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~アメリカ開拓移民、満州、そしてアフリカへ~ 明治から令和へのファミリーヒストリー(裏話)

8/29(土)に表題のZoomトークショーを行うのだが、その準備のためにいろいろ調べていたら面白くなってきたので、トークショーの中では話す時間がないサイドストーリーをnoteに書いておこうと思う。

私の曾祖父、早川武助さんは1874年(明治7年)山口県熊毛郡麻郷村八海 (現在の田布施町)の生まれ。
1890年(明治23年)にアメリカ本土に移住した2,039人の一人だった。
インターネットで検索して見つけた「北カリフォルニア・ストックトンにおける日系アメリカ人の住生活に関する研究(北原玲子)」という論文に添付されていた資料を見て、その年の移住人数を知って、こんなに少ない初期移住者の一人だったのだと知って驚いた。サンフランシスコに入港したと言っていた。

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北カリフォルニアの「ストックトン」という場所で、私の曾祖父は、一緒に移住した人々と共に何も無かったところを開拓してブドウ農場を作り、最終的にはワイナリーも経営して成功したらしい。
しかし成功に至るまでにはなかなかの苦難の道だったようだ。当時のアメリカ開拓移民のほとんどが、そのような苦労をしたのだろうと思う。

この論文によると、「戦前の日系移民は、ストックトン港の南側に隣接した旧市街地にある日本人街で集まって生活していた」とあるが、私の曾祖父の時代にはまだその町もなく、何もない荒野に住みながら開拓したと聞いた。実際それを髣髴とさせる写真が残っている。

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ストックトンには今でも「ストックトン仏教寺院」があるらしいが、この写真は、その仏教寺院で行われた祖父の弟の葬儀の写真だ。
この小さな棺の本人、早川敬之助さんは、1913年(大正2年)4月16日生まれで、1915年(大正4年)2月20日に「1歳10ヶ月4日」で亡くなった。
ここに、敬之助さんの腕につけられていたらしい名前と年齢、日付が書いたタグがある。火葬場で付けていたものらしい。曾祖父がこれを大切に日本に持ち帰り、105年たった今でも我が家の仏壇に置かれていることに、曾祖父が異国の地で子どもを亡くした悲しみと無念さ、子どもへの愛が伝わってくる。

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この実話のサイドストーリーとして伝えたいのは、曾祖父・武助さんの叔父にあたる人に、早川文蔵(文三)さんという人がいて、彼は奇兵隊として明治維新で戦い、慶応4年(1868年)4月27日に16歳で亡くなっていることだ。越後鯨波で戦死し、新潟県柏崎市の柏崎招魂場にその墓があるということで、私は数年前に探しに行ってお参りしてきた。

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明治になってアメリカ本土やハワイ、南米などに移民していった人たちは山口県出身者が多いが、それは何故なのだろうと不思議に思っていた。
私の曾祖父の出身地も、現在でもかなりの僻地と言える場所で、当時このような奥地から外国に向かって旅立っていく人が多かったという事実に驚かされる。
私たち早川家の親族も、アメリカ本土に渡った曾祖父だけではなく、何人もがアメリカ本土とハワイに渡り、今でもその子孫がかの地で生きている。

私の曾祖母・早川ハルは1884年(明治17年)の生まれで、やはり山口県熊毛郡麻郷村八海出身で、「写真花嫁」としてアメリカに渡った。渡航した年が正確にわからなかったのだが、調べてみると写真花嫁とは1908年~1920年に約20,000人の日本人女性がアメリカ本土やハワイに渡ったそうだ。
しかし、私の祖父は1909年生まれで、その兄の武雄さんがハルさんの長男であり、彼は1907年(明治40年)に3歳でアメリカで亡くなったとの記録がある。
とすると、ハルさんが渡航したのは、一般的に「写真花嫁」として集団渡航した人たちの時代ではなく、それより前に、個人的に縁組をして同じ村から渡ったと思われる。そうすると、ハルさんがアメリカに渡ったのは、1903年(明治36年)と思われ、彼女は19歳だったということになる。

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さて、このあと早川武助一家がアメリカでどのような経験をして、その息子で私の祖父である早川政夫さんがどのような経緯で朝鮮、満州に渡り、満州で生まれた私の父・早川元夫さんがその後、終戦からの逃避行、引き揚げまでにどのような経験をしたかということを、8/29(土)のトークショーで詳しく話したい。

また、この周辺の人物たち、祖母の早川ワサノさん、母方の祖父の川原正三さん、祖母の川原サダ子さん、母の早川千世子さんに関しても、とても興味深いエピソードがいくつもあるので、それはトークショー当日に話したいと思う。

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トークショーには含めない内容として、もう一つのサイドストーリーをここで伝えたいのだが、戦後の話になる。
山口県熊毛郡麻郷村八海で、「八海事件」という殺人事件が起きた。
この事件は、1951年(昭和26年)に起こった戦後犯罪史の中でも有名な事件で、何冊もの本が出版され、映画化もされた。
この被害者は、早川惣兵衛さん(当時64歳)と早川ヒサさん(当時64歳)夫婦で、私の祖父の叔父にあたる。夫婦が自宅で何者かに惨殺されたという悲惨な事件だった。
この夫婦は、明治40年ごろにアメリカに渡ったと本に書いてある。私の曾祖父・武助さんより13歳年下の弟だった。先に開拓に渡って成功した武助さんがその後も続々と親族を呼び寄せたのだろう。

