わたしの一歩は「休職」をしたこと
社会人9年目。ずっと同じ会社に勤め、同じくらいの年次や給料の周りと比べてもやけに自分の業務量が増えていました。不満はありつつもやりがいも感じていたし、忙しくすること自体嫌いではないので、一人残って遅くまで仕事をしていました。しかし体制が変わり経営層の一言に振り回され、努力が水の泡になることが多々発生。
自分のせいではないはずのものでも、仕事がうまく進まないことをどんどん思い詰め、なかなか寝付けない、明け方目覚めてしまってもう眠れない、不安感、イライラ、涙が止まらない、自分がおかしくなるのがわかりました
それでも、自分と同じ業務をやっている人がおらず、どうしても仕事をしなければ、わたしが我慢しなければ、、、「スティーブジョブズだって代わりがいる」というカズレーザーの名言を知っていたのに、その時の自分はもうそれを思い返余裕もなく自分自身を苦しめていました
ある日、いよいよ全然眠れず、出社前に泣いていたところ、夫が「今日は休みさい!ここまでなるまで仕事をさせた上司の差配に問題があるし、この状況を解決するのも上司の仕事」と、いつも穏やかなのに、そのときは強く言ってくれました
泣きながら仕事を休みたいと連絡、もう自力で回復ができるとも思えず会社が提携している相談窓口へ連絡、メンタルクリニックの受診をおすすめされました。
クリニックでの診断結果は「適応障害」でした。仕事の内容細かく聞いていただき、それは理不尽な状況だと。わたしが弱くてこの状況になったのではなく、誰でもこうなっておかしくない状況だと、休職を勧められました。
でも、同じ仕事をしている人はいないし、人も足りないから、ただただ私の仕事を引き取る人が辛いだけだ、自分が頑張れば迷惑をかけないですむ・・病院でもう病気の診断が出ているのに、それでもそんなことを考えていました。
迷惑をかけて、苦しめるのも辛いし、忙しい上司に色々対応してもらうのも申し訳ない。いや待てよ、もうPCを開くだけで体調が悪い、頭がまわらない。こんなんで仕事したほうが迷惑なのでは、今まで私は頑張ってきたのでは?しんどいことは前から上司に具体的に伝えていたし、自分のやるべきことはやっていたのでは?
もう、休んでいいのでは?
今まで仕事がそれなりに好きで、忙しく働いていた自分にとって、この休職という選択は、大きな決断が必要なものでした
休むこと、これも勇気がいるものなのだ。わたしにとって一歩踏み出したできごとは、休職をしたこと
そしてその先にあるものは、自分を見つめなおす時間。
休んでいなければ、気づけなかった。わたしはよく言えば責任感が強くて真面目、悪く言えばなかなか人に頼れず、抱え込んでしまう。真面目なのはある意味融通が利かない。いい部分でもあり、ときに悪い部分でもある
この休職はいつまで続くかわからない。一概には言えないけれど、適応障害はストレスの原因を排除できれば回復ができるものらしい。
心配してくれたいろいろな人が、いまは仕事のことを考えず、自由に過ごして、休むことが仕事だよ、声をかけてくれた。周りにいる優しい人たちの存在にも改めて気づくことができた
診断がでたばかりで、自分でもまだどうしていけばいいかわからないことがたくさん。感情に浮き沈みがある。仕事のことを何も考えず気ままに心を休められる日があれば、色々思い出して不安になったり、イライラしてしまう時もある。
一歩踏み出した休職、その先の自分自身の時間、そのもっと先がどうなるかわからないけれど、人生で無駄なことは何もないと思っているので、わたしにとってこの経験はきっと今後の人生で大切なものになると思う
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