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私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その64
実家の母は、94歳。腰が痛いのと、耳が遠くなってきた。と言っている以外は、めちゃくちゃ元気で。
記憶力も抜群。多少、脚色が入るのは、まあ、いいでしょう。^_^
そんな母が、昨夜、トイレに行きたいけど行けなくて、大騒ぎだったらしく、
父を介護していた時のオムツを急遽つけたらしい。
トイレは最後まで、自分で行きたいと、言っていたのもあるので、ちょっとコレは、そろそろ?なんて、思っているとこ
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その63
私が認知症になったとして、お酒は飲みたい。
お酒の中でも、日本酒が好きなんだと、気づいた。地元のお酒を、ちびちびと、塩辛とか、普通の家庭料理をアテに飲む。
チェーン店ではなくて、
地元の人が、開けているお店が好きなんだと気づいた。
家庭料理。その時の旬の料理。
なんてことないお店のカウンターで、お惣菜と、地元のお酒を飲む。
めちゃくちゃ、幸せな時間やんね。
私は太陽星座で言えば双
私が認知症になっても、困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その62
ふらっと、行こか。って、
思いつきで、どこかに行くのが好き。
何日も前から、計画立てているとしても、日にちだけの決定だけ。
こまかに、予定をたてて、その通りに動くのは、苦手かもしれない。まあ、細かな予定を立てるのが得意な人がいて、なんも、考えずに、ついていくだけなら、まあいいかだけども。
私が認知症になったとしたら、
やっぱり、この、ふらっとどこかへ行く。のは、健在からもしれへん。
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その61
夫婦は、いつ夫婦になるのだろうか。
ホームヘルパーとして、働いていた時に出会った方。
90歳を超えて、奥様を亡くされて、1人で生活をされていた方。とても、凛とした方だった。
家の中も、整頓されていたし、食事も自炊されていた。おしゃれで、博識もあり、このかたとお話するのが、楽しみだった。
ある日、この方に質問した。
夫婦は、いつから、夫婦になるのですか?
その方の答えは、
片方が、
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その60
テレビドラマで、ホームヘルパーさん役をしている女優さん。
スーパーで、売ってるような、地味なジャンバーに、ちょっと丈が短めで、その隙間から、白い靴下、運動靴。大きなカバンにママチャリで、疲れた顔。
あー、分かる。よくいる。そうそう。そんな感じ。
そりゃ、色んなお家に行かせてもらうけど、基本掃除やから、動きやすい服がいいねんよね。
でもさぁ。ケアマネさんも、なんだかダサダサな人が多いなぁ
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その59
高齢者施設の食事にも、いろいろあって、栄養バランスのとれた食事をセントラルキッチンで作ってお出しするところ。
有名シェフが、腕をふるって、お出しするところ。
介護職員が、届いた食材で作るところ。
介護職員が、買い物に行って、作るところ。
その地域で取れた野菜や、魚で、その施設で作って、出してくれるところ。地域住民の人も一緒に、食べれる食堂があったり。
まあ、食事の出し方は、本当にいろ
私が認知症になっても、困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その58
実がなる木が好き。
縁側に座り、日向ぼっこして、
そろそろ食べれそうだね。って言いながら、
実が熟していくのを見ていたい。
自分がどんな、生活をしたいのか、どう暮らして生きたいのか、自分が認知症になったとして、どう暮らすのかを考えているうちに、だんだんとイメージが出来てくる。
私が、認知症になっても、困らないための生活を考えるワークショップしてみようかな。☺️
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その57
私が、介護職をしていて、これだけはと、思っている事があって。
それは、施設を利用して下さいっていた方が亡くなられて、お通夜の席に行かせてもらった時に、たくさんのエピソードをご家族に話が出来る様でありたいと思っていること。
