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一橋祭テーマソングに、選ばれました

嬉しい。本当に嬉しい。久々に、100%で嬉しい。

作曲についてはすでに2個くらいnoteを書いたので、今回は"便乗自分語り"をします。よくあるアレです。構えてください。

1.0→1ができる人へのあこがれ

0から1を生み出せる人と、1を100にできる人。就活を始めとしてこの分類はいろんなところで聞く。本人たちも言っていたがバナナマンの設楽と日村を想像してもらえれば多分話が早い。設楽が前者で、日村が後者。

基本的に二元論は当てにしてないが、これに関してはバナナマンのおかげで結構すんなり受け入れられた。

どちらかといえば自分は後者。100にはできずとも、1を小手先の中の小手先で25くらいに見せることでここまで生きてきた。小学校の自由研究に始まり、卒業文集、文化祭、このnote、そして普段の会話に至るまで、大それたことは言っていなくても、なんとなーく周辺の装飾でそれっぽく見せる技術だけは持っている。と信じたい。

少なくとも0から1を生み出すよりは向いている。というか0から1が本当にできない。でも、やっぱり、バナナマン設楽・小林賢太郎・ダウ蓮見に憧れてしまう。何かを生み出し続けている人たちはどうしてあんなにもかっこいいのか。

あれほどスマートにできなくても、どうにか0から1を捻り出せないものか、というのがここ数年の自分の中の課題だった。

2.より嬉しい

だからこそ、友人の助けを存分に借りながらも0から曲を完成させて、さらにテーマソングにまで選んでもらえたことは大きな大きな意味を持つ。

もちろん世の中に溢れるたくさんの曲たちを標識にしてやっと辿り着けた場所ではあるが、自分の足でここまで登ってこられたことは何事にも変え難い喜びがある。山に登らずして登山の魅力が少しばかりわかった気がする。多分、気がするだけ。ちなみに僕の過去最高登山到達点は筑波山の877mです。低い。

今後どれほど0→1の人生を歩めるかは見当もつかないが、世間に爪痕とまではいかずとも引っ掻き傷くらいは残せるような何かを生み出せたらいいな、とは思う。曲でもいいし、必死こいて小説を書き上げたっていいし、来年就職を控える身としてはもちろん仕事で何か成し遂げたっていい。

「生きた証」や「後世に伝えたいもの」なんて表現をすると少し規模が大きすぎて手に負えないが、「なんかあんなやついたな」と思い出してもらえるくらいの、なんというか、"名残"くらいは残したい。

ごちゃごちゃ言いましたが、とにかく、嬉しかったんです。

これで大学生活でやり残したことは「接客バイト」のみになりました。多分達成できずに卒業します。

接客を経験したことのない人間が作った曲です、聞いてください「ハバタケ」


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