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【恋愛私小説】恋する青の鎖鋸2章①「猿公と重なる」


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はじめから↓





 二〇二二年一月二十二日。
 定期演奏会を一ヶ月前に控えた冬休みの日、俺たちは日光の温泉宿に来ていた。

「温泉行きてぇーな」

 サークル帰りの電車で、適当に俺がぼやいたのがきっかけだった。

「俺も行きたいと思ってたわ。日光でも行かん?」
「いいじゃん。中学ぶりだわ」

 その場にいたハヤトが思いの外食いついてきて、あまつさえ二人旅まで提案してくるのには、結構驚いた。

 男子大学生といえば、レンタカーでも駆ってワイワイ騒ぐ旅行をするものだと、入学前は漠然と思っていた。

 しかし、吹奏楽団に入った我々は、そのような騒がしい日常とは縁遠い日々を送っていた。ただでさえ女社会の吹奏楽で、同期の男は俺とハヤトの二人だけ。じゃあその二人で騒げばいいものだが、音楽以外の共通項が特になく、急募Cの面々とたまに遊びに行くくらいで、互いにサシで遊ぼうと誘うことはなかった。

 サシで遊ぶどころか小旅行とは、思い切ったものだ。しかし、コロナ禍の煽りもあり、大学生になってから一度も遠出をしていなかったので、これはこれでアリか。

 そう思ったのも束の間で、行くと決まった瞬間、ハヤトが日光周辺の宿を徹底的に調べ上げ、気づけば予約まで済ませていた。正直、温泉に入れればなんでもよかったのでかなり助かったが、旅先をダラダラ計画するのも旅の醍醐味だと思うので、少し物寂しさもあった。

 ハヤトは普段から効率重視でテキパキと動く。サークルの面々とファミレスやカラオケに行く際、率先して会計を引き受けたり、先輩に対して物怖じせず演奏について指摘するなど、積極的かつ臨機応変な言動を垣間見る場面も多い。

 そんな奴と出かけるとなれば、半分予想はしていたものの、ここまでスマートだとは。

※※

 日光旅行当日は、俺の地元の春日部駅で待ち合わせた。

 この駅から出ている日光行きの特急電車に乗れば、一時間半もかからずに日光に着くからだ。

 集合時間十分前に駅に着き、特急電車が出発するホームに向かうと、見慣れた相貌の男が目に入った。やたらに長脚細身で、おまけに小顔なハヤトはムカつく程よく目立つ。俺も同期の女子団員も嫉妬と尊敬を込めて「ポッキーかよ」と揶揄うほどのスタイルの良さだ。

「おまたせー」
「おう。乗る電車もう来てるから乗ろうぜ」

 普段通り済ましているようで、この男、なんと三十分前には駅に着いていた。俺が自宅からの最寄駅に着いた頃、『めっちゃ早く着いちゃった』と連絡が来たのだ。

 集合時間の何分前に到着するのか、その連絡をどのタイミングで相手にするのかは人の性格や礼儀が試される場面だと思う。
 それでも他に用事もないのに三十分前集合は、礼儀を通り越してもはやはしゃいでるだろ。

 電車に乗り込んでからもどこか浮き足立つハヤトと、日光が近づくにつれて絶景になっていく景色を交互に眺めているだけで、移動中退屈することはなかった。

 日光に着いてからはしばらく駅前の大通りに連なる街並みを散策した。国道らしいこの道は山に向かってゆるやかな傾斜になっており、左右には比較的整備された景色が続く。
 とは言え、二階建ての家屋が多く、高くても三階建ての建物しかないため、その隙間からは緑に染まった山肌が時折覗いていた。

 昼食を済ませていたこともあり、ボリュームのある食事にありつく気が起きなかったので、たまたま視界に入ったカフェに立ち寄ることにした。
 二階立てで招き屋根が特徴的な、こじんまりとした外観が可愛らしい。

 軒下に並んでいるテラス席を眺めていると「流石に中に入ろうぜ」とハヤトに急かされた。よく見ると寒さに震えているのが、何枚も着込んだという外套越しですら伝わってきた。
 マフラーや手袋に始まり、ホッカイロ等、防寒対策は万全に見えるが。本人曰く、かなり寒がりらしい。

