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私はパラサイト

私は旦那に寄生している寄生獣。

脳まで支配することはできなかったミギーのような、いや、ミギーほど理性や知識があるわけではないので、ミギー以下だ。

寄生獣知っていますか?

映画で1を見て、その続きを見ることができず、最近アニメを見終わった。

食物連鎖トップに君臨する人間に寄生する生物を描いたストーリーだ。

人間ほど、感情的で、利己主義で、残酷な生き物はいない。

そんな物語りだ。


想像してみた。

宿主が旦那、そして、その旦那に寄生しているのが、私。

宿主が死んでしまうと、寄生している私も死んでしまう。

宿主である、旦那が稼いできたお金で食料を買い、家を借り、通信費や光熱費を払い、子供たちの教育費を払う。

旦那が死んだら私たちは限りなく死に近づくだろう。

しかし、逆も考えてみてほしい。

もし、私が死んだら、旦那は仕事をしながら、子供たちの世話、掃除、洗濯、日々の食事の用意、買い出し、学校の送り迎え、病気になった場合は看病をしなければならない。

ベビーシッターや家政婦を雇うこともできるが、物価の高いオーストラリアでは週5は無理だろう。きっと赤字になってしまう。

よくて週2~3回。

仕事の他にこれだけの負担が増えるときっと体力的にも精神的にもガタが来るだろう。

それでもオーストラリアで住むのか、実家がある日本に戻るのか?それは聞いたことがないので、わからない。

しかし、めちゃめちゃ大変なのは想像できる。

旦那に寄生している私は、旦那が死んでも生きていくだろう。

私は子供たちを育てなければならない。

きっと、私は実家のある日本に戻るだろう。

母に寄生するのもアリだが、少し、年老いている。だから私は働く。

なぜだろう?

私は1人で生きていける自信がある。

ずっとハサミ1丁で食べてきた。といいつつ、ハサミ1丁で勝負をすると負けるので、接客や人間性を身に着けた。

そして、3人の子供が生まれる1か月まではお店に立っていた。

大きなお腹を抱えて(人よりは小さかった)、私は働いていた。

ただ、今は、働いていないだけ。

それだけ。

依存・寄生・共存という似た言葉がある。

この中で私は共存という言葉が一番しっくりくる。

旦那に寄生していると思っていた私だが、実際には共存関係だ。

どちらかがいなくなれば、困る。

しかし、依存はしていない。

お互い独立している人間だ。

人は弱い生き物だ。一人では生きていけない。

だから、自分の居場所を作り、家族を作り、共存する誰かを見つける。

居心地がいい空間。


それが、もっとも人間にとって大事なことだと思う。

同じ地球で生まれた者同士、自分の物差しではからず共存、共有していきたい。

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