのかなと思っています。祖母がとても厳しい人だったので自分のやりたいことができなくて我慢して育ったのか言われたことだけをやり続けた結果、絶対それは間違いないという固定観念が備わってしまったかはわかりませんが、その”絶対”がやはり間違っているときもあるのでそういうときは黙り込む父がいます。
そこで母が上手くバランスをとる光景をよく見かけました。父のそこまで確信して突き進める自信はある意味尊敬しますが・・・。
母は、割と楽観的なので母と話していると一緒にビジネスアイデアや私の趣味であるアップサイクル で何か物を作り出すアイデアなんかもどんどんうまれてきます。何かアイデアを考えている時が一番私の楽しい時間でもあります。もちろん父のビジネスも母がいるからこそ成り立っているんだよなあと思うことが唯々あります。話はずれてしまいますが、お母さんって偉大ですね。改めて思います。

私も頑固な一面もあるので父の気持ちはわかりますが、母の絶対はないんじゃないという気持ちもわかるので両方の考えを受け持っている自分がいて、ある意味両方の気持ちがわかるのでよかったなとプラスに考えることにしています。
私には、絶対〇〇べきがはずれたらすごい凹むし結局、自分も幸せや喜びの気持ちより悲しみが強くなることが自分でわかっているので
”絶対〇〇べき”
という言葉を使わないように心がけています。メンタルをキープするために意識してやるとその”べき”ができなかったとしても別に絶対ではないんだしいっか。という楽観的な気持ちになることができます。
悲観的より楽観的が自分は好き。
そうやって自分をコントロールしていくと自分と向き合えているような気持ちにもなります。

焦らずゆっくり楽な方向へ


”〜べき”を捨てて楽な方向見つけてみると今まで考えすぎてたことも、ちょっと楽観的な方向に考えになり悲しみや怒りが幸せや喜びに変わることもあると思います。今日もあせらずゆっくりと。

今日は、ここまで。
Have a great weekend.




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