『このチョッキは、娘がプレゼントしてくれてね。って、いつも嬉しそうに話しておられましたよ。』
『一緒にお散歩に行かせてもらった時に、いつも歌っていた歌があって•••』
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その56
60歳までに、何を残せるかを考えていた。自分に介護が必要になったとき、私が受けたいと思える介護サービスがあるように。
あの人の介護を受けたい。と、思ってもらえる介護士を育てたいと。
そう思って、60歳までに、何が出来るかと、考えていた。
仕事、収入、生き方、死に方。
出来ることから少しずつ。そう思っていたら、
60歳からの教科書って言う本を知った。
第二の成人式だと。
60歳まで
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その55
認知症サポーター養成講座といって、認知症の基礎知識と、認知症の方へのサポートについて、地域住民の方に伝えるというボランティアをしていたとき、
であったのが、きらめき介護塾の渡辺さんの講座だった。
認知症の方への基礎知識と関わりを紙芝居にされていて、誰でも、この紙芝居を使えば、簡単に伝えられるっていうわけ。
この紙芝居を通して、地域の方とか、郵便局の方とか、警察の方とか、中学生とか、介護職
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その54
娘が、結婚して横浜に住むようになり、2.3ヶ月に1度は、新幹線を利用するようになった。
飛行機を利用したりもしたが、飛行機は乗ってる時間は短いけれど、搭乗するまでの待ち時間が落ち着かない。
それに比べて、新幹線は、乗ってしまえば、3時間ほどは、そのままなので、ゆっくり出来る。
それに、最近は、グリーン車を利用しているから、まあ、本当に快適。
パソコンで、仕事も。読書も。のんびり窓をみて
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その53
認知症になって、困る事の一つに、出かけたら家に帰って来れなくなる問題がある。
家を出るときには、スーパーに行かなくちゃとか、病院や、仕事に行かなくちゃなど、理由があって、でかけるのだけれども、
途中で、どこに行くんだっけ?と分からなくなって、家に帰るにも、ココはどこ?ってパニックになることもある。
そんな時に、gpsがあれば、居場所がわかるから、いいよね。って、なるのだけど、
かれこれ
私が認知症になっても困らないために、いま、出来る100のこと。その52
えんとつ町のプペルの作者、西野亮廣さん。
この人の作る世界が、優しくて、とても好き。
どんな風に優しいかは、その世界にふれてみてほしいのだけれども。
とにかく子供には、無条件で優しい。
人から馬鹿にされて、叩かれて、けなされても、自分の信じる道を、進む。
そして、
私は?どう進む?って、思う。
自分が認知症なっても、困らない世界が目指すのは、優しい世界。
優しい世界。
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その51
中学生の時、オールナイトニッポンを聴いていた。お便りを読んで、そのコメント、そしてリクエストの曲や、届けたい曲をかける。
そのDJになりたいと思っていた。
でも、実際に、就職するときに、ラジオ局に、面接行くとか思いもせずに。
そこから、月日は流れて、
インターネットが、普及して、誰でもラジオのように発信することが、出来る様になってきた。
それでも、同じように、ネットから、聞きたい曲は
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その50
介護されるようになったとたんに、自分の意思は、どこかにいってしまう。
もちろん、介護職の人たちは、
何が食べたいですか?
どこか行きたいところはないですか?
相手の意思を確認してくれる。でも、
1人では出かけさせてくれないし、なんでも、家族の許可がいるし、トイレや、お風呂は、異性が介助することがある。
それは、嫌だといっても。
仕方ない。と、言われてしまう。
でも、
でも、
私が認知症になっても困らないために、いま、伝えておきたい100のこと。その49
楽しかった記憶は、残る。
美味しかった記憶も、残る。
嬉しかった記憶も、残る。
でも、
嫌だ!と、思った記憶も、残る。
認知症になると、記憶の壺の容量が少なくなってくるから。
そしたら、
嫌な記憶を残すより、楽しくて嬉しくて、美味しい記憶を残していたい。
不快な記憶を快な記憶で、覆ってね。