作っちゃう、使っちゃう
最近、“面白い”という言葉は残酷だな、と思うことがある。
僕の好みはサスペンスやホラーに偏っている。物語の中では、しょっちゅう大変なことが起こり、人が死んだりもする。ある作品に“面白い”と感じたとして、だけどもしかしたら似たような形で現実に恐ろしい思いをしたり、悩んでいたり、家族や大事な人を亡くした経験のある人もいる可能性があって、そういう方々にとっては、たとえそれがフィクションだとしても、もはや当事者と言ってしまえるような場合もあるんじゃなかろうか。
そんなふうに考え始めて