惣兵衛さんは、カリフォルニアで農業を営み、蓄財も出来たので、1926年(大正15年)ごろに日本に帰国したと書いてある。夫婦仲もむつまじく、隣近所の評判も良く、他人から恨まれるようなことはまったくなかったと本に書いてあるが、戦後、日本が苦しかった時代に、アメリカに親族がいる早川家はアメリカからの仕送りを受けており、それにより同じ村の若者たちに狙われ、金品強奪を目的として殺害されたということだった。

逮捕された6名の若者たちに無期懲役や死刑判決が出されてからあと、「取調室の密室で拷問を受け犯行を自供した」と無実を主張し、控訴。それから長い裁判が続いたのちに、最終的に4名に無罪判決が出た。
それにより有名になった事件だった。

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事件の詳細はともかくとして、サイドストーリーとして伝えたいこととしては、アメリカに移民した日系人は太平洋戦争中、アメリカで敵国者として強制収容所に収監され苦労したこと。そして、戦後、本国の親族を心配して仕送りをしていたということだ。
アメリカからの帰国者は、戦時中はアメリカと繋がりがある者として何かと不自由もあったらしい。
しかし、私の曾祖父や祖父は、両国に深い関わりを持つ人生だっただけに、平和への想いは強かったようだ。日系二世の中には、戦時中にはどちらの国に忠誠を誓うのかを迫られ、アメリカ生まれだからアメリカに忠誠を誓う宣言をし、一世の親とは仲たがいしてもアメリカ人として戦場に出ていき、日本人兵士と対峙することもあったという。そこにはそれぞれの、複雑な想いや苦悩があっただろう。

私の祖父や曾祖父も、そのような状況に置かれていてもおかしくなかった。
しかし私の祖父は様々な運命の変遷から一度も徴兵されることなく、大変な苦労もあったが何とか生き延びて満州から帰国することが出来た。

満州からの引き揚げ後は、山口県熊毛郡に戻り、そこで武助さん・ハルさん夫妻と共に生活することが出来た。そして、武助さんが亡くなったのは、1966年(昭和41年)8月8日、私が生まれて5日後のことだった。92歳だった。

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明治時代、16歳でアメリカ開拓に渡り、アメリカで2人の息子を亡くし、その後帰ってきた大正、昭和の日本で武助さんは何を見て、何を感じ、どんな経験をしたのだろうか。
92歳まで生きて日本の時代の変遷も見てきた。何を感じていただろうか。私の父は、曾祖父にかわいがられ、モノ作りを教わり、共に小舟に乗り釣りをするのが楽しみだったという。たくさん話を聞いたらしい。
その父が、30代の働き盛りにアメリカに駐在し、カリフォルニアで長年暮らすことになったのも不思議な縁だ。

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私はちょうど武助さんと入れ替わりのようにこの世に生まれてきたので、小さい頃からよく、武助さんの生まれ変わりだと冗談まじりに言われた。
私もそんな気がする。逆境に強い開拓精神に共通点を感じるし、私はどこまでも広がる原野を見ると懐かしさを感じ、心が最も落ち着くというところが不思議なところだ。

私は10代終わりから世界各地を旅するようになり、長い間世界中を放浪した末に、アフリカに渡り、20代初めからケニアで暮らすようになった。今では32年間、ケニアで暮らし、ケニア人の夫、2人の子ども、3人の孫に恵まれた。

考えてみると私はケニアの日系一世、私の子どもは二世、孫は三世と言えるだろう。私が死んでからあとも、早川の名前は孫から曾孫、その先へと引き継がれていく。武助さんは、それをあの世から眺めながら喜んでくれているような気がする。

ここに記したのはトークショーでお話しする内容の「裏話」的なエピソードだったが、興味がある方はぜひ8月29日(土)20:30からのオンラインのトークショーを聞きに来ていただきたい。
不思議なことに、とてもたくさんの古い時代の写真が残存している。
20:00からそんな写真のスライドショーを上映するので、その時代を生きた人々の生きざまや情熱に、写真から触れていただけると幸いだ。


★8/29(土)のトークショーの詳細はこちらです。

ZOOMでトークショー!
★早川千晶のひとり語りVOL.4★
~アメリカ開拓移民、満州、そしてアフリカへ~
明治から令和へのファミリーヒストリー

●日時:2020/8/29(土) 20:30より開始
(20:00よりスライドショーを上映しています)
●参加費:1,000円

お申し込みはこちらからお願いします。
https://haronoya.com/shop/17264

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右から三番目の男の子が私の祖父の早川政夫さん。棺の後ろにいるのが曾祖父の武助さん。棺の中が祖父の弟の敬之助さんです。

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