 入口の焦茶の扉を開く。ドアベルがカランと鳴り響くと同時に橙の景色が広がった。和モダンを思わせる外装とは打って変わって、内装は北欧風。ロッヂのごとくふんだんに木の板が使われており、あたたかみがある。

 席につくなりメニュー表に目をやると、シフォンケーキとスコーンのセットが目に入った。半ば趣味になりつつあるクリームソーダも気になったが、お店の雰囲気にあてられて抹茶ラテを頼んだ。

「ハヤトは何にする?」
「俺は少しでいい」
 そう言ってハヤトはスコーン1つとホットゆずを注文した。この男、線も細ければ食も細い。

「時間だから、会議聞きながら食べるわ」
「あぁ、幹部の会議今からか」
 うん、と頷きながら、ハヤトはカバンからイヤホンとスマートフォンを取り出し、片耳だけイヤホンをつけた。

 現在、吹奏楽団の幹部たちは、定期演奏会に向けて定期的にオンライン上で会議を行っている。俺は役職についていないため無縁だが、ハヤトは金管楽器の学生指揮者なので、上級生たちに混じって現在参加しているわけだ。

 旅行中なら断ってもよくない?と投げかけたが、「参加はする」と言って聞かなかった。たしかに、最近では「オミクロン株」という変異株が流行するなど、コロナの脅威がいまだに拭えない現状だ。
 そんな中、呑気に旅行しているなど知られようものなら、団員にどう思われるか分からない。会議も大学に義務づけられたPCR検査が主な議題らしい。

 会議が終わってお互いのドリンクを飲み干した頃に、カフェを後にした。


 偶然見つけた日帰りの温泉で入浴し、近くのラーメン屋で夕食を済ませた後、宿に向かった。
 ハヤトと凍えながら数分山道を歩いたところで、ようやく宿にたどり着いた。道の最後の方は急勾配な坂になっており、外灯が少ない中雪道を歩くのは少し危険だった。宿の隣にあるホテルへの駐車場にも繋がっていて車の往来が激しかったため、下手なジェットコースターよりも怖かった。

 宿の入口は簡易的な瓦屋根の門だった。門をくぐると道の左右には伝統的な日本庭園が広がり、少し歩くとロビーにつながる自動ドアへ辿り着く。

 白と赤茶を基調とする和モダンなロビー。足を踏み入れた途端に感じるこの安心感はなんだろう。一息つく間も無く、すぐに着物姿の女性に出迎えられた。

「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」
 他の従業員は皆スーツ姿だから、この人が女将さんなのだろう。
 はい、と愛想よく返事をしてから、ハヤトは手続きを始めた。

 こういう初対面の相手でも、普段通りそつなく対応できるのは彼の強みだと思う。楽団で付き合いのある楽器屋に二人で初めて出向いた時も、緊張している自分を差し置いて堂々と話を進めていた。


 宿の和室と聞いて高校の修学旅行で泊まるような、色褪せた部屋を想像していた。しかし、案内された部屋は想像以上に綺麗だった。柱の木々には艶があり、それらで仕切られた柳茶の壁は上品に思える。床の間にはありがたそうな水彩画の掛け軸がかけられ、広縁には骨組みが木でできたソファと丸テーブルが備えられている。最大四名だという十二畳の和室は、二人だととても広く感じた。

 一通り部屋を堪能して夜景を眺めていると、ハヤトが口を開いた。

「じゃあ、温泉入るか」
「さっき入ったやん」
「何回入ってもいいじゃん」
「そりゃ、温泉目当てではあるけどさ」

 日頃から「腰痛ぇ」とぼやいているこの男は、かなり温泉好きらしい。

 三時間前に入ったばかりであまり気乗りはしなかったが、期せずして「目的」を果たす時が来たようだ。


 目的とは、ハヤトの化けの皮を剥がすことだ。

 男子大学生同士ならゲラゲラ笑いあっていたいと常々思っているのだが、ハヤトには全くその様子はない。

 俺が何かやらかしたり、ふざけてボケても、ある時は冷静に返され、ある時は鼻で笑われて終わり。そんな彼とは下ネタはおろか、好きな女子の話ひとつしたことがないのだ。

 サシで旅行している上に入浴ともなれば、他者の目を気にする必要はない。裸の付き合いというやつで繰り出される話に、俺はかなり期待している。
 普段は女子に囲まれてできない、男同士の話をしようではないか。


 コノミのことも気がかりだった。

 未だに急募Cの四人でつるんでいる中で、モエにもハヤトにもコノミに告白してフラれたとは直接伝えていない。

 覚悟の上だったが、普段の四人組の中で失恋騒動ともなれば、急募Cや楽団における自分の立場にも関わることだ。
 コノミはあの一件を二人に話しているのか、それ以前に俺が抱いている好意をハヤトとモエは気づいているのだろうか。

 他二人に話すべきかと逡巡し続けて、気づけば一ヶ月以上経ってしまった。


 なんにせよこちらにはフラれたと暴露する用意がある。

 身近な失恋という最強のカードを持ってすれば、彼の心境や恋バナの一つくらい聞き出せるだろう。大学で気になる人がいないとしても、昔の恋愛を聞ければ御の字だ。


 温泉に繋がる通路は木を用いた肋のような意匠が凝らされており、等間隔に壁掛けの行燈ががゆらめいていた。

 ぼんやりした照明が様々な期待を煽る。


 脱衣所で今にも折れてしまいそうなハヤトの四肢の細さに改めて驚きつつ、共に大浴場に入る。

 入ってみて驚いたのは宿の入口で見た日本庭園のような景色が浴場の外にも広がっていたということだ。壁一面が窓であり、雪を被った木々や水の情景を表現する石たちが織りなす景色を楽しむことができる。浴槽は檜でできており、外には小さな露天風呂まで備えてあった。

「あ゛ぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 体を洗い流して早速湯に浸かると、おっさんが乾杯の直後にあげる感嘆符が自分の声帯から発せられていたことに遅れて気付いた。
 このままでは、目的を見失いそうになると思い、ハンドタオルを頬に打ちつけた。


 さて、どう聞き出そうものか。
 雑談はこれまでの旅路でいくらでもしてきたので、単刀直入に切り出す。「ハヤトは今まで恋愛とかしてこなかったの?」

「男子校だったからな」
 彼は中高一貫の男子校とはいえ、彼は女子も所属する吹奏楽部に所属していたと聞いていた。

「関わってた吹部には女子いたでしょ? 気になってたことがいなかった?」
「別にいなかったな」

 取りつく島もない。
 そっか、と生返事を返すと会話は途切れてしまった。
 逆にお前はどうなん?という返答があれば答えてやらんこともなかったが、期待虚しく沈黙が支配する。

 湯口から流れるお湯こそがこの場で最も煌めいていた。数秒その流れに目をやった後、諦めて定期演奏会の曲の話を始めた。

 途端に、外向けの笑顔も、自分に向けられる表情も同じだと気づいてしまったからだ。

 彼は俺に弱みを見せない。見せる弱みがないのか、その気概がないのか。
 どちらにせよ彼の心を開くことも、自分が気を許すこともできなかったのだ。

 そんな相手に晒すのは、割に合わない。


 
 翌日は日光ならではの観光地を巡った。

 その中には世界遺産である日光東照宮も当然含まれていた。雪と格式が織りなす光景は壮観で、昨晩の諦観を紛らわせるのにちょうどよかった。


 順路の半分に差し掛かったところで、神厩舎しんきゅうしゃにたどり着いた。かの有名な「三猿」があしらわれている建築物だ。

 馬を災厄や病から守るため猿を一緒に飼うという考えから彫られた猿たちは、五年前に行われた大がかりな修復作業によって形や色彩が取り戻されたらしい。
 それでも、周りの厳かな雰囲気と比べると三猿だけ異様に浮いて見えた。絢爛豪華がテーマとはいえ、厚塗りの素直な色合いはいささか鮮やかすぎる。

 わざとらしく両手で口を塞ぎ、黒一色に染められた瞳と目があった。

『言わざる』


 日光の地で口を閉ざした自分が、図らずも目の前の猿公と重なるのが癪だった。


続く。(実に4ヶ月ぶりの更新…お待たせしました🙏)

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