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僕が日本で人見知りなのは「Hi」がないからだ【🇩🇰交換留学】

こんにちは。noteの記事にも色々と種類があると思います。日々の出来事を共有する日記note、本の感想note、ライフハックや旅行先の情報などを提供してくれるお役立ちnote、などなど、本当にたくさん。

今回の僕のnoteを分類するとすれば、「自己保身&責任転嫁note」です。どうぞ。

1.近づいてAボタン

新学期の大学の授業で近くになった人とか、同じイベントの参加者とか、「仲良くなれる可能性を持った知らない人」と会う機会は結構溢れている。こういう人たちとの会話が本当に苦手だった。

旅行中の定食屋のおばちゃんや、タクシーの運転手さんなど「どう考えても仲良くはならない人」とのその場限りの会話はなんなら得意分野とまで自負していたのに、仲良くなるための1st Stepとしての性質を帯びた瞬間に物怖じする。

なにより、会話内容というよりも一言目が定まらない。なんとなく目があって、会釈して、このあとの一言目。ポケモンなら近づいてAボタンを押せば勝手に会話が始まるが、現実はポケモンではない。

知らない人に声をかける時は「すみません」と相場が決まっている。しかし、「すみません」は同時に距離を作る。なんとなくだが、「すみません」は「聞きたいことがあるから申し訳ないけど話しかけますね、でも僕とあなたは他人ですからね。ええそうです他人ですとも。」を含意している感じがする。

仲良くなる可能性のある人との会話を「すみません」で始めたら、仲良くなるまでの時間は2倍、3倍になるという研究結果があってもいい。

かといって、突然質問を仕掛けるのも怪しまれる。目が合い、会釈して、「紙ストローについてどう思います?」なんて話しかけたら心のシャッターを何重にも下ろされ、ガチャガチャと大きな音を立てながら慌てて南京錠を閉められることだろう。

ここまではいかなくても、「なんでこの授業とってるんですか」みたいな毒にも薬にもならない質問すらかなりの勇気がいる。

2."Hi"の魔力

それがどうだろう、留学に来てからというもののこういった類の会話に苦手意識を抱かなくなった。「留学に来て浮かれてるからだろ」みたいな意見はごもっともだが、そんなタイプの人間でもないことを信じてほしい。

自分自身の性格にさして変化がないことを前提とすると、日本での生活とこちらでの生活の最大にして唯一の違いは"Hi"の有無。目が合い、会釈はしないが、笑いながら"Hi"と言う。これによって「さあ、会話を始めるよ」という宣戦布告がお互いに共有される。

「すみません」とは違い「Hi」には距離を作る能力は備わっていないように思える。寮の共有キッチンでも、授業で隣になった人でも、飛行機で隣になったおばあちゃんにも、老若男女誰にでも使える「Hi」。

留学に来て人見知りが克服されたように思えたが、ただただ「Hi」という万能の武器を獲得しただけのようだ。したがって、多分日本に帰ったらまた同様の問題を抱えることになるのだろう。ちなみにデンマーク語の「Hi」は「Hej」ですが発音はそのまんま「Hi」。

日本にも「Hi」があればいいのに。英和辞典を引くと、「Hi」の直訳は「やあ」だそうで。「やあ」て。クラッシュじゃないんだから。「お前たち、最高だぜ」が言えるくらいの人間にならないと使えない単語ってことか。

日本での人見知り克服への道は、想像以上に長そう。

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