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20代はあっという間に過ぎ去って行き、30代は突然にやってくる(part1)

先日30代に突入。社会人になりたての頃、30代の自分に、なにか物凄い期待をしていたことを覚えいるが、いざなってみると、当時と何が変わったのかわからない。

何が変わったのか分からないくらいに、毎日充実した人生を送った気もするし、他者に求めるほど、自分自身に理想を追い求めないが故に、何も変わっていないという感覚がよし押せてくるのかもしれない。

目の前のことに必死で向き合えば、いつか理想が見えるだろう。これはある種、信念として思い続けていたことだが、今振り返ると、理想を考えることを諦めていたということだった気がする。

30歳、もう若いとも言われない。会社を立ち上げ、成功を収め、名実を手に入れている同年代も多い。焦る。

焦る気持ちを感じながら、今noteに文章を書き始めた。これからどう生きるべきか考えるために、ゆっくりと20代を振り返ってみようと思う。

本記事では学生時代と、社会人1年目の振り返りを行う。2年目以降については、その内振り返るかもしれないし、振り返らないかもしれないという、そんなゆるい感じで行く。

20代の振り返り:大学時代

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20歳、大学2年から3年の時期だろう。この時期はサークル活動(委員会)、プログラミング、遊びの記憶が頭の占めている。委員会活動は、ほぼ遊びと一緒だとし、プログラミングも趣味程度だったので、結局は遊びばかりだった。

ここ最近ビジネス系Youtubeを見ていると、「大学なんて行く価値がない」などと言われているが、まさに典型例。何かしなければいけないと感じながら、その何かは「遊ぶこと」でしかなかった。なぜこうなったのかは明白で、大学に行くことが目的であり、何をするか、どうなりたいかが特になかったからだと思う。

大学に行けば何か見つかると思っていたし、大学に行かないことは両親の期待を裏切るようなことだと思っていた。見栄もあった気がする。国立大学に行っておけば恥ずかしくないだろう、というような。

「本当に無駄だな」と思われるかもしれない。かもしれないが、私にとって大学生活はとても大事な通過点だったとも自覚している。

宮城県の田舎で生まれ、修学旅行以外で東京に行ったことがなく(もちろん海外もだ)、田舎の狭いコミュニティーが世の中の全てであるような世界観で10代を過ごしていた。

詳細を書くことをここでは省くが、同じ価値観しか生まれないことに嫌気がさし田舎から出る目的で大学進出を考えた。東北の大学は、同じ高校(コミュニティ)のやつらと出会ってしまうから行きたくないと思い、ギリギリ入れる関東の国立大学を目指した。

いざ大学に入ってみると、そこは本当にパラダイス・・・パラダイスは言いすぎだな、、、何というか、例えるなら、動物園のようだった。

・入学3日目で人生を否定してくる友だち
・いつの間にかダンスを始める友だち
・女性に振られてばかりの友だち?
・急に学校にこなくなる友だち
・バイトばかりやってるやつ
・面白さを競い合う先輩
・etc

どこの大学もそうなのだろうが、コミュニティを変える経験がなかった私にとっては、多様性というものに触れる、初めての経験だった。田舎でしか生きた経験がないことが大きな劣等感であることにも気づき、しかし、その劣等感は他者からすれば、どうでもいいことであった。

大学での経験は、当たり前に、大学じゃなくてもできる経験だったと思う。しかし大学という選択肢しか知らなかった私にとっては、最善の選択だったと思う。

悪かったことがあるとすれば...

経験をして満足してしまったことだろう。経験することが楽しく、目的・目標を考えることをやめてしまったのだ。もちろん良くないことに気づいていた。当初キラキラして見えた経験が、普通のことになりだしたときだ。いわゆる「慣れ」だ。慣れが悪いわけじゃない。新しい経験を求めることなく、目的・目標もなく、慣れの中で生き続けてしまったことが悪だった。

同じコミュニティが嫌だと感じ田舎を出たにも関わらず、大学生活でできたコミュニティに満足し、安堵し、惰性で生きてしまっていた。

とまぁ、こういうことを書くと、大学生活が良くなかったということを言っているようなもんだが、大学が悪いわけじゃない。多くの出会いと経験は今も大切に感じている。その中で楽しさを優先し、目的意識を失った自分に気づきながらも、変化することのなかった自分が悪かっただけ。

私は大学が無駄とは思わない。どんなコミュニティであっても無駄にするかどうかは自分次第でしかない。だけどあの頃に戻れるなら、もっとやれることいっぱいあったよなぁ...とはシンプルに思ってしまう。

20代の振り返り:社会人1年目

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社会人になって1ヶ月、会社を辞めたいと考えていた。

インターネットによって、いつでも、どこでも仕事ができる。時間と場所の制約のない仕事の提供を目指す思想が、どこか国造りのように思えたのが、入社志望だった。(こう思うようになった背景については、またいつか。)

もしかしたら社会人になったばかりの人は同じ感覚になったという人も少なくないかもしれないが、入社志望というのは、不思議なもので、入社してすぐに薄れていた。

当時の私は...

・単純作業がやりたかったわけじゃない
・想像以上に泥臭く、キラキラしていない
・思ってもいなかったことに先輩が面倒くさい
・偉そうにしているが仕事をしていない人がいる
・みんな本当に、会社を大きくしようと思って仕事しているのだろうか
・etc

というような感情だった気がする。最早正しくは覚えていない。覚えていないのだが、辞めようとしていたのは事実で、その事実を人事・代表に話したのも事実だ。

辞めて何をしようとしていたかというと、今思い返せば本当にくだらないが、地元に帰って公務員にでもなろうと考えていた。公務員になろうと考えた理由は明確にあったのだが、その明確な理由は知識の少ない私にとっては最善だったのだが、人事・代表からは「ダサい」という言葉と一緒に、別な選択肢(考え方)を教えてもらった。

このときの選択肢(考え方)は、私が変わるきっかけの一つだったかもしれないが、更にこの1ヶ月後、驚くことが起きる。当時会社の稼ぎ頭であるウェブメディアの、責任者を任せてもらったのだ。

もちろん先輩方に守られながらということは言うまでもないが、戦略・作戦・戦術、実行までを一任してもらった。大学の授業で簿記の勉強をしたことはあったが、売上・原価・販管費など、何も知らないままに。

毎週水曜だった気がする経営会議にも参加させていただき、数字(PL)、ギャップ回収プランと進捗について、報告しては指摘されということを繰り返していた。この頃、原価構成もよくわからないままに、原価率が1%上がっては怒られるという、そんな毎日だった。

知らないこと、覚えなくてはいけないことが多く、眠れない日々も続いたのだが、この頃は不思議と嫌な気持ちはなかった気がする。もしかしたら楽しいという気持ちもなかったかもしれない。あったのは「やらければいけない」というただ必死な思いだけだった。余計なことを考える暇がなかった。

やらなければいけないが先行し、先輩社員と口論になることも少なくなかったが、「余計なことを考える暇がない」ほど夢中にさせていただいた、当時のマネジメントは、今振り返っても本当にすごいと思う。

・責任範囲の明確さ
・自分の目指すところとの一致度合い
・失敗を怒って終わりではなく、やれるまでやらせる

この辺りが当時の私の思いといい具合に融合し、行動に紐付いていたと思う。もちろん結果が出ないことの方が多かったのだが、あのとき会社を辞めずに、事業責任者を任せていただいた経験は、20代を形成するにあたって大きな要素だったのは間違いない。

そろそろ長くなってきたので、part1はこの辺りで終わりにしょう。

part2で書きたいことの整理

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次は仕事の仕方を掴みかけた2年目、アプリの立ち上げを行っていたときのことからスタートしたいと思う。やることは明確だが、社内にチームはいない・用意しない、そんな中での立ち上げ。

もう一つ、初めて自分で成果を出したと思えたタイミングのことについても振り返りたいと思う。「なぜ」と「なんで」しか言われない中、自ら掴み取った成果。

それでは皆さん、また次回。

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