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ポケモン映画とフルーチェの夏

去年、「ディアルガ対パルキア」が映画館で再放送されていたのをどれほどの人が覚えてるだろうか。そして、どれほどの人が見に行っただろうか。

僕は行きました。15年ぶりに。人生2回目の映画館で観たあの頃から15年ぶりに。ちなみに1回目はピー助でした。

1.当たり前だけどあの頃の方が

思い出補正もあるし、内容を覚えていないとはいえ2度目だし、そもそも子供向けの映画なんだから当たり前だ。けど、あんなに楽しかったポケモン映画をまっすぐ楽しめなくなったのが少し悲しかった。

「頭脳明晰キャラがストーリーを1から100まで全部説明してるやんけ」とか「"今日も冒険を目指して旅に出る"ってなんだよ二度手間じゃんか」とか「ダークライ生き返るのかよ」とか、本当に野暮すぎる感想が上映中ずーっと頭の中をぐるぐるしてた。

子供向けのコンテンツをメタ的な視点で見て突っ込む大人、なんて一番ダサいと思って避けてきたのに、そんな大人になっていたことを実感した。パルキアとディアルガとダークライの死闘を見たことで。

2.フルーチェも、そう

それから1年が経ち、この間スーパーをだらだら歩いていたらお菓子の棚に"フルーチェ"を見つけた。イチゴ味の存在しか知らなかったので3種類か4種類の味が出ていることに非常に驚きながらも、迷わずイチゴを手に取った。

そのまま流れるように牛乳をカゴに入れ、今にもスキップを始めんばかりの足取りで家に帰った。冗談抜きで小学生ぶりのフルーチェ。本当にちょうどディアルガ対パルキア対ダークライを初めて見た時期の思い出だ。テンションがあがらないわけがない。

ウキウキで箱を開け、鼻歌を歌いながらレトルトカレーのような銀の袋を取り出し、飛び跳ねながら封を切って、ふと現実に戻された。

うわ、洗い物増えんじゃん。

「混ぜる」一過程が増える以上、ボウルから直接食べるという非文明的行為に目を瞑るとしてもボウルは洗わなければならない。そう思った途端かき混ぜるのが一気に面倒くさくなった。

急に地に足をつけ、開けてしまったフルーチェを断腸の思いで小さい方のボウルに開け、律儀に計量カップを使って測った200ccの牛乳と混ぜた。もうあの頃のウキウキやどこへ、無心で作業としてひたすら混ぜた。

約1分が経っただろうか、満を持して口に運んだフルーチェは、紛れもなくフルーチェだった。あの頃の味。美味しいは美味しかった。ただ、なんというか、甘いデザートを食べるためだけに計量カップとボウルを汚し、1分間の作業をする純粋さはもう残っていなかった。

3.大人、か?

大人になるってなんでしょう。メガネをかけたストーリー説明キャラを邪魔だと思ったら、フルーチェを楽しめなくなったら、大人なんでしょうか。なら大人なんかならない方が良かったのかもしれません。

シンクに転がる計量カップとボウルとスプーンを見て、少しばかり悲しくなった夏の日。

フルーチェの公式サイトに飛んだら、食物繊維が「食物せんい」と表記されていました。多分「繊維」が読めるようになった日が、あなたのフルーチェの卒業の日で、大人になった日なんだと思います。きっと